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「波穂子」について 

 丁度一年前に、「波穂子」という小説を書きました。伊豆に舞台を置いた、ひと夏の話です。「波穂子」については、約二週間ほど、毎日帰りの電車の中でその日のぶんの展開を考えては寝る前に書くという、わりあい真面目な取り組み方が出来ましたが、それは、この小説の出来にかかわらず、当時の僕にとっての一つの収穫でした。そして当時を振り返ってみるとき、パソコンの画面に向かった僕の頭にはたとえばこんな光景が浮かんでいたことをよく覚えています。

 その部屋のことを彼はよく知っている。間取りはもちろん(といってもそれほど複雑なつくりじゃない)、家具の配置、夕陽の差し方、どの隅に埃が溜まるのか、お決まりの座り位置―けれど、その部屋は彼のではなかった。低いテーブルを挟んだ向かい、ソファのない部屋のベッドに背をもたせるその人がもうそこにいない。毛足の長い絨毯にお尻の痕を残して、今朝のスープだってまだ冷めきったわけじゃない。けれど、彼は突かれたように立ち上がると、鍋をシンクに開け、長い時間をかけて水で流してしまう。トマトの赤い色だけじゃなく、かすかな匂いさえもまとめて暗がりへ押しやってしまう。それから彼は、おもむろに戸棚から古くなった布巾を一枚取り出すと、水に濡らし、まずは足元から丹念に拭き始める。これからひとり棲むその部屋を少しでも心地よくするために、ではない。いつか帰ってくるかもしれないその人の喜ぶ顔を見るために、ではない。いつか先の、たとえば白く染まった寒い朝に、ふと羽根のように軽くなった気持ちとかんたんな荷物だけを抱えて、こだわりなくこの部屋を出て行けるように。

しかし、正直に言えば、僕はそのとき、「部屋を出て行くその時」までは、「彼」はいつまでもその部屋に棲んでいていいし、帰りを待つふりをしてそこに願いをかけてもいいと、そう考えていたのでした。ひとつ「彼」を甘やかすことで、洗われる心もあったのだろうと、素直に振り返ることができるだけの時間が過ぎたのでした。
 約十日間ほどの連載になると思います。どうぞよろしくお願いします。

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