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黄金のレガシー感想

 FF14 黄金のレガシーのメインストーリーをクリアしたので感想をしたためます。シナリオに点数をつけるとしたら、自分は7.5/10点くらい。(漆黒は10点、暁月は6点でつけました。)
 良い要素はたくさんあったけど、強引に感じる部分も多く、もったいないなぁという気持ちがありました。少し違えば漆黒と同じくらい好きになれた可能性があった。

 以下はストーリーに若干沿いつつ個別に思いついたことを書きます。
 ネタバレしかないです。たっぷり1万5千字以上あります。






王位継承戦

 巷では批判的な意見の多い王位継承戦、自分は別に嫌だとか退屈だとかは感じなかった。出来レースというのは否定できないけれど、お話としては普通というか、後の展開の為に継承候補4人の人となりを知る為のもので、この道のりが効いてくるんだろうなと端から思っていたので。長いという意見もあるけど、個人的にはもっと長くても良いくらいではあった(それがゲームとして面白いかはさておき)。継承戦が終わった段階で、もっと知りたかったなーと感じた。家族の関係とか、候補者達の過去や葛藤とか、もっと掘り下げてあげれば道中の評価ももっと良かっただろうし、展開としてももっと良かったんじゃないかなー。

ウクラマト

 結構嫌われているらしい。自分は別に気にならなかったけど、まあこういう猪突猛進コミュ強キャラってのがそもそも賛否ある方だし、現代日本は失敗や弱者を排したりする風潮も強いし、行動が伴ってないことへの風当たりが異様に強いので、ある程度は仕方ないのかなーとも思う。加えてウクラマトと別行動になることが全くなく、主人公だからといってもスポット当てすぎで鬱陶しく感じる人が多かったのかな。最初は強がっていたけど弱音を吐いて信頼して強くなって~というのは定番の流れではあるけれど、例えば弱音吐くタイミングもっとあっただろとか、あからさまな罠でさらわれるなよ(自分らも一応護衛対象である奴を一人で行かせるなよ)とか、さすがに何もできなさすぎじゃないかとか、まあもっと良くできたよなとも思う。
 とにかくウクラマトを好きになれないと物語も好きになりづらい構造であったにもかかわらず、万人から愛されるキャラになりきれてなかったのが、黄金のシナリオが賛否両論な原因なのかもしれない。みんなの笑顔!みんな大好き!って台詞ばかりなのが、より"国民が好きという設定のキャラ"感が強くなってしまっているというか、ああウクラマトは本当に国民が好きなんだなぁって感じる台詞や行動が少なかったというか……。知れば好きになる!知ったらそれって素敵!笑顔が一番!ってのが妙に説明的だと感じたかなぁ。そんなこといちいち言わなくても、次の祭りも参加していいか?とか、この料理他の地域にももっと広めようぜ!とか、そういうクエスト作るとか、それでみんなが笑顔になったのを改めて嬉しそうに見つめるとか……好きになったことを表現する方法は色々あったんじゃないかと思う。
 あと国民が好きってキャラの割にあまりにも無知すぎたのはちょっとなーと感じた。最初からその部族や文化については結構知っているけど背景は知らなかったとか、文化を理解せずに無理に事を成そうとする他3人を制するとか、そういう役目の方が良かったような。どの試練も全然その種族について知らなくて知るところからスタートだったので、知らなくても好きになってもーてるやんってなるし、まあ好きだからもっと知りたいとかはよくわかるけれど、そもそもとして全然知らんのかよってなってしまうのはちょっと印象が悪いのも仕方ない。ウクラマトは「グルージャジャから人を愛する心を継いでいるけど、実力不足で未熟故に強がってしまう、力を持った兄達と自分を比べてしまう」というキャラだし、最初からもっと知識があってもよかったと思う。知識は理の領分でウクラマトは武の担当って事情もあるかもしれないけれど、コーナは所謂先鋭技術的な領分を知として台頭していたわけだし……。実力も、なんか急にバクージャジャにタイマンで勝ったりしてて唐突感があったので、元々力はあるけど萎縮しているとか、補い合うことを知って自分の得意分野の武に注力できるようになった(修行した)みたいな話があれば、もっとスムーズな理解が得られたのかもなーと思った。デュナミスがある世界なので一応そういうことなのかなと思うことで納得はしてるんだけど。
 何にしても別に悪い印象はなかった。特に好きなキャラになったということでもないけれど。スタート地点は後ろすぎても、ちゃんと成長していたし、余計なことするわけでもないし。この子はそういう子なんだと思って見ていた。まあ継承戦で競合してるとはいえもうちょい兄にも頼る描写とかあっても良かったかもね。

