「冒険都市と地下迷宮」前日譚


前日譚01「開かれた扉」

剣と魔法の世界、ラクシア。始まりの剣によって生み出されたこの世界は、三度の文明崩壊を迎え、絶滅の危機に瀕していた。
世界に災厄をもたらさんとするアビスの出現。着実に勢力図を広げつつある蛮族たち。人々は我が身の不幸を嘆き、絶望した。だが、そのような中で絶望に抗わんとする者たちがいた。弱者救済を掲げ、何より自由を重んじた彼らを、人々は敬意を込めてこう呼んだ。
――冒険者、と。

「迷える魂に、神の導きがあらんことを。」
聖書を片手に抱き、聖印に祈りを捧げる。何度となく繰り返してきた祈りの所作だ。大破局から数百年経った今でも蛮族の脅威は消えていないどころか、人族との争いは激化の一途を辿っている。そして、守りの剣がない辺境の村々では、こうして無辜の民が命を落とすことは珍しくない。祈りと別れが終わり、土をかけられていく目の前の男は、つい一昨日酒場で一緒に歌っていた奴だ。
ブルライト地方にある小さな農村サンライトヒル。タジオがこの村の小さな教会にやってきてから数ヶ月のうちに、既に八人の村民が蛮族の凶刃によって命を落としている。つまり、戦闘による負傷者はその比ではない。この小さな教会はいつも苦しみと嘆きの声で溢れていた。

しかし、その日は違っていた。普段よりも負傷者の数が少なく、日が暮れる前には治療が終わり、教会の長椅子に独り座って数片のチーズを肴にワインに酔っているときだった。バタンッと教会の扉が大きく叩かれた。ただ、叩かれたのは一度きりで、扉が開かれることもない。
(蛮族と争った話は数日前に聞いたきりだが…)
酒瓶を置き、招かれざる客の様子を伺うために立ち上がる。観音開きの扉を引いた瞬間、タジオの酔った頭は一瞬の内に醒めてしまった。教会の目の前にガルーダ族の少女が倒れていたのだ。その赤い翼は蛮族の証であり、その鋭い爪は間違いなく我々を容易く殺せる武器であった。そして、傷付けられ苦しそうに呼吸するその姿は、正しく神の救いを必要としていた。
「あぁ、クソッ……」
今だけは酒幸神サカロスに愚痴る。蛮族に対して救いの手を差し伸べたことはない。しかし、この蛮族の少女は傷だらけになりながら、この教会の扉を叩いたのだ。それが意味することは一つしかない。死は自らのすぐ傍らに存在している。だからこそ大いに酔い、大いに人生を楽しむことこそが、彼にとっての信仰であった。それは他者においても同じことである。
「主の御名において、傷つきし子らに聖なる祝福を与えたまえ。力強き主の奇跡によって、我が望みが成就されんことを。――キュア・ウーンズ!」
それは蛮族においても同じことである。救いを求める蛮族の少女にその手を差し伸べることは、当然の行い、だったのかもしれない。だが、それはタジオにとって大きな葛藤を伴うものだった。

「あんた誰」
聞き馴染みのない声と、朝の光で目が覚める。
「ん…うぅ……」
「ねぇってば!」
昨晩は少女を介抱し、そのまま眠りに落ちてしまったようだ。重い瞼を擦って見れば、少女がじっとこちらを見ていた。その視線からは疑念と戸惑いが伺える。
「どうして助けたの?」
当然の質問だ。人族が蛮族を助けた話など聞いたことがない。助ける理由がない。それほどまでに人族と蛮族の間には隔たりがある。
「君が扉を叩いたからだ。」
ガルーダ族の少女はその大きな赤い瞳を更に大きくした。
「あんたは扉を叩けば誰でも助けるわけ?」
「ああ」
「どうして」
「それが神の救いだからだ。」
「でも助けたのはあんたでしょ?」
「……そうだな。ああ、そうだ。」
少女の赤い瞳を前にして、自身の中にあった澱が消えていくのを感じる。自分は後悔はしていなかった。しかし、罪悪感はあった。このサンライトヒルでも蛮族の被害は少なくない。その仇を救ったのだ。
「俺が、助けたかったからだ。」
ガルーダ族の少女はその大きな赤い瞳をにっと綻ばせた。
「そ。ありがと。わたしは…サチ、ガルーダのサチ。あんたは?」
「タジオ。タジオ・トラエッタだ。」

