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大人の遊び

子どもは遊びから全てを学びます。目で手で耳で、世界の全てを体験的に吸収していく。子どもたちはその発達や成長に応じて適した学習の仕方があり、それに呼応するように求める遊びも変化する。赤ちゃんの感覚器で早くに成熟するのが嗅覚と触覚です。そのため赤ちゃんはなんでも触って口に入れることで世界を知ります。

ところで大人とはいつから大人なのだろう?制度的に見ればいくつかの定義ができそうですが、身体、精神の面から見れば子どもと大人の境界はひどく曖昧な気がします。ならば子どもがそうであるように大人も遊びを通じて世界を学習することができるのではないかと時折考えています。

僕とってはオンラインでのライブ配信「ホニャララLIVE」も遊びの一種ですね。学びが多い。

成長とともに変わる遊び

子どもの遊びが成長に応じて変化するように、大人に必要な遊びというものもあるのだろう。僕は年齢を問わず「遊び」にはINPUTとOUTPUTの循環が必須だと考えています。これはそのまま表現活動の構造でもある。
本を読むだけではなく、その感想を綴ってみる、描いてみる。映画を観るだけではなく自分でも作ってみる。吸収と発信が対になることで遊びになりうるのだと思います。気の合う仲間とおしゃべりをすることが好きな大人は少なくないけど、おしゃべりは聞くことと自身の見解を発言することが高速で回転するのだから、なるほど大人の遊びとしては理にかなっている。

僕の中で最近流行っている遊びはこの3つ。
#朝の署名部
#空想の一皿
#カレーのカルマ

どれもSNSを中心にハッシュタグを介して見知らぬが仲間と呼べるであろう人たちと集い遊んでいる感覚です。誰かのポストを見て刺激を受け、自分でもやってみるという流れがいずれにもある。ん?カレーのやつだけはちょっと違うか。誰しもが渦に巻き込まれるやつ。

実は何もしてない

いずれのハッシュタグも井出考案!みたいな顔してますけど、実は僕はタグづけをしただけだとも言える。なんとも創発的だこと。遊びは誰かの考えたルールに従って楽しむものもあるけれど、その場その時の集団の中で変化していって然るべきものだ。

ことの発端① 朝の署名部

「朝の署名部」は毎朝自分の名前を大きく書くという活動。署名を通じてその日の自分の状態を確認し、ありたい自分を文字に投影する。署名を通じて自分を客観視する行為とも言える。

これは筆跡診断士の林香都恵さんが、ホニャララLIVEにゲスト出演いただいた際に署名の楽しさとその意義を教えて頂き、翌日からSNSで発足。自己申告で続々と部員は集まり、目下の僕の勝手な野望はオンライン上での展覧会の開催というところまで来ている。来てない?

林香都恵さんのことは勝手に名誉顧問とお呼びさせて頂いていますが、要するにすごいのは林さん。僕は便乗してタグ付けをしただけ。最近では派生して #夜の書道部 だとか達筆な人たちを中心に #書道部 だとかも出てきている。書道部って一周まわって普通じゃんってのは言わない約束。

ことの発端② 空想の一皿

これも実は署名部から始まったとも言える。SNSには本名を出したくないという方もたくさんいるから、#朝の署名部 は実は隠れ部員が多いらしいのだけど、Cocoさん(@coco_rebalance)という方が朝の署名部の活動として、ご自身のアカウント名に漢字を当てて書かれたものがあった。

で、これをみたおれ。コメントがアホだけどこれでも一応署名部の部長。

ところが、この「おいしそう」発言に触発されたであろうに違いない死神がやってきて、即興でレシピを考えてくれたではないか。これが記念すべき空想の一皿の最初の一皿。

このインタラクションはとにかく面白い。出鱈目に漢字を並べるとそれが料理になって帰ってくる。しかもいずれも美味しそう。良いレシピというのは作らずとも味が想像できてよだれが垂れてくるのだなと実感する日々。だって、発光飯がこれだよ?

ちなみに、#空想の一皿 は文芸作品としても昇華されている。レシピであり小説でもある。

遊びという観点でいうならば、多角的なINPUTとOUTPUTの嵐である。僕はニセ料理人としていらずらもたまにします。どの切り口で関わっても面白いのだから遊びとしてはすでに完成している。

ことの発端③ カレーのカルマ

前世のカルマを背負って現世を生きるように、この国に生まれた時点で僕たちは皆カレーのカルマを背負って生きている。幼少期を思い出してほしい。給食でカレーが出ると何故か晩御飯もカレーだったでしょ?これがカレーのカルマ。ふざけすぎ?

カレーが続いたある時 #カレーのカルマ をつけてTwitterにポストしたら、なんかじわじわ伝播している。そして2022年2月現在、たくさんのスパイスを買い込み、カレーの商品化を目指す状態にまでなっている。いや、目指している自覚すら曖昧なのがカレーのカルマ。

まぁこれはお楽しみに。

自分がやっているようで、自分は何もしていない。自分は何もしていないのに事が起こり皆が動き出すというのはなんだかとっても面白い。でもSNSでしか知らないけれど、いずれに参加している方もみんな楽しそうだからまぁいいか。遊びは楽しい事が前提だと思う。楽しいから続くし、得るものがあるんでしょうね。

みんな、あーそーぼ。

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