バクージャジャ

 候補者達の掘り下げが少ないという話の続きで、バクージャジャ(というかマムークの人たち)改心早すぎ問題があった。もちろんマムーク全体に「こんなこと続けるべきなのか?」って思いがあったからこそバクージャジャの敗北をきっかけに崩れたということなんだろうけど、双頭の教えが広まってから80年近く経っているということはその文化で育った人間が多いはずなので、その教えに疑問を持てていたのかはかなり疑問(当事者のミラージャが苦しかった、というのは自然な流れだけど……)。マムークが貧しくて苦しんでいる感じもあまりしないし……イクブラーシャの人たちがもっとマムークの貧しさを気にかけている表現があれば印象が違ったかもしれない。そもそもマムークは自分たちが国を支配したいのではなく貧しささえどうにかなれば良くて、その為に双頭にすがっているんだから、バクージャジャが力をつけた時点でイクブラーシャに攻め入ればいいし、でも双頭の教えって双頭がすべてに勝るみたいな話なので=王になるべしというのも理解できて、なんかその辺ちぐはぐ感があるなーと思った。思想自体も何か曖昧というか、いまいち信仰しきれていないというか、バクージャジャだけじゃなく周囲ももっと、双頭が負けるわけない!バクージャジャがすべての救いなんだ!お前らは何もわかってない!って気持ちになっていておかしくないんだけどなーって思ってた。
 こういうところの描き方は暁月でも引っかかっていて、FF14のシナリオは全体的に文化や思想への認識が甘いというか、日本的な考え方だなぁと感じることが多く、結構違和感がある。既存の文化はこの環境この境遇だからこそこの思想が生まれた、ってちゃんと設定作ってるのに、いざそれを変えたりする時にはなぜか思想を先に描こうとする。設定にもある通り、環境があるから思想があるんでしょ。バクージャジャの敗北+ヤクテル樹海でも育つ作物があったり他にも色んな技術の導入で環境が変わる(貧しさから脱却できる光明が見える)+多くの犠牲が必要なことが周知されて初めて思想にも呼びかけることができて、「こんなに犠牲多いの嫌じゃね?」「双頭の教えいらなくね?」って思いが生まれるのが自然だと思う。(一応それっぽく描こうとしてる感もあったけど、最初から疑問を持っているのと環境が整ってからそれが芽生えるのは全然違う。)
 バクージャジャも、自分は選ばれた人間で、選ばれなかった(死んだ)兄弟達の為にも負けられないと思っていた背景は良かったけど、どうしても急に折れて急に心情を吐露したように見えるのが残念に感じた。まぁこういうキャラが脆いってのは定番ではあるけど……もっと俺はまだ負けてねぇ!ムーブしても良かったと思うし、もっとなりふり構わない感じとか出して欲しかった。道中で直接的な描写をもう少し入れておいても良かったんじゃないか?負けるまでのバクージャジャって粗暴で卑怯なだけのキャラに見えてしまっていて、改心してからは良い感じのアニキ系キャラに変化してたけど、結局ヴァルガリマンダを解き放ったことについては触れてないし、今までの振る舞いを反省してるような話もなかったので、OKなのか?和解描写とかないのか?という気持ちがあった(自分は罪に対して罰が必ずしも必要とは思わないが……)。そこまでやる背景をちゃんとわかる形で描写するとか、あるいは劣等種のことなんざ知らねぇ!なキャラで突き通すとか……なんかこう、都合の良い部分が目立ってるように感じてちょっとなーって思った。その辺の整合性もとって欲しかった(もしかしたら7.xとか秘話とかで追加があるのかもしれないけど…)。ウクラマトとは違う意味で、好きでも嫌いでもない何とも言えないキャラって感想になった。