前日譚02「錆びた蝶番」

ブルライト地方、サンライトヒル。この小さな農村にも冒険者ギルドの支部は存在する。とはいうものの、この施設はもっぱら村民が酒を酌み交わす店として賑わっていることの方が多い。辺境の農村に長期間留まって依頼をこなすような冒険者はそう居ない上に、蛮族の襲撃に対しては村民で組織された自警団が応戦することが常だからだ。冒険者ギルドの二階は宿泊できるようになっているが、現在滞在している冒険者は一人だけだ。
錆びた蝶番がぎいと音を立てて、唯一閉ざされていた扉がゆっくりと開かれる。階下では朝の日差しが宴の終わりを静かに包み込んでいた。酔い潰れて眠りこけている村民たちは、頬にテーブルの跡をつけながらも満足そうにいびきをかいている。昨晩、彼らは随分と飲み騒いでいた。何か良いことでもあったのだろう。酒というものは飲んだことがない。しかし、この有様になるくらいなら飲まなくてもいいかなと思う。静かに階下へ降りたかったが、今朝はやたらと階段の軋んだような気がした。
「こんな朝っぱらからお出かけかい。ジャバルさん」
カウンターの奥からしゃがれた声を投げかけられ、リサイアはびくっと肩を震わせる。
「あ、えっと…おはよう、ございます……」
「宿代」
「……」
財布から一日分の宿泊費として30Gを取り出し、老人に手渡す。残された金は雀の涙程しかない。財布を振ると、ガメル硬貨の音が虚しく響いた。故郷の家を追い出されたとき、この財布はずっしりと重たかった。この生活をそれほど長く続けた覚えはないが、事実はこの財布の軽さと音が物語っている。ついに働かなくてはいけないのかと、リサイアは天井を仰いだ。
「ここに来て何ヶ月になる?」
「四ヶ月、です。」
「で、依頼は受けないのか」
老人の言葉の端からは、働きもせず自堕落な生活を送っている自分に対しての苛立ちと呆れが滲み出ているように思えた。冒険者なのに、と。ああ、厭だ。そんな眼で私を見ないでほしい。数秒前に沸いてきた意欲が消えていくのと共に、メリヤの花弁もしおしおと萎びていく。しかし、老人の言うことはもっともだし、これ以上問題を先送りにすることは懐が許さなかった。
「なるべく楽な仕事とか、ありませんかね…?」

「貴女がリサイアさんですね!護衛の依頼を引き受けて頂けるなんてマジ感謝です!」
フレイヤと名乗ったうら若い女性は、嬉しそうにリサイアの手を握った。聞けば、グランゼールへ租税を納めるための護衛の人手が不足しているようだ。報酬はそれなり。数日間の馬車旅。道中は森林と平原、妖精使いとしての腕試しとしては理想的。
「この村に滞在している冒険者もあまり居ませんし、困ってたんですよー」
「あまり?私しか居ないと思ってた。」
「たしかに、今ここに泊まっているのはリサイアさんだけですね!教会にプリーストの方と数人が泊まられてます。この後、その人達にも声をかけようと思ってて…」
フレイヤとの二人旅だと思っていたが、同行者が増えると聞いて気後れしてしまう。
「ふふ、リサイアさんって考えてることが分かりやすいって言われませんか?」
「……そう?」
フレイヤは笑って頷く。
「でも、この辺りは蛮族も多いですけど、山賊も出ますから。人は多い方がいいです。大切な、荷物ですから。」
でも、と言いかけて口を噤む。妖精たちは確かにあらゆる期待に応えてくれるが、山賊が徒党を組んで襲ってきたなら。その結果を想像できないほど、リサイアは愚かではない。黙って頷くと、フレイヤは再度礼を言って席を立った。
「妖精使いの貴女が依頼を受けて下さって本当に良かったと思ってるんです。妖精たちにもありがとうって言っておいて下さいね!」

