近代の虚妄をやめていく世界
今年最初の記事となる。2024年も年初から地震、羽田での爆破に始まって、世の中のデタラメさがさらに増しているような様相を呈している。歴史における実証主義は、「起こった出来事にはエビデンスがある」というロジックを転倒させて、「エビデンスがあるからには出来事は実際に起こった」という信念を人々に植え付けるための謀略だという説をnoteにも以前書いたことがあった。地震は実際に起こったことだが、羽田の爆破は?なぜ炎上する機内で呑気にスマホで動画を撮っていられるのか?乗客のその後はなぜ報道されないのか?なぜペットを荷物扱いしたことに騒ぐ有名人がたくさんいるのか?このような疑問が自然に抱けないような感性ではとてもこれからの時代を生きていくことはできないだろう。
今年からまた一段と体制の変革は本格的に進行していくことになるが、大多数の人間はロシア=悪、中国=悪、アメリカ・EU=正義といった稚拙な図式を抱いたままこの世を去っていくのだろう。世の中において支配的な世界観をパラダイムというが、このパラダイムシフトが実際にはどのように起こるのか、天動説と地動説のパラダイムシフトを例に調べたトマス・クーンは、「旧来の世界観を持った人間がこの世を去ることでシフトが起こる」と結論づけたらしい。つまり、おなじ人間が考えを変えるのではなく、違う考えを持った人間が多くなることによって、パラダイムの変革は起こるということだ。
私見では、各個人の世界観の根幹は18才くらいまでにほぼ確立されてしまって、よほどのことがない限り変わらないのではないかと思う。私自身も、上に乗っかっている様々な知識はそのときそのときで変わっていくにしても、根本的な世界に対する認識、態度は高校時代に現代文や自身の読書で読んだ考え方に大きく影響されている。著者を具体的に挙げるとすれば、鷲田清一や中島義道、ショーペンハウアー、老子、慶滋保胤、三島由紀夫などだ。彼らの著作によって「厭世観を土台にした頑固な保守主義」とでも言うべきものが涵養され、世間一般に瀰漫する楽天的で妙に馴れ馴れしい軽薄さを断じて拒絶し、あらゆる詐欺瞞着から自分を守ることができた。この価値観の根底にあるものはおそらく一生変わることはないだろう。左翼の説く、グローバリズムに通ずる普遍性ではなく、歴史と伝統の中で時の試練に耐えたものに宿る普遍性をこそ信ずる保守の精神こそが人間を救うという確信はもはや揺らぐことはあるまい。
体制の変革・パラダイムシフトも、従って、人間が入れ替わるのでなく同じ個体が生き続けるのであれば、自分で変わることがないと思っている価値観の根幹が覆る、つまり世界がひっくり返るような価値観の転倒を経由しなければならないことになる。変革が起こると世界がひっくり返ったように思う人と、以前からわかりきっていたことが現実化しただけだと思う人とに分かれることになるだろう。
パラダイムの変革が起こると言っても、近代という人類にとって特異な時代が終わるだけで、これまで普遍的だと信じ込まされてきた近代的な価値観_自由、平等、民主主義、人権、国民国家、啓蒙主義、進歩主義、合理主義などなど_がその役目を終えて崩壊していくだけだろう。近代という異常な夢から醒めて、近代より以前の統治体制、つまり帝国と都市国家が点在するという世界になっていくはずだ。体制の変革によって、これまで実現されなかった近代的な価値が実現される、というようなことはありえない。より自由な社会へ?より平等な社会へ?より合理的な世の中へ?__学校の作文にそういうことを書けば教員には褒められるかもしれないが、もはや新聞社も雇用を維持できず、出版社への就職もおぼつかないだろう。人類の生存とは何なのか?人間の生活の根幹は何なのか?その問いに応じたものごとしか残らなくなっていくだろう。
一気に近代の歴史を巻き戻すと混乱が大きいので、昨年はキッシンジャーが死去し、今年からサウジがBRICSに加盟し1973年以来のペトロダラー制が終わった。次は1971年(ニクソンショック)、1944年(ブレトンウッズ体制)、1913年(FRB創設)・・・と順々に遡っていって、最終的に1776年くらいまで戻るのではないか。日本だと安永年間、杉田玄白が『解体新書』を出版し、平賀源内がエレキテルを作った頃らしい。まあ、いまの日本人の一般的な科学知識だとそれくらいじゃないか(笑)。
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