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最近の雑記 2024年3月5日

 スコット・レイノルズ・ネルソン『穀物の世界史』によれば、18世紀にはエカチェリーナ2世が建設した貿易港オデッサを通じて西欧に安価なロシア産小麦が広まっていた。オデッサは古代ギリシアの食料供給地であったオデッソスのような都市にするべく、エカチェリーナ2世がオデッソスを女性名詞化(ロシア語ではaで終わる名詞が女性名詞)して命名した自由港(関税のかからない港)である。

 当時のロシアは不凍港を求めて南下政策を取っていたが、オスマン帝国との度重なる戦争(露土戦争。数え方は諸説ある)でロシアが優勢を誇った要因の一つにアシグナーツィアАссигнацияがある。

 これはエカチェリーナ2世が導入したロシア初の紙幣(信用貨幣)であったが、オスマン帝国との戦争にあたり兵站上重要な役割を果たした。『穀物の世界史』によれば、当時のオスマン帝国では小麦に公定価格(ミーリーと言われた)を設け、オスマン軍人はその公定価格でしか購入しなかった一方、ロシア軍人は市場価格で購入したため、小麦生産者にとってはロシア軍人に売るインセンティブが働いた。またアシグナーツィアは信用貨幣(紙幣)であり(銅ルーブルとの交換を保証していた)持ち運びが簡単だった一方、オスマン軍人は小麦購入のための金銀類も運びながら行軍する必要があったため、軍の機動性が低かったという。

 最終的にロシアの南下政策はクリミア戦争の敗北で頓挫するものの、そもそもクリミア戦争において英仏がトルコ側に立って参戦したのも、開戦と同時にロシアが小麦の輸出を停止したため西欧で小麦価格が急騰し、暴動が頻発するようになったのが一因という。

 同著では帝国(empire)という語は、古代ギリシアで食料供給のための港をエンポリオンと呼んだことに由来するとしている。中国史家の岡田英弘によれば中国の「皇帝」もその本質は中国大陸各地にある商業都市網の経営であるとする(『皇帝たちの中国』)。これに関連して『魏志倭人伝』にいう「倭国」も、「倭」という国や組織があったのではなく、当時の日本に存在していた交易の流通網を指して中国側は「倭」と言っていたのだという説もある(だから邪馬台国論争も不毛である)。

 つまり交易のネットワークと、そこで流通する商品とコミュニケーションが国家とか帝国の本質であって、政府がどうであるかというのは本来人類の経済活動には関係ない話なのである。西側の政府の痴態はこれを知らしめるために行われている。政府などかまわず自分の経済活動をやれ、という支配者からのメッセージなのである。

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