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ZINEを作った


今日はZINEを作った。正直ZINEって何?というところからのスタートだった。
ZINEとは、「個人または少人数の有志が、非営利で発行する自主的な出版物のことである」(wikipedia)らしい。

とにかく、私の怒りや苦しみを書けばいいのだなということだけ了解し、思っていることを表現した。

<私がムカついていること>
その1:男女二元論で「生理」を語ること
生理って「女性」だけのものなのですか?「女性」ならば生理があるのが当然なのですか?フェムテックは「女性」のためのものなのですか?
すごく頭の中に「?」が並んでいるままで過ごしていた。
ZINEには、男性でも生理がある人がいること、ノンバイナリーを排除する可能性のある言説であること、そして、生理を女性性の象徴として扱うことを助長することばであることを思いのままに書き連ねた。

その2:ネオリベが生理の領域に介在してしまうこと
自己責任論、自助努力と言って、生理を自己管理の問題だとしてしまうのは、結局自己責任論の再生産となるだけで、どんどん生理がある人が健康不調を言い出せない空気を醸成してしまう。
「『女性』の『自己管理』の問題」として、生理の健康問題どんどん個人化してしまう言説は、本当にムカついてしまう。

その3:入管法改正案の参議院での可決
あんなに国会前で声を挙げたのに、渋谷の街を歩いたのに、結局改悪案が可決されてしまった。大学でも抗議の声があがっていたのに、連帯をすることができなかった。自分の無力さを突き付けられた。
そして、この結果に苦しみを感じていたとしても、可決されたことによって直接的な被害を被ることもなく、安心して生きていける自分の特権性も自覚する。

そういう風な社会に対する怒りを怒りのままに表現することはしてこなかった。「もっと怒っていい」と思っているはずが、感情をむき出しにして怒らずに理性的に生きている方がかっこいいと感じていたのだ。しかし、私の「怒り」という感情は、社会変革の原動力であり、とてもそのような「怒ってはいけない」という社会規範に鎮静されていいものではないということに気が付いた。
だから、あえて怒る。怒りを共有する。
それが自分を大切にし、自分の感情をなかったことにしない、健全な人間の生き方なのではないかと考えた。

またZINEを作りたい。
怒りを表現する方法を覚えた。



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