「独特」

自分みたいな人間がいくらか集まっているところに落ち着きたいという思いと、自分のような人間が複数いることが悪くはたらいてしまう確信があって、落ち着ける場所にたどり着くことを諦める。

ある程度普通にしているつもりなのに「変わってる」と言われたり、共感が難しいのかと思うと「みんなそうだよ」と言われたりする境界がいつもわからなくて自分がどこにもいなくなる。自分が自分でいるままみんなに馴染みたいのに。どこに行ったらそこにたどり着けるのかわからなくていつも迷子になる。

日頃過ごしているところは、自分とは異なる存在を受け入れる前提があるのだと思って過ごしていたのに、その中でも馴染めていなかったのか「独自の視点」とか「独特さ」みたいな何か人とは違っているところを褒めるつもりで言及される。これは自分の感受性の問題なのはわかっているけど、人とは違う部分に言及されるときは何かがうまくいっていないか、「あなたは(普通な私たちと違って)何か変だよ」とよくない点として指摘されているように感じる。ある程度同質の存在として扱ってもらえていると思っていたのにそうじゃなかったとわかると、急に遠ざけられたように感じてしまう。

それぞれがそれぞれに異なった存在だとわかっているのに、わざわざ自分にだけその独自性を指摘されると、急に自分が他から理解されない異質のものになった気がして遠くなる。

「お前は変だ」と指摘されるから人とは違う何かができるのかと思ってみても、教室に2〜3人いるような異質さは全国の教室の数を考えると簡単に埋もれてしまう。埋もれるどころかそもそも何もできなくて、わざわざ指摘されるくらいに独自性があることは欠点になっていく。叩かれる程度に少し長さの違う杭。

「具体的にどんなところが独特だと感じるか」について聞いてみても具体的な話が返ってこないから、指摘されるだけされて掴めない自分の像ができていく。みんなには見えてるのに自分には見えない自分像があることだけがわかる。

掴めない部分の自分がどこにいるのかわからないまま、同じような語彙で説明されるような共通の理解で見られているのが怖い。共通の理解と自覚の齟齬がどうやったら小さくなるのかわからない。何が違っているのか擦り合わせたいのにできない。

思いつき・思い出・日記