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プロジェクト・トクガワ

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 徳川家 千四百十四代将軍 徳川家来(とくがわ いえらい)

 この時代にはもはや将軍家の権威はないに等しく、老中たちの掌の上のお飾りに過ぎなかった。この名は元服の際、家来自らが皮肉として名乗ったものとされる。

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 徳川家 千二百八十八代将軍 徳川家庭(とくがわ いえにわ)

 小さいながらも住み心地のよいマイホームを持ち、妻と二人の娘を愛する平凡なサラリー将軍。しかし、激動の時代は彼を否応無しに戦乱へと引きずりこんでいく。

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 徳川家 千百九十三代将軍 徳川家戦(とくがわ いえいくさ)

 戦なくして何が将軍か。誰よりも戦を好み、戦場に身を置くことを望んだ彼が選んだ道は、当然ながら安定した政治などではなかった。『戦のための戦』の時代の幕開け。

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 徳川家 千百九十二代将軍 徳川家圀(とくがわ いえくに)

 「理想の国作りを成し遂げるためにはただひとり将軍のみが強くなくてはならない」と考えていた彼は、ついに政治の実権を老中たちから取り戻し、長きにわたるお飾り将軍時代に終止符を打った。

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 徳川家 千二十四代将軍 徳川家電(とくがわ いえでん)

 無類の新し物好きとして知られた。舶来のエレキトリカル・ファニチュアの普及を推し進め、民衆はそれらを家電の品と呼ぶようになった。

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 徳川家 千代将軍 徳川家千(とくがわ いえせん)

 仙台への遷都を目論んだが、果たせなかった。

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 徳川家 九百九十九代将軍 徳川家家(とくがわ いえいえ)

 繰り返しを好んだとされる。繰り返しを好んだとされる。繰り返しを好んだとされる。繰り返しを好んだとされる。繰り返しを好んだとされる。

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 徳川家 八百代将軍 徳川家嘘(とくがわ いえうそ)

 誰も彼を信じなかった。

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 徳川家 七百七十七代将軍 徳川家幸(とくがわ いえらっきい)

 徳川の埋蔵金(何代将軍が埋めたものかは不明)が発掘され、江戸の町は史上屈指の好景気に恵まれた。このころ、ポストネオ町人イズム文化が花開く。

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 徳川家 七百六十四代将軍 徳川家須(とくがわ いえす)

 二十代前の将軍の治世を懐古した老中たちは、将軍に実権を持たせず自分たちだけで政治を牛耳るようになっていった。約四百代に及ぶお飾り将軍時代の幕開け。

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 徳川家 七百四十四代将軍 徳川家叡(とくがわ いええい)

 テンションが高く、「イェーイ!」が口癖。悪意ある老中たちによって全て「いいえ」と言ったことにされ、幕府の政策はことごとく滞った。

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 徳川家 六百六十六代将軍 徳川家亭(とくがわ いえてい)

 体長およそ七尺ほど、全身が長い毛に覆われ、直立二足歩行を行うとされている未確認将軍。蝦夷の地にて巨大な足跡が発見されている。

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 徳川家 五百七十八代将軍 徳川家上杉謙信(とくがわ いえうえすぎけんしん)

 上杉謙信マニア。上杉謙信の故事に倣い、敵に塩を送り、ついでに味方には砂糖を送ったが、「砂糖で米が食えるか」と一揆を起こされ、失脚した。

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 徳川家 四百四十四代将軍 徳川家【不明】(【不明】)

【抹消】

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 徳川家 四百四十三代将軍 徳川家?(とくがわ いえ?)

【この将軍についての情報は閲覧を禁じられています。】

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 徳川家 三百三十三代将軍 徳川家三(とくがわ いえぞう)

 三題噺を大の得意としたが、落語の腕前だけで勤まるほど将軍職は甘くなかった。

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 徳川家 二百二十二代将軍 徳川家猫(とくがわ いえねこ)

 当然のように『猫公方』と呼ばれた。だが当人はハムスターをこよなく愛しており、江戸城内に決して猫を入れるなと厳命した。

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 徳川家 百代将軍 徳川家百(とくがわ いえひゃく)

 記念すべき百代目の将軍。百姓の間では百せんべい、百まんじゅう、百だんご、百薬の長などが流行し、百戦錬磨にして百発百中の武士が百人登用され、百家が争鳴し、百鬼夜行の出現が百回記録された。

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 徳川家 八十八代将軍 徳川吉宗其之三(とくがわ よしむねそのさん)

 「より繋がりの深い数であればよりオリジナルに近い将軍を呼び出せるのではないか」という予測が一度だけ禁忌を破らせた。そしてその甘すぎる予測は最悪の形で裏切られることとなった。

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 徳川家 八十四代将軍 徳川家端(とくがわ いえはし)

 先代がいろいろやらかしたために肩身が狭かったとされる。

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 徳川家 八十三代魔王 徳川家闇(とくがわ いえやみ)

 地獄より顕現せし全ての邪なる者たちの王。数多の眷属を従え、魔界へと変貌した江戸において恐怖を以て圧政を敷いた。更なる力を求め、悪鬼羅刹の軍団を率い京都へと攻め入ったが、その末路はいかなる史書にも記されていない。

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 徳川家 六十四代将軍 徳川吉宗其之二(とくがわ よしむねそのに)

 これ以降、過去の将軍の魂魄を呼び出して再び将軍職に据えることは禁忌とされた。

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 徳川家 四十一代将軍 徳川家経(とくがわ いえつね)

 この頃はまだ「あー、言われてみればそんな将軍いたような気がするなあ」程度の改変に留まっていた。

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 徳川家 二十二代将軍 徳川家内(とくがわ いえない)

 奥方に頭が上がらなかったとされる。

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 徳川家 π代将軍 徳川家円(とくがわ いええん)

 本来は徳川家三点一四一五九二六五...代将軍と表記させることで歴史の教科書を記述できなくするための将軍であったが、算術の発展のほうが歴史の教科書の発展よりも早かった。

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 徳川家 零代将軍 徳川家塗 (とくがわ いえぬる)

 秘密裏に進められた『プロジェクト・トクガワ』の真の目的は、零代将軍を定義・擁立し、江戸時代以降の歴史を改変することであった。しかし計画はサイバー陰陽師の介入により完遂間際で崩壊。家塗は《初めからいなかった将軍》として曖昧なまま再定義され、歪められた江戸時代が始まった。

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 徳川家 千五百代将軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)

 歴史という事象は、それそのものが強い復原力を持つため、生半可な改変程度では既に一度進行してしまった未来から逃れることはできなかった。結果として、最後の将軍・慶喜が大政奉還および王政復古の大号令を行い、千五百代続いた徳川幕府は終わりを告げた。

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