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2019年10月。ソウルコンの夜にホテルで思ったこと。

2019年10月末。私はソウルに向かっていた。2回目の渡韓。まだ慣れない電車。正直、まだ本当にソウルコンに行けるんだ、という実感はなかった。ただ、この街にバンタンがいるんだ、と思った。近くにきてしまった。きっと彼らは今も準備しているだろう。長いツアーの終焉の魅せ方を。そのことを思うだけで、すでにちょっと緊張していた。

10/29その日、それまでと同様お天気はよかった。日本に比べたら寒いけど、冬みたいにすごく寒いというほどではなかった。正直、当日自分がどの服を着ていたのか思い出せない。私は結構そういうことを覚えている方だし、ライブのために多少服を選んだんじゃないかと思うんだが、本当に思い出せないから不思議だ。ただし、行動はとても思い出せる。私はそんなに早くから会場に向かうことはしなかった。ショッピングや観光をしたいわけでもなかったが、昼前くらいに出て、少しホテルある駅近辺をぶらっとし、フルーツジュースを買ったりしながら、ランチはとても美味しいチゲ鍋を食べた。そうしているうちに、現地で待ち合わせしていたライブ友達から何時に来るか聞かれたので、なんとなく会場に向かった。その間、私は正直ずっとこれから迎えるライブのことを考えていたし、始終ちょっと緊張していた。

会場のある駅に着くと、かわいいぐくの広告が出口までの壁をほぼほぼジャックしていた。成長を追ったような内容だったと思うが、物凄い規模で展開されていて、本国のファンの愛に早くも圧倒された。本国ってこういう感じなんだな、ってまず感じた瞬間。

会場周辺は広く、ファンがすでにあつまって、セルカしたりおしゃべりしたり、思い思いに過ごしていた。私も友達と合流して、おしゃべりしたり、スナックを買って食べたりしつつ、なんとなくベンチに座って映像を眺めながら、若干昼寝したりもした。開場時間になり、一応早めに場内に入った。3Fスタンドかなりの下手なのは元々わかっていたので、ステージの距離感は一切期待していなかったので、わかってますよーと言わんばかりのノリで、階段をたくさん登り、椅子を跨ぎ、とても小さいベンチ席になんとか腰掛けた。ステージを眺めたら、意外にも見やすく、距離感もさほど感じなかったので、ありがたかった。FILAがセンスの良いデザインのフリースを配ってくれたから、それも大事に椅子の下にしまい、アミボムとうちわ(こんな高いところから見えるわけないわって自分でツッコミながら、うちわも出そうかどうしようか迷って一応椅子の下に置いた)忘れちゃいけない双眼鏡。肉眼でも見えそうだけど、やっぱり双眼鏡は欠かせない。

友達を双眼鏡で探したり、眺めたりしているうちに、段々と日が沈んできて、いよいよライブが始まる時刻が近づいてきた。まばらだった周囲の席もほぼ完全に人が埋まり、私と同じような背格好、顔、表情まで同じようなファンたちがずらっと固唾を飲んでその瞬間を待っていることに、しみじみ共感めいた気持ちを持って眺めていた。そんな私たちの前に、彼らはさほど時間を押すこともなく、約束通りの時間、期待通りの麗しさで現れたのだった。ツアーファイナル、中でもオーラスだったこの日、メンバーの心中はどんなものだったのだろう。本国ペンさんたちのコールはとてもすばらしく揃っていて、メントへのレスポンスもよく、メンバーもやっぱり楽しそうで、もう本当に感動しどころがありすぎるくらい。自分が韓国語が全く理解できないことに絶望しながら、想像力で「もはやこういうことを言ってるに違いない」と思い込むレベルまで限界補足し、自分なりに精一杯楽しんだ。いや、楽しもうとしなくても私はもうすでに十分満たされていたし、心が、胸が、頭が、とにかくいっぱいだった。これほど自分の中で共感心がゆらゆらと燃え続けた夜はなかったといってよいだろう。バンタンの姿が眩しくて、その眩しさから目を逸らさないように、記憶に焼き付けたい、と思った。特に最後のメントの時はじわっと涙腺が緩んだが(結局マンネの涙に泣かされるのはもう仕方なし!笑)いたわり合うメンバーの姿がまた愛らしくて、本当にステージでたくさんの良い姿を見せてもらった気がする。ドローンや花火がエンディングを彩り、記憶への焼き付け作業を全力でフォローしてくれた。そうしてバンタンたちと同様、私のオーラスの夜も幕を閉じたのだった。

私はホワホワした気持ちで人波に逆らうことなく駅に向かって、そのままホテルまで直帰した。コンビニでおにぎりとビールを買ったのだが、ベッドに腰掛けてしばらくボーッとしていた。それからおにぎりを食べ、ビールを飲んでシャワーを浴び、髪を乾かした。その一連を行なっている時の気持ちは私は一生忘れることはないだろう。私はたまらなく満たされていた。心から満たされた感覚は、正直人生で初めてだったかもしれない。楽しくてもどこか頭で次の面倒臭いことを記憶している生活、何をしていても100%は没頭して楽しめない性格の私が、この夜だけは純度の高い幸せ100%以外のものは心になかった。満ち足りている、という感覚の宇宙に、私は一人で浮かんでいた。この夜にこんなに強烈に幸福感を感じる自分という人間が少し不思議にも思えた。私も人間という生き物の一人として、良い意味で孤独で、一人の人間として、自分自身の感じる幸せの感覚を味わいながら、個人として存在しているということをひしひしと感じる瞬間だった。私はこの感覚を思い出せる限り、我を忘れて不幸せな人間になることなく、幸せの感覚を忘れないでいられるだろう。そして私が、幸せとは何かを理解できないまでも、その片鱗を味わったことがあるものとして、少し心の平安を保ちながら一生を送ることで、私がもしかしたら世界に与えていたかもしれない悪い影響を少しだけ与えずに済むかもしれないということは、おそらく言っても良い気がする。だから、バンタンはこの夜、世界を、少し平和にした。

追記:その夜私が髪につけたヘアオイルの香りが、今も毎晩その時の感覚を思い出させてくれるのは本当に素晴らしいことで、一生愛用したいと思う。






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