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雑記 2024年3月10日 土偶を読み終える

 最近は「雑記」でも「日本の歴史を考え直す」でも別に厳密に区別する必要はないのでは、と思うようになってきた。どちらにせよ気ままに日本と世界の愚かさ加減について文句を言うだけの記事なのだから、そのときの気まぐれで雑記にしたり歴史の話にしてみたりする。今回はサムネに先日食べたラーメンの画像を使ってみた。このラーメンは恵山の道の駅に隣接する、スープがなくなったら終わるタイプのラーメン屋で、1,100円だったと思う。最近は町中では1,000円くらいではちゃんとしたものが食べられない中、このラーメンは新鮮な魚介類がふんだんに使われておりこの価格だったので非常によい。

 さて以前の記事で「土偶=縄文人の食べていたもの」説に関する論争について触れたが、竹倉氏の『土偶を読む』に対する考古学会からの反論集とも言うべき『土偶を読むを読む』が手に入ったので、早速読んでみた。

 結論から言えば、土偶が植物を表象しているという説は(その可能性がゼロである、とまではいかないにせよ)反証や反例が多く、あくまでも今後も出土するであろう証拠の登場を待つべき一つの仮説に過ぎない、ということである。総論としては、以前の私の記事にも書いたとおり、竹倉氏の論証は牽強付会にすぎ、例証とされている土偶のサンプル数も少なく、見た目の類似性は写真のアングルや土偶を見る視点にも強く依存するため主観的・恣意的との誹りを免れない。

 『土偶を読むを読む』で挙げられている反証は大変興味深かった。たとえば北海道の国宝・中空土偶(カックウ)は、クリをモチーフにしているとされたが、じつはカックウの頭部には二つの穴が開いており、これには急須の持ち手のようなものがつけられていたと類似の土偶・土器から推察されている。カックウの両足のあいだには注ぎ口と思しき穴もつけられており、そもそも「中空」の名の通り内部は空洞になっているのは、実はこれは土偶ではなく急須のような「注口土器」なのではないか、というのだ。


https://www.jomon-do.org/chukudogu

 このほかにも竹倉説に対して丁寧に反論が展開されるのだが、昨今なにかとレッテル貼りや「俗説」「陰謀論」などという言葉で簡単に切り捨て、通説に反する説に対して真面目に向き合わない輩が多い中で、逐一物証を挙げ、直接的な証拠がないものに関しては傍証とそこから導かれる議論を展開していく様は、なんというか久しぶりにちゃんとした論争を見たという気になるのである。

 『土偶を読むを読む』では、『土偶を読む』が杜撰な論証にもかかわらず、学術書を対象としたサントリー学芸賞を受賞してしまい、『土偶を読む図鑑』のような関連本も出て、図書館で児童向けの推薦書にもなってしまったことに対して憂慮すべきとしているが、私見ではかりに子供の時分にある珍説を信じ込んだとしても、その後それを乗り越えていけるかどうかというのは個々の人間の好奇心と努力に委ねられている。経済の領域では「インフレを人為的に起こせば景気は良くなる」という珍説が主流派となり、政策の指針にもなって通貨を破壊するということがまかり通っていることに比べればよほど実害はないだろう。

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