静かな夜は自分とこの子たちだけの時間だった。
「うん。ありがとうって。」
「――、―。―――!」
「違うよ、そうじゃない。でもいいんだ。」
「――。―――?」
「私なら大丈夫。だって君たちが助けてくれるでしょ?」
「――!――!――!」
妖精たちが嬉しそうに飛び回る。フレイヤの言葉を思い出すと、不思議と自信が湧いてくる。それは他者に頼られる喜び。長らく忘れていた感覚。妖精たちは良い友人だが、私を頼ることはない。この子たちは私が居なくなっても、すぐにそのことを忘れてしまうだろうし、そもそも居なくなったことにすら気付かないかもしれない。水が流れていくように、火が揺らめくように、風がひと所に留まることがないように、妖精は常にその姿のまま変化し続け、記憶することをしない。
私は永い時を生き、多くを記憶している。そして、変化を嫌い、自堕落な生活をだらだらと続けていた。しかし今こそ、変化の時が来たのかもしれない。宝石を鞄にしまい、身支度を整える。閉ざされていた扉をゆっくりと開くと、錆びた蝶番がぎいと音を立てた。

前日譚03「背負う痛み」

「あんたの神はそれを赦すのか!」
「この酔いどれが、やって善いことと悪いことの区別も付かんのか!」
「タジオ、お前は人の信心を踏みにじったんだ。」
教会は人々の怒りで満ち、その中心には一人の男が静かに立っていた。彼を取り囲む人々の中には、かつて彼の事を敬意を込めて司祭様と呼んでいた者も含まれていた。特に蛮族の凶刃によって亡くなった自警団の遺族の怒りは大きかった。
しかし、その怒りは理不尽ではなく、至極当然のものだ。同胞の命を奪った蛮族を助ける道理がどこにあろうか。タジオの行いはサンライトヒルの人々にとっては火に油を注ぐようなものだ。怒号が飛び交う只中で、タジオの心は奇妙なほどに凪いでいた。
「俺は、神の名と己の魂に誓って、正しい行いをした。」
その言葉を口にした途端、鈍い音と共に視界が回転し、口の中に鉄の味が広がった。何故に蛮族の少女を助けたのか、自分でも結論が出せないままでいた。助けたかったから、で蛮族の少女は納得しても、復讐に燃える人々は納得しない。だからこそ、これは俺が背負うべき彼らの痛みなのだ。あの扉が叩かれたとき、俺はサチを見殺しにすることもできた。だが、そうしたなら…。

目が覚めた時、まず見えたのはサチの姿だった。見れば殴られた痕には最低限の応急処置がしてある。体を起こすと激しい痛みを全身に感じた。
「っ…!」
気付いたサチは戸惑いと怒りを隠そうともせず、タジオを糾弾する。
「どうして!」
「言っただろう、これは俺のためなんだ。」
「他人から殴られるのがあんたのため?あたしを助けた奴の台詞とは思えないけど。」
サチの生まれは決して幸福とは言えないものだろう。彼女は傷付けられることが当たり前の日常から逃れるために、扉を叩いたのだ。
「…すまない、そういう意味で言ったんじゃない。だが、家族を失った痛みは俺もよく知っている。そのやり場のない怒りを、仇を救った愚か者に向けるのは当然のことだ。」
「でも、あんたは悪くないじゃん!」
悪いのは、とサチが口にする前にその答えは示された。
「ああ。彼らだって本当は、サチの命を救ったことを悪いことだとは思っていないだろうさ。」
「え?じゃあ、どうして…」
「明日を信じるためには、過去に囚われてはいけない。この辺りに暮らす人々はそれをよく分かっている。だから、自身の心を騙し、麻痺させるための言い訳が必要なんだ。そして、それは俺にとっても同じだ。」
タジオは聖印に祈りを捧げ、自らに神の祝福を受けた。

傷は癒えたように見えたが、タジオの背負った痛みは癒えたのだろうか。サチには、タジオが言う善悪も信仰も分からなかった。ただ、あたしを助けたことについて、理由を必要としてるのは分かる。少なくとも、彼は理由もなくあたしを救わないし、理由もなく傷付けることもしない。それだけで、あたしにとっては十分だった。
「どうせまた酒だって言うんでしょ。」
「ああ、よく分かったな。」
「それがあんたにとっての言い訳なの?」
「言い訳、というと少し違う。酒は信仰であり、百薬の長であり、愚痴を聞いてくれる友でもある。……おお、そうだな、今日俺は一つ気付いたことがある。」
「?」
「まだお前の快復祝いをしていなかったな!」
静かな教会に二人の笑い声が響く。タジオに対する警戒や不信はいつの間にか消えていた。他人に心を許すなど、かつてはあり得なかったこと。いそいそとタジオが何処からか包みを持ってくる。
「開けてみろ。」
それは、初めて他人から貰った贈り物だった。ガルーダ族の象徴である翼をすっぽりと覆い隠す程のローブ。
「いいの?」
「言ったろ、祝いだ。さっさと着てみろ。」
動きやすいよう、軽く丈夫な生地であることはすぐに分かった。これがあれば外を歩いても見咎められることは少なくなるだろう。
「うわぁ!ありがと!………タジオ。」
男はにっと笑って言う。
「よし。じゃあ飲みに行くか。サチ!」

