子どもがくれたもの
こんにちは。ユリカリパブリックです。
最後にnoteを書いたの、いつだったっけ。なんだったっけ。と少し振り返ってみると、去年の末でした。
もうこれを書いた時から五ヶ月が経ったのですが、人生で一番濃い五ヶ月だったのではないかと思う。
それなりに濃ゆい人生を歩いてきたつもりである。小学校から学校に通わず自宅教育で、16歳で週5日フルタイム勤務をしていた。専門学生になったり、バンドマンになったり、シンガーソングライターになったり、飲食もアパレルも事務もやったし、たくさん失恋もしたし、精神疾患もやったし、引越しもしまくった。バックパッカーもどきも海外ボランティアもクラウドファンディングもやった。25歳にしたら、それなりに人生経験は豊富な方だと思う。
それでも、子供が産まれるというのは相当に衝撃的な経験だった。今まで、色々な事柄がわたしという人を揺るがしてきたけど、子供が産まれたことほどに大きな揺らぎはなかったと思う。
最近やっと余裕が出てきたので、書き残したいなぁと思うのだ〜。ちなみにメインに書きたいことは、「苦しみ」ではない! 「喜び」について書きたい。なぜなら、人間は苦しみの方をたくさん書き残しがちだから。そして、苦しみの記憶ばかり残ってしまうから。
これから妊娠する人に、出産を控えてる人に、とにかく喜びをシェアしたい! そんな気持ち。
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出産を終えて思うのは、「いやこれはわたしがやったんじゃないわ。」ということである。
確かにお腹をしばらく貸していた。でもそれだけだ。つわりが辛くて、辞めたくても、ギブアップする方法なんてなかった。とにかく走り切らないといけないレースで、気づいたらパーン!とピストルがなってた、という感じ。
出産だって、大変だったし痛かったし頑張ったけど、どちらかというと「頑張らせられた」。陣痛の、あの定期的な痛みで子を押し出された。自分の理性を超えたところで、身体が勝手に「出さなきゃ! 産まなきゃ!」と頑張ってくれてて、頭は全然ついていっている感じじゃなかった。
あれは、わたしじゃなかったな…という感覚なのだ。
産まれてきた子供が、翌日自分の部屋に来て、ゆっくりはじめて眺めた時にも思った。
確かにわたしのお腹に入れてたけど、この小さい手も足も、わたしが作ったんじゃないわ…。と。わたしの力じゃない、わたしの能力じゃないわ。と。
でもそう考えると、そもそも子供がわたしのお腹に宿ったのだって、わたしが頑張ったわけじゃないのだ。ここには、人間が全然介入できない領域が確かにあるな…と、感じたのである。
ぐっすり寝ている子供を眺めながら、声をあげて泣いた。小さな頬に、人差し指で触れてみた。愛おしかった。また泣いた。心が喜びで震えるって、こういう感じ?!とびっくりしたような気がする。結構長い時間泣いていたと思う。とてつもなく大きな、神秘的な神様の技を、わたしは肌身で経験してるんだ、とわかったのだ。一人の人間の誕生という奇跡を、体現するための器としてわたしは使われたんだなあという感覚。
わたしじゃない、わたしじゃないな、と思った。わたしは何もしてない、ただ体を貸して、時が来るのを待ってただけだ。わたしは、美しい物語を描く舞台のメイン役者として使ってもらったのだ。大抜擢のキャスティングしてもらったことの喜びに、遅まきながらやっと気がつけたんだ。
人生の台本を書くのは、いつもわたしじゃない。そんなのわかっていたはずだけど、それでもやっぱりどこかで、自分が台本を書いてるのでは、なんて思ってたんだと思う。
わたしにできることは、その人が書いた台本を、よりよくするために協力して、アイデアを出したり、行動したりすることだけ。音楽で言ったら、わたしだけのための最高のメロディと歌詞が既にあって、それをどうアレンジしてミックスするかみたいな話。
そう考えると、今まで、体がバキバキになるまで背負っていた肩の荷がおりた。いいんだなあ、不安は全部置いちゃって、いいのだ。きっと大丈夫。なんだか身を委ねて、流れていこう......そんな気分。
ああ、だって、こんな最高のメロディと歌詞を書いてくれる人になら、もう全部任せてしまってもいい...... 出産を通して、わたしの人生は名曲なんだって、確信してしまったんだもの。もう肩肘張らなくたっていい。アコースティックアレンジでも名曲。エレクトロになったって名曲。ギター一本でも名曲。だけどアカペラでだってじゅうぶん聴かせられるくらい、名曲だもん。
きっと、わたしの子も自分の曲を探していくんだな。そして多分それは素晴らしい楽曲なのだ。わたしに名曲を書いてくれる人が、子に駄作を書き下ろすはずがないから。多分。
(子はあと少しで4ヶ月\( ˆoˆ )/
この小さいひとが私たちにくれた喜びは計り知れません)
サポートしてくださるとユリカが今日一日ニコニコします。(*´`*)笑