ゾラージャ

 双頭から初めて生まれた奇跡の子、偉大な父の血の証明である見た目と強さを持ち、それ故に父を越えなければならない、俺がやらなきゃいけない、こんなものでは父を越えたことにならない……それをずっと求め続けるあまり、他者や周りが見えなくなって、一生追いつけない幻を追い続けて超えるべきものが何なのかもわからなくなって、暴挙に出て討伐される。自分を見て欲しい!ってのはまあよくあるお話ではあるんだけど、そこの苦しみ方やもがき方が(描写の不足はあれど)ちゃんと哀しくて良いキャラだったと思う。「奇跡の子などいない!!」とか「俺は父上から何も継げなかった」とかの台詞は、お前…!お前…!とすごくぐっときて好きだった。
 だからこそグルージャジャとの一騎打ちとか、もっとやりようがあったんじゃないかなーというシーンもあって残念に思う。一騎打ちは魂技術を見せる場面でもあったし、そのままでは父を越えられないというのもわかるけど、年老いたグルージャジャなら別に倒せても、せめて互角でも良かったんじゃないかなー。それでもゾラージャは自分が父を越えたとは認めなかっただろうし、プレイヤーだってゾラージャがグルージャジャを越えたとは思わなかったと思う(理王いないし)。なんかただただ借り物の力でイキってる奴みたいな表現になってたのがとても残念だったし、復活して変化して倒すまでの間他のメンバー何してたん?とかって疑問も生まれない展開にできたと思う。まあこの展開だからこそゾラージャは永遠に壁を超えられなくなった、という表現にもなっていたわけだけど……やっぱりそこまでする必要があったか?と思ってしまう。そこはゾラージャの認識の話なので、物理的にそうしなくても……と。というかそれならそれでそういう描写をもっとして欲しかった……。
 そもそもゾラージャがこうなってる原因はグルージャジャが偉大すぎるせい&グルージャジャが心を正しく伝えられていないせいだし、グルージャジャもそれを理解している節があったんだから、試練で成長して欲しいってのはわかるもののそれって他人に丸投げしてないか?って気持ちもあるし(好意的に見ればこれも愛情表現のひとつだけど)、最後ゾラージャに対してもっと言うこととかないんか?とも思った。ここがグルージャジャ上げゾラージャ下げみたいな感じのシーンになってしまったのは、まだゾラージャへの理解が足りてない当時でさえ、ちょっと卑怯だな、ここまできてもまだゾラージャにはスポット当てないのか?悪役とはいえもっと語らないか?それともこれから語られるのか?と思っていた(結局そこまでちゃんとは語られなかった)。
 とにもかくにも描写不足を感じた。もちろんある程度は相互理解を拒否する存在、理解できない存在として意図的だとは思うものの、ウクラマトやグルージャジャからの印象や思い出話などもほとんどないので、あまりにも何もわからんキャラになってしまっている気がした。変身シーンとか、相当双頭コンプレックス(激ウマ)あったんだなぁ、なんて哀しい奴なんだとはなるけれど、わからない・理解を拒む存在としての情報をもっと落としといてもそこの印象は変わらなかっただろうし……。なんというか、溜めを作って最後に解禁されて見てる側の感情をドーン!と爆発させる構造のはずなのに、あまりにも描写が少なくて、わからんキャラとして理解されていない、ただただよくわからんだけの存在になっていて、いまいち溜めになっていなかったような……少なくとも自分にはそう感じられた。
 外征も然りで、結局父親越えをしたかっただけの中身のない目的だというのはわかるのだけれど、そもそもゾラージャが語る外征の目的が謎理論すぎて、それなんだったん?感がすごい。痛みを知って平和のありがたみを~って何度か言ってたけど、今こうだから平和の重要さを説く、となるところの"今こうだから"がないから論理として破綻しているというか、単に説明不足感しかないというか、とにかく意味が不明だとしか思えなくて、それはそれでそういう話でいくなら誰かがちゃんとツっこんで欲しかった。説明もつっこみもなかったら、何で誰も真意を聞かないの?今平和じゃんって何でつっこまないの?って印象しか抱けないよ……と思った(そもそもFF14はこういう、何で疑問に思わんの?みたいなシーンが結構あってまかり通ってしまっているので、ああまたなぜか誰も疑問に思わないパターンか……となってしまい、異質なものという認識ができない)。例えば平和ボケしていて表面上は仲良く見えるけど意外と火種がくすぶっているとか、グルージャジャを軽視したりするような奴がでてきてるとか、そういう背景があっても別に良かったんじゃないの(そしたらちゃんと民を見てることになっちゃうからダメか?)。あるいは「外の世界では未だいざこざがあるらしいからトライヨラがすべてを制圧して俺が平和にする!」とか、なんかそれっぽいこと言ってるけど平和のありがたみを知らない未熟さや親父越えをしたいだけなんだなーってわかりやすいような目標にしてもよかったんじゃないの、と思う。どうせそれを否定したりふいにしたりすれば、ゾラージャにとっての理由や意味があるわけではない、中身のない目的だったということは強調できるんだし……。まぁ、"実は父親を越えたいという想いしかないキャラ"ってのは最後まで秘密にしたい、終始理解できないキャラにしたい、ということだったのかもしれないけど……。
 ということで、思いや葛藤や辛さなど色々美味しくできる良い設定があったにも関わらず、それが上手いこと落ちていなくて、とても勿体ないキャラだなぁと思った。想像で補う部分というと聞こえが良いけれど、想像で補うってそういうことじゃねぇよ!コアな部分はちゃんと見せて、魅せる展開にしてくれ!という気持ちがあった。もちろん、どこまで説明するのか、というのはシナリオ作成において本当に難しい部分だとは思うのだけど、そこを詰めてきて欲しかった……。キャラ自体はとても良かったし、表現の難しいカリスマ性みたいな部分は少しではあるものの上手く作れていたと感じるだけに残念に思う。

コーナ

 コーナだけ書かないのもなと思って一応項目に起こしたけど、特別キャラについて書きたいことはない。技術すげー!になって文化破壊しちゃうとかは現実にもよくある話で、そこから順当に成長していったのでまあ普通の正統派優等生キャラだったと思う。ただウクラマトにばかりお熱で、ゾラージャのことは全然気にかけないのか?とちょっと思った。なんかゾラージャの孤独さを強調しすぎて、家族としてどうなの感が出てしまっていた気がする。あと、コーナの目標って王にならなくても達成できるよね?誰も指摘しないのかな?と最初からずっと思っていた(王になる前から技術導入してるし。これも前述の、FF14にままある"なぜか誰も疑問に思わない現象"のひとつに感じられた。)継承戦負けたら追い出されるわけでもないんだし……。
 食の試練でコーナとウクラマトが組になるのはちょっとやりすぎだなーって思った。コーナは十分描けていたと思うし、あそこはゾラージャやバクージャジャと組ませて、どちらかを深堀りする機会にして欲しかった。例えばウクラマトはゾラージャと組んで、ゾラージャは葉っぱなんか代替すれば良いって言うけどウクラマトが諦めずに見つけてきて突破するけどゾラージャはくだらんみたいな感じで理解せず終わる、バクージャジャは料理のこと最初から知ってるだろうしそれで葉っぱについてでコーナと揉めたり先走ったりしてどうとかこうとか、みたいなのが良かったなーという妄想。ゾラージャ兄さんも興味なんかなかっただろうはずなのに、そこで諦めてしまった自分と比べて、兄さんさえも巻き込んでしまえるラマチが王に相応しいとか思って欲しかった。ゾラージャはここで勝っても親父の幻影に負けて失格になるのは避けられない運命だろうし、飯で土つけなくてもやりようがあったと思う。食べるのだけ拒否して先行けば、先に戦ってても不思議じゃないし。あるいは別にウクラマトが負けても良かったよね。自分がついてるとはいえ、ウクラマトに壁が訪れるシーンがなさすぎた気もする(それでも成長は描けていたが……)。
 あとは船団への対策がドラゴン呼んでくるだけだったのは、ちょっと面食らった。シャーレアン仕込みの知識とか技術とか、試練で得た民の理解とか関係ないんかい。みんなが協力して(ここに民の理解があるのが効く)、なんか防護壁みたいなの(ここに知識や技術が効く)作って、ある程度対策できたけど船そのものには手が回らないからドラゴンに手伝ってもらう……とか、そういうのじゃないの……?それが理王である彼の活躍としてみんなが見たいシーンなんじゃないの……?列車突撃で全員集合なんてやらずに、ここでやって欲しかった。ここまででも色々書いたけど、黄金のシナリオはこういう、それでも通るっちゃ通るけどうーん、となる展開が随所に見られるのが残念なポイントだった。