前日譚04「冒険者たち」

「店主、ワインをくれ」
「ワインをくれー!」
酔いどれ僧侶とローブを羽織った少女が酒を片手に笑いあう。それを見咎めるような者はこの酒場には居なかった。サンライトヒルの酒場、もとい冒険者ギルドの主な客層は冒険者ではなく村民だ。だが、それでも村の他の公共施設と比較すると、ここでは色眼鏡で人を見るような者は少ない。冒険者は自由な存在であり、多種多様な種族が名を上げるために冒険者ギルドに訪れることは、この辺境の村においても日常的な光景だからだ。
「あんたら噂になってるな、トラエッタさん。」
酔い潰れたサチの方をちらりと見て、カウンターの奥から老人は呟いた。その言葉には不信こそあれど、教会で向けられたような敵意はなかった。
「ほう?噂、さぞ良いものだろう?」
「そんな訳あるか、この娘だろ」
「何か問題でも?俺は不貞を働いてなどいないぞ」
老人は笑わず、呆れたように首を振る。タジオは酒を煽り、言葉を続けた。
「それより店主、こいつを冒険者にしたいんだ。」
「正気か!」
タジオはじっと老人の方を見る。やがて老人は諦めたように溜息をついて台帳を取り出した。
「名前は?」
「サチだ。下の名前は知らん。」
「面倒事はごめんだ。仕事の斡旋はしないぞ」
「構わんさ。」
老人が冒険者登録をしている間、その手元をぼんやりと眺めながら思案する。サチは拳闘士として戦場を駆け回っていたと言っていた。大口の依頼をこなすのであれば、飛び道具の扱える冒険者は居たほうがいい。
「いや、店主。ついでだ。後衛を探している。」

アタシにとって銃は憧れと誇りそのものだった。手のひらに馴染む大きさの銃身から放たれる轟音と衝撃。魔導機文明に生まれたこの技術は、ひと目見ただけでアタシを魅了した。だが、鎧と剣の鍛冶仕事が主流であるドワーフの里において、この飛び道具の魅力に気付いた者は極々少数派だった。
愛銃を腰に下げ、カウンターで蒸留酒を傾ける。この銃のために資材をあらかた売り払ってしまったが、全く後悔はしていない。愛銃を片手に獲物を狩ってきたここまでの旅路もまた、腕試しには丁度良いものだった。隣に座った司祭とローブの少女は笑いながら酒を酌み交わしているが、どうにも訳ありのようだ。店内の視線を妙に感じるし、店主も困った顔して応対している。
「開かずの姫君は出てくるか分からんからな…。そこのドワーフの嬢ちゃんはどうだ?」
不意に、店主の視線がこちらを向いた。
「彼女は?」
「腰に下げてるもんを見な、あんたが探してる後衛だろ」
「名前を聞いてるんだ。」
酔い潰れたローブの少女を挟んで、髭面の司祭と目が合う。
「失礼、レディ。こちらから名乗るべきだったな。俺はタジオ。タジオ・トラエッタという。そしてこいつはサチ。」
「アタシの名はマードレッド・アイアンフィスト。マードレッドって呼んで。それで、何?後衛を探してるの?」
「ああ、そうだ。君も冒険者なんだろう?」
何を当たり前のことを、という風に愛銃を指差す。
「であれば話は早い。俺たちと共に依頼を受けないか?有り体に言えばパーティに入ってほしい。」
「その子は何なの?サチっていったっけ」
「こいつは前衛だ。」
「そういうことじゃなくて…いや、まあいいや。アタシも仕事が欲しかったの。でも、パーティに入れたいってんなら条件があるわ。」
「条件?なんだ?」
「………ここの酒代を奢って。」

グラスのぶつかる音が響く。酒は人々の心を麻痺させる。迫りくる危機に対して人々は我が身の不幸を嘆き、絶望した。だが、そのような中で絶望に抗わんとする者たちがいた。弱者救済を掲げ、何より自由を重んじた彼らを、人々は敬意を込めてこう呼んだ。
――冒険者、と。


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