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【大阪府・道頓堀】酒井くにお・とおるさんスペシャルインタビュー

昭和45年のコンビ結成以来 、現在まで我々を楽しませてくれている酒井くにお・とおる兄弟 。 ベテラン漫才コンビが見つめ続けてきた道頓堀の移ろいと、「もう笑うとこないよ」などネタの裏話を伺った。

昭和40年代の道頓堀風景あれこれ

──おふたりはもともと、道頓堀や大阪での活動でしょうか。

くにお  昭和45年にコンビを結成して、それから何年かして大阪に来ました。当時からにぎやかで、「五座」といっ て劇場や映画館がたくさんあったんですよ。朝日座、角座、中座、浪速座、松竹座......現在でも残っているのは松竹座ぐらいになりますか。藤山寛美先生が座長で、中座で新喜劇をやっておられた頃ですね。実はうちの嫁さんの実家がカツラ屋で劇場にも納め ていたのですが、一度義理のお父さんが 藤山先生にお花頼んだことがあるんです。 誰よりも大きいお花が届いて嬉しかったですね。 

──ご一緒したことは?
とおる ありますよ。演目を30も40も並べて、「リクエスト演技」というのをやる時はセット変えるのが大変で。
くにお 会うとお金くださるんですが、 かけだしの時は当時のギャラより多かっ たですね(笑)。
──当時の道頓堀は、どんな様子だった のでしょうか。
くにお お客さんは今と違い、年輩の方 が多かったですね。地方からの団体さんとか。食い道楽の街でもありますから、食事して映画や劇場、芝居小屋で楽しん で。大阪で遊ぶなら道頓堀、みたいな雰囲気があったと思います。── 40年以上が経った現在、ずいぶん変 わったと思います。
くにお ここ 20、 30年の間にも街並みはすっかり変わりましたね。
とおる 道頓堀にあった、大阪情緒もほとんどなくなった気がします。呉服屋も草履屋さんもないし、正月の3が日はどのお店も門松出してお休みでしたが、最近はそうではないですよね。正月は芸人 もお客さんも着物でしたが、今はほとんど見かけないですね。
──劇場のお客さんも変わりましたか。
とおる ここ(角座)はいま100席ぐ らいですが、昔は1000人ぐらい入りましたね。ドアが閉まらないほどのお客さんが来たこともたびたびです。
くにお 僕らの出番が最初だった場合、 まずやるのは人員整理です(笑)。お帰りの際も、お客さんを舞台に上げて楽屋 口からお帰りいただくんです。
とおる 今はユニバーサルスタジオとか、 遊ぶ場所も増えたから地元在住で寄席を楽しむ人は少なくなった印象があります。 むしろ、地方からのお客さんが劇場に来ますね。昔の常連さんで、同じネタをやると先にオチを言う方がいたんです。ですからその方を見たら、オチを変えて「してやったり」という気分になってい ました。

くにお・とおる流 お笑いの極意

──多くのネタをお持ちですが、ネタづ くりはどのように。
とおる 最初はコントから入ったのですが、若い時は芸がないから身体張ったものが多かったですね。 

くにお 芸者姿でローラースケート履い て、角座の端から端までスーッと滑って 落ちると、お客さんが「シーン」となったあとから「ドッ」と笑ってくださる。
とおる 角座の舞台は高いから、くるっ て回って落ちないと危険なんです。
──現在は漫才ですね。
くにお 病気したものですから、しゃべ くりの漫才ですね。
とおる ひとつも動いてないわ!って。
──「とおるちゃん!」「ここで笑わな いと、もう笑うとこないよ」などなど、 お得意のネタについては。
とおる だいたい入れてますね。
くにお ギャグなんて考えても出るもの ではないですよ。
とおる 「ここで笑わないと〜」は若いお客さんばかりの収録で誰にウケなくて、頭に来て「ここで〜」って言ったらドッと受けたんですわ。これはいける、と思って以来続けています。
くにお ダジャレがうけなくて「忘れて ちょうだい!」というのもとっさのアドリブだったんですよね。ウケていたら生まれなかったネタ。「とおるちゃん!」も台本の内容忘れてしまって、とっさに「ごめん、忘れたとおるちゃん!」とやったら不思議にウケました。
とおる 結局あれこれ考えて作ったネタよりも、その場でとっさに出したネタのほうがウケてるんですわ(笑)。 

食べて遊んで 道頓堀は最高の街

──道頓堀でごひいきのお店は?
くにお 何年か前から、お店がなくなったり経営していた方が亡くなったりで、 だんだん少なくなっているんですよね。 並んで食べた美味しい天丼のお店、代々続いたそば屋、みんななくなりました。
とおる 上方に来た頃から今でも残っているのは、喫茶アメリカンぐらいですかね。亡くなったお父さん、お母さんにはようしていただきました。まだ大部屋だった僕らはアメリカンでネタあわせやっていたのですが、お店が混雑している時はお母さんが気を利かして、小部屋のような場所に案内してくれたんです。いろいろお世話になりましたよ。
とおる はり重って料理屋さんご存じです? 美味しくて好きです。
くにお 私はかにが苦手なのですが、お客さんに誕生日をかに料理店で祝っていただいたことがあるんです。かにではなく、野菜の天ぷらをお願いしたのですが、 お店の人は「なんでかにの店で野菜の天ぷらやねん」ってカチンときたみたいで、 山のように盛られて出てきたことがあります(笑)。
──現在の道頓堀を歩いていて、どう思われるでしょうか。
くにお とにかく飲食店の行列が多いですね。僕らがこっちに来た頃も見かけましたし並んだこともありますが、比較にならないぐらい。今はインターネットの評判を聞きつけて、どこにでも並ぶんでしょうね。
──変わった点も多いと思います。
くにお そうですね、グリコの看板も何度か変わりましたし、なにより歩いている人が変わった。若い方、外国の方が増えました。 

とおる 道頓堀も遊歩道ができて、前よりきれいになった。阪神が優勝した時はね、誰かが「飛び込んだら1万円やるぞ!」言い出して、ほんとうに飛び込ん でいるのを見ました。その方が上がってきたら、言いだしっぺはいなかったからひどい話ですよねえ(笑)。 

──これから訪れる方に、メッセージを お願いします。
くにお・とおる 以前は法善寺と水かけ地蔵が定番でしたが、最近は遊ぶ場所も増えました。食い道楽の街ですから、食 べて遊ぶには最高の場所です。角座でも楽しんでいただけると思いますし、ぜひ 道頓堀にいらしてください。 (ゆうふぉりあ ・道頓堀号より再録)

酒井くにお・とおる (さかいくにお・とおる)

さかい・くにお(左) 岩手県出身 。昭和45年 、弟のとおるとお笑いコンビ を結成 。多くの舞台 、テレビ番組でお笑いを披露。趣味・特技は踊り、絵画など。

さかい・とおる(右) 岩手県出身 。兄とコンビ結成後 、「 第2 5 回上方お笑 い大賞 」金賞 、「 第 3 2 回上方漫才大賞」大賞を受賞。趣味・特技は野球、ギター。

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