荒野

 ここ必要だった?本当に存在していた意味がわからない。というかそもそも試練が南側だけで完結してて、北側行かなくて良いのはなんで?って説明時点からずっと思ってて、北側もトライヨラの認識だったけどもしかして違うのか……?となっていた(認識は合っていたのでますます理由がわからない。グルージャジャも北側行ってないと統一できてないはずだし)。西部劇は試練のひとつにしちゃだめだったのか?あるいはこの地域の代わりにアレクサンドリアの描写増やした方が良かったのでは?という気持ちしかない。突撃も全員集合をやるのには弱いシチュエーションだったし、なんかここだけすごく浮いてるように感じた。結局西部劇のシーンも列車突撃のシーンも、振り返ってみても存在意義がわからなかった。緩急をつける為だとしたらただただ失速させただけだったのでは……。

新生アレクサンドリア連王国

 世界救った後にどでかいことって何かあるのかなぁと思っていたけど、鏡像世界との融合&侵略にしてきたのはなかなかおもしろかった。一応その前にゴルベーザも侵略はやってきてたけど、ヴォイドはもともとしょっちゅう穴あけてきてたし、普通に滅ぼしにくる、逆にこっちから防ぎに行くみたいな感じだったので、印象は結構違った(最終的には鏡像世界のリビングメモリーには行くけど、趣が違うというか)。魂と記憶の仕組みは暁月でもやっていたので理解もしやすく、その知識とエーテルを分離したり転用するような技術ができたらそうなってもおかしくないよなぁというSF的な世界作りはとても好きだし、王位継承戦とウクラマトのテーマである"知ること"がいきすぎて誰も死なせなく(殺せなく)なってしまい、ユートピア的な世界なはずなのに逆にディストピアを感じさせる、良い舞台になっていたと思う。
 ただ、歪な永久機関的な世界観はSFでは結構ある話だけれど、あまりにも破滅に向かう速度が早すぎるシステムじゃないか?とは思った。さすがに運用に難がありすぎるというか、それくらいは作る前に予見すべき項目な気がしてならなかった。最初に魂と記憶の分離を説明された時、ん?これ魂どうやって増やすの?減る一方じゃない?なんかおかしくないか?破綻してないのか?ってまず思ったし、その魂エーテルを得る為に別の鏡像世界へ侵略するという話には納得感があったものの、いやそれは衝撃の事実!みたいな描き方ではなくシステムを説明した時点で「それって魂エーテルの消費激しすぎるけどどっから調達してんの?」って疑問を持つべきでしょ、「もしかして侵略ってその為……?」って容易に想像できるでしょ、と思った。特に解決策も持たずにスフェーンにも何か事情があるはず、スフェーンの気持ちを知りに行く!よりも、侵略は許せるわけないけど話せば落とし所が見つかるかも!とりあえず実体化やめないか?みたいな流れの方が自然だったんじゃなかろうか。なんかこの辺大筋に引っ張られてるというか、うまく整理できてないような違和感があった。暁月の時も思ったけど、プレイヤー側が急に察し悪くなると物語の都合を感じてなんかなーと思う。
 ともあれ舞台装置としてはとても良く出来上がっていたと思う一方で、アレクサンドリアの生活やリビングメモリー内についてはもっと尺を割くべきだったと思った(だからこそ荒野が本当にいらない)。何が良くて何が悪いのか、どういう問題があるのか、現地の人たちはどう感じているのか、何を考えてるのか、もっと描くべきだったんじゃないのかなぁ。相互理解をテーマにしている割に、自分達には受け入れられない価値観だ、というところで最初から止まっていたのがあれ?と思った。リビングメモリーなんて特に、もっとその環境や再現された人たちと話して理解をした上でならまだしも、元々領土拡大によるエーテル略奪に反対していた(この環境を維持する方法がそれしかないので、要はこの環境そのものを否定している)少数派のカフキワの提言だけでシャットダウンを選択するのは、ええ……いいのか……?となった。しかもスフェーンが葛藤しながらも涙ながらに守ろうとしてるものを、今しかチャンスがないからって勝手に消していくし……(話してもダメだった、話せる状態じゃなくなったとはいえ……)。最終戦でもスフェーンがそれについて怒り狂ったりもしないし……人格消したことになっているとはいえ、無機質な中にも怒りの表現とかあっても良かったと思うんだけど。
 ちゃんと実体化された住民に話を聞いて、生前の後悔を解消できたからもう満足できてる人とか、永久人はエーテルについても理解していたようだし、自分は幸せだけど他人の命で実体化されてることに迷いがある人とか、スフェーンに感謝はしてるし素敵なところだけど他者の命を奪ってまで存続したいとは思わないって人とか、そういう"幸せではあるけれど永久を望んではいない人"が実は多くなっているような描写があった上でシャットダウンするとか、だからスフェーンに「もういいんだ、これがいびつなのはみんなわかってるんだ、最悪の王になる必要なんてないんだ」って方向に持っていくとかしないと、ただただ隙を見て虐殺してるだけになってしまっているような気がして、これ大丈夫なのか?と思った。あるいはスフェーンが"最悪の王"として最後にシャットダウンを選択する展開でも良かったと思うんだよね……。クルルの両親やカフキワとの別れのシーンはとても良かったし、当事者が消すというのも悪くないシーンではあったけど、相互理解って当初のテーマが完遂されていない感じがしてもやもやも感じた。理解はできても同意・合意はできない存在としては不十分な描き方だったと思う。最後までスフェーンと自キャラやウクラマトが意思疎通できてた感じもあんまりしなくて、自分は神視点だしスフェーンを理解できてると思うけど、ウクラマト達は理解できてるのか?ってなった。結局双頭の教えもそうだけど、想像で作った異文化を理解・解決する部分の詰めが甘い感じがしてすっきりしなかった。
 というかそもそもシャットダウンする必要はあったんだろうか?先にも少し書いたけど、記憶を留めるだけなら魂エーテルいらなそうだし、とりあえずは実体化しない状態を目標にするのでもよかったんじゃないの?暁側は一旦それで留めようとしたけど、スフェーンがやっぱりこれは歪でここだけ止めててもダメだからって言って消しちゃうとか……。理想郷に見える歪な世界が消えていくところが最大のエモを生み出している部分だから、消すって展開に持っていくのは全然良いけれど、ここもなんかもっと良く・感動するような見せ方があったんじゃないかなー勿体ないなーと強く感じた部分だった。
 まあなんか色々書いたけど、綺麗さ、儚さ、虚しさ、歪さ、死後の世界があったらというif、それらを消さなきゃいけない切なさ、別れのシーンなど、良いところは本当に多かった。ともすれば完全に別の話になりそうなのに、王位継承戦の流れとしてスフェーンが"知ること"をちゃんとやっている王でそれ故に苦しんでいるところとか、ゾラージャが武力で国を穫ったはずなのに理由つけて連王国にしてしまってるところとか、テーマをちゃんと絡めて物語を作ってるのはさすがだなーと思った。FF14は見せ方に波はあれど感情の作りに関してはかなり丁寧なので、キャラの感情に多大な興味が向いている自分には合うなぁと思う(自分は"舞台や設定はキャラの感情のための装置"という派閥に属している)。だからこそ多分、黄金のストーリーに対して自分はそこまで否定的な気持ちにはならないんだと思う。ここまで振り返った通り、単に展開だけ見ればやっぱり粗は多かったかなと思うし。
 しかしこのエリア本当にこの先ずっと消えたままなのかな?強くてニューゲームとかでまた理想郷の風景にはできるようになるのかな?あるいは一瞬でも理想郷状態に立ち返るクエとか出てきたりするんだろうか?めちゃくちゃ良い風景だったからまた見たい、撮影したい、あそこでちょっと過ごしたいみたいな人多いと思うんだよね。本編で復活したら台無し感あるので、強くてニューゲームか、何かしらの方法でちょっとだけ、一応過去の幻視とかで行くことができる、程度が落とし所かなぁ。

ところで夏休みとはなんだったのか?

 なんだったん?
 王位継承戦の評判が悪いことについて、キャッチコピーで謳われていたような夏休みだとか、新大陸の冒険!感がないことも問題の一旦なのでは?と思っている。キャッチコピーに偽りありというか、当然王位継承戦に参加すること自体は事前にわかっていたけど、終始ウクラマトの道のりに同行するだけで、未開の地というわけでもないし、夏休みのようにのんびりするわけでもないし……まぁ漆黒暁月のような逼迫感はたしかになかったけど。冒険感は薄かったなーと思うので、それを期待していた人には「思てたんと違う!」となっても仕方ないと思った。しかし継承戦のどこが夏休みだったんだ?まじで。候補者達は人生に関わる超大事で真剣な舞台じゃないの。自分は結構真面目に受け取ってたんだけど、自キャラやアルフィノやアリゼーは休み半分だったのか?それはなんかやだな。
 正直プレイヤーが主人公してないという点については、別にそれはそれで良いじゃん派なので別に何も思わないけど(そもそも自キャラを自分だと思ってないし、自キャラ以外にも感情移入するので)、プレイヤーが物語の中心であって欲しいという人は当然いるだろうし、だからこそ主体的に色々できそうな期待を煽る言葉は、実際はそうじゃないなら使わない方が良かったんじゃないの、と思った。
 自分は上述の主人公問題も特に気にしない方だし、キャッチコピーも全然気にしていなくて、冒険できるぞ!みたいな気持ちは全くなかったので、素直に物語に入っていけた。というかキャッチコピーに関しては、なんというか、PLLとかで話聞いてても全然期待持てていなかったので……単にコピーとしての出来が悪かったような気もしている。

暁メンバー

 暁月までで暁メンバー飽きたって声が結構あったことは知っていて、だからあんまり出しゃばらせなかったのかな?しかしサンクレッド・ウリエンジェと全く勝負とかしなくて、彼らと敵対(競合)します!とはなんだったのか……これもキャッチコピーに偽りありでは?と思った。
 ついてくるのは通しではウクラマトとエレンヴィル(2人は暁じゃないけど)とクルル、前半はアルフィノアリゼー、後半はグラハだけだったけど、ウクラマトやエレンヴィルに比べてクルルの印象が薄すぎる……。もちろん主人公はウクラマトだからある程度は仕方ないにしても、クルルももう少し自己主張してええんやで……と思っていた。普段は大人しいけど両親の話がでてきたら食いつきが強くて、というのはクルルの性格を表していた……と捉えれば良くも思えるけど、それにしたってもう少し中心になっても良かった。とは言えまぁあんまりおじいちゃんおじいちゃん言ってきてたら鬱陶しかっただろうし、これくらいでも良いのかも?両親のシーンで自我出してきたのすごく良かったし。
 意図的に存在感を薄くしたという前提で、アルフィノとアリゼーなんかは存在感あまりにもなさすぎて、これはついてきた意味がないのでは……と思ってしまった。ウクラマトは別に目立ってても良いんだけど、クルルもエレンヴィルくらい存在感があっても良かっただろうし、暁メンバーももうちょい存在感あって良かったんじゃなかろうか。台詞数とかもウクラマトぶっちぎりでめちゃくちゃ多かったみたいだし、ちょっと極端に感じた。ただ鏡像世界の問題が出てきた時にこれに関しては暁の領分だよね、となったところは良い落とし所つけてきたなぁと感じて良かった。
 それにしてもエスティニアンはまじで観光してただけだな……途中ちょっと戦ってたけども。エスティニアンはまさしく夏休みしてた。リーヴ見たら槍ぶっ壊しまくってるし。お前ゲリックか?

キャラ設定の描写を擦るのはやめて欲しい

 キャラ付けとは言え、エレンヴィルが毎回主人公をおたくって呼んだりの口癖っぽい描写とか(古くはエスティニアンの相棒とかもそうだけど)、コーナが毎回ウクラマトのことで熱くなったりとか、毎回船酔いのくだりがあったりとか……設定感を強く感じるような癖の描写を擦るのをやめて欲しいなと思う。呼び方ついては声入れる都合なのはわかるけど、テキストだけでみんなに話す時は普通に名前呼べば良いし、コーナもウクラマトが心配でそわそわするとかそんなんでええやんって思っちゃう。酔ったのにいちいちフォーカスしなくても、フィールドでぐったりしてたらああまたやってんだな、って思えるじゃん。完全に自分の好みの話でしかないけど、そういうの見ると悪い意味でアニメ的だなーって思っちゃうし、不自然に擦らなくて良いよって思ってしまうので……。まあ昨今は説明しすぎくらいでちょうど良いみたいな話もあって、これも説明のバランスなんだろうけれど。

種族名シャッフルって意味あったの?

 これ、終わってみてもただただわかりにくかっただけなんだけど、どういう意図があったんだろう?サンシーカーとかムーンキーパーとかそういう括りって感じでもないし(その設定もかなり形骸化してるけど)。土地が違えば呼び方も変わる、大陸間の交流があまりない、という背景はわからんではないものの、特徴とかも既存種族と同じで新しさはないし、公用語が普及しているのなら呼び方も統一されていておかしくないのでは?西大陸出身という設定が元々あるとはいえマムージャはマムージャのままだし……(一応その中にフビゴとかブネワとかあったけど)。別に種族名に秘密があったわけでもないし、よくわからなかった。

グラアプデ

 実はそんなに良さを実感できなかった。グラボ性能が低くて最高品質じゃないせいかも。造形もララちょっと丸っこくなったかな?と思うくらいで、ただただ自キャラかわいいなぁ、もっとかわいくなったかもなぁって思ってるだけだった。ああ、テクスチャはかなり綺麗になってたのでそれは実感できてたし良かったかな。ライティングも変わってるけど、すげぇ!って感じるほどではなかったかな……直前に復帰するまで半年以上ログインしてなかったので、単に違いがわからなかっただけかもしれない。
 ただ屋外で真上光源の時のライティングは改善して欲しい。太陽光は拡散と反射が強いので、スポットライトを上から当てたような影にはならないと思います……。その時だけなのか他もそうだったのかはあまり覚えていないけど、王位継承とからへんのシーンでコーナの唇に違和感強くてめっちゃ気になるようになった。自キャラはララで顔面の凹凸が少ないせいかあまり気にならなかったし、SS見返しても全部が全部そうなってたわけじゃなさそうではあるんだけど……。ちなみにSSは200枚くらい撮りました。良い景色が多かった。背景はよくできてたなーと思う。

BGM

 トライヨラでBGMめっちゃドンキーやんけ!って驚いた。BGMに関しては全体通して良い印象だった。リビングメモリーの曲やそのアレンジ(どっちがアレンジか知らないけど)のID曲や戦闘曲はめっちゃ好きだった。随所でイベントにも使われていて印象に残るし、シーンにも合っていて素晴らしいメロディーだなと思った。特にID曲はハーデス討滅戦後半の砕けぬ思いと同じくらい好きかもしれない(あれは戦闘中のエメトセルクの台詞や、最終の演出との合致度みたいな部分も含めて最高に位置づいてるんだけど)。
 DawntrailやSmileも良かった。列車のところで流れた時は、え、今これ流すところか?とは思ったけれど……。ゲーム側の意図した心情になれていないのかと思い、この後の展開で気持ちがのっていけるのか不安になった。それは杞憂でほっとしたけど。

FF9ネタについて

 FF11は知らんので省略するとして(バクージャジャとかも一応11ネタらしい)、FF9についてはプレイ済で一応好きな部類なんだけど、なんせクリアしたのも随分前で記憶も薄れているし、名称以外はさほどFF9感を感じなかったので気にも留めなかったのが正直なところ。調べてみるとそれもそのはずというか、結構違う風に使われていて、それで怒っている人も少なくないらしい。ガーネットが即位したアレクサンドリアを悪役として描いたことや、リンドブルムがアレクサンドリアを侵攻したというような原作と大きく異なる要素を入れていたところなんかが特に反発大きいみたい。とはいえ新生アレクサンドリア連王国も旧アレクサンドリアもFF9のアレクサンドリアではないし、王はガーネットではなくスフェーンというオリジナルキャラだし(多分ここはFF9ではなくFF14だからというのもあるし、配慮もされてるのかなと思う)、国もひっくるめて完璧な邪悪な存在・忌むべき存在ではなく優しくて哀しい存在としてそれほど悪く描かれていた印象はないので、そんなに気になるのかな?と思った。色々事情があって乱心状態だったとはいえブラネは侵略行為をしっかりやってたしなぁ……。そんなとこ引用するなって?まあそれはそうかもしれない。でもどこを引用するかって結構まちまちで、特に物語の途中/最後に悪役から改心するような役割のものについて、悪役として描かれている部分を引用するのは全然悪いことではないと思う(ネタバレ配慮的な意味も含めて)。
 リンドブルムについては物語の都合上スフェーンを直接的には悪く描きたくないが故に生まれたひずみなのかなと推察しているけれど……まあ何にしてもあまりにも元ネタと違うなら別に無理に使わなくても良かったんじゃないの?という気はする。でも一応随所の言い回しとかはFF9を上手く使われてはいて、例えばヨカフイ族の「死んでも誰かの記憶に残る限り生きている」みたいな考えはFF9的ではあり物語上重要な部分なので、FF9ネタ自体は全体に食い込んでいて上手く線引きできない類のものなのかもしれない。FF9がその思想であったことを考えると、FF14の"異なるアレクサンドリア像"は、ちゃんとFF9の思想に則って否定されているとも言えて、そうするとリンドブルムもただアレクサンドリアを攻めたわけではないのかもしれない(そこまで考えてるか不明&そんな風には説明されてなかった気もするが……)。
 自分は基本的に特定の何かではなく全体の流れで作品を好きになる性質があって、違う文脈で登場した時点で違うものとしか感じないので、別作品に出てくるならある程度改変されたり最悪悪役にされてたとしても、ネタとして出張してるだけだしな~とか、こういう描き方・捉え方したか~とか、この世界では悪か~ってなるだけなんだよね。だから正直怒っている人の感覚はあまりわからないし、この問題について語るべきではないんだろうと思う。まあ、今回の最終エリア付近をしっかり楽しめていたからこそそう思うのかもしれないけれど。でも逆に元の設定とは違う使われ方をしていたからといってそれでその作品が楽しめない、FF14の物語の捉え方にまでFF9に対する気持ちを持ち込めてしまうのは危ういというか、物語の楽しみ方として若干の歪さを感じる気がしないでもない。いやまぁ、それも1つの捉え方・楽しみ方だし、間違っているなんて言うつもりも全くないけれど、楽しめなくなっちゃ元も子もないと自分は思うので……。

最後に

 なんかPLLで言ってたことと違くない?ってことが多くなってきている気がする。キャッチコピーについては単純に出来が悪かったか、あるいは試練の内容の認識との齟齬があっただけだとしても、モンクのプレイフィールは変わりません→大幅に変わってすみませんとか、ヴァイパーのUIのわかりにくさとか、なんか把握できてる感がなくなってきてるように思う。なんとなく現在の体制や吉田氏の関わり方の変化とか、組織的な部分でちょっと良くない状態になってるのかなぁなんて思ったりしている。
 まあ自分はPLL毎回見ているわけでもないし、シナリオも暁月で一旦世界救った上に暁月自体それほど刺さってなかったので、黄金には全然期待しておらず、それ故に予想以上に良いのが出てきて結構高評価だったのだけど(↑では不満点も多く書いた気もするけど、それだけ惜しいと感じていた)。そういう意味では不満あげてる人が言うような石川夏子氏をメインに戻す必要性みたいなのは別に感じなかったというか、これまでとシナリオの運びは似てるし引き継げてるんだなぁと思った。まあ台詞選びとか、例えばウクラマトの国民好き好きムーブとかはもしかするともう少し説得力のある展開にできていたのかもしれないけど。
 黄金のストーリーは漆黒や暁月のような今までの続きの話ではなく、それまでの前提が何もないところから出てきたので、それを考慮するとかなり奮闘してたのではと感じている(漆黒は異世界転生したので若干そういう節もあったけど)。それだけにやっぱりもっと良いものになったんじゃないか……という気持ちがあるんだけれど、少なくとも自分は暁月の時のようながっかり感はなかったので、すんなりと受け入れられた。(暁月にがっかりした詳細な理由は割愛するけど、漆黒&フィナーレのハードル+大筋の展開がシナリオ途中で想像・期待した方向じゃなかった+古代人周りで納得できない部分が多かったからです。)黄金は演出や展開の強引さ、残念に思う部分は多々あれど、設定そのものややりたいことはちゃんとしていて、そこを汲み取ると結構よく出来ていたなぁと思った。ので、暁月よりは好きだけど、漆黒の方が完成度高かったし感動したな、と思ったので、7.5点くらいかなと感じました。
 そういうわけで、賛否両論らしい黄金ストーリーについて、自分としては結構賛寄りな上での感想でした。まあ、大部分がつっこみに近い内容だったことにも表れているように、正直ネガティブな意見が多いのも普通にわかるなと思っているけれど。そもそもの話として自分はあらゆることを好意的に受け取る方だし、色々な要素を分析したり自分なりに解釈した上での感想であって物語そのものをストレートに評価してるとも言いづらく、素直に額面通り見ればもう少し悪い評価を下していてもおかしくないと自分で思うので(とはいえ自分はこういう風に物語を楽しむ癖がついているので、難しいけど……)。その解釈だって、間違ってる・変わる可能性全然あるしね。まあ感想なんてあの時はこう感じてこう考えたけど今見たら違うな?とか普通にあるものだし、他の人の考察とか見て180度変わることだって全然あるので、これが自分の意見!とか、この感想を抱いたのが自分!みたいな感覚とかも全然ないんだけれど。ただ仮に後で違う感想を抱いたとしても、今この時こう感じていたこと自体は別に嘘にも間違いにもならないし、例え自分であろうと否定する・される謂れもないので、書いておく意味ももしかしたらあるかもしれないよねということで。特に、暁月は引っかかった部分が多すぎて暁月に入る前のシャーレアンの動向についてだけで5000字くらいのボリュームになってしまい、全然まとめきれないまま熱量が下がって最後まで書けなくなったのが心残りになっていて……今回はせめて書き残しておこうという気持ちが強かった。それだけでも書いた意味はあったかもしれない。
 さて、7.xはプリザベーションの話をするのかな?サレージャとか実は生きてても不思議じゃないけどその辺とか?バクージャジャも折角生き残ってるから絡めても良いかな?グルージャもまだ掘れるだろうし……何にせよ面白い話だったら良いなぁ。

SS撮ってといてよかった


追記

 追記というかもはや公開時点で既に書いているのだけど、「今回は全体的にウクラマトがヒカセンの追体験をしている、後半はFF9の焼き直しもしている」という意見を見て、なるほど、と思った。スフェーンはちょっとエメトセルクだなとは思っていたけど、言われてみればコーナ=アルフィノとか、たしかに当てはまる部分は多いように思うし、スフェーンに会うまでは目新しい要素はなかったなとも思う(自分は感情にフォーカスしすぎてそういう見方はしていなかったけれど)。とすると、継承戦が退屈だった、という意見もそういう構造の弊害だったのかもしれない。
 黄金は暁月の次ということで新しい道筋を示す必要があり、それがスフェーンであり鏡像世界で、その為に前段階として継承戦の話もあって然るべきかなとは思ってたんだけど(前述したように2つの世界観やテーマはちゃんと絡み合ってたと思うので)、新しい展開を期待していたところにこの"焼き直し"がきて肩透かしに感じてしまった・がっかりしてしまった、って人も(自覚的にしろ無自覚にしろ)結構いそうだなと思った。それを踏まえても正直物語単体で見れば惜しいながらもよくできていたとは思うけれど、タイミングが悪かったというか、いやここしかタイミングないんだけど、なんというか、難しいところに新しい人を起用してチャレンジして、ばっちり上手くいった……とはならなかったのかなぁと思ったりした。
 自分はチャンレンジできること自体凄いしして良いと思うし、今回の話で7.x以降や8.0も楽しみだと思えるようになったので、自分にとってはその挑戦は実を結んでいると言いたい。(そうじゃない人も多いようだけど、シナリオ制作はこれからもめげずに頑張って欲しい。)

追記2

 他の人の感想などを読んで、みんな概ね同じようなことを感じてそうだった。程度や受け止め方によって賛否のどちらに振れているかが異なっているだけで、問題点らしき部分はほとんど同じだった。
 夏休み感や冒険感は、感じている人も結構居るようで少し意外だった(もちろん感じてない人も結構いたが)。継承戦の試練の内容がぬるいので、星レベルの話だった5.0~6.5はもちろん、同じような一国の内容としてもイシュガルドやアラミゴと比べるとまあそう思う人もいるか、と納得した。多分運営側もそっちだったんだろう。結局継承戦がぬるいことに対しては批判もまま多いようなので、それが良かったかどうかで言えばやや微妙ではあるけれど……。
 あとカットシーン多すぎって意見も多かった。けど、自分は全然そうは思わなかった。ただ意見をよくよく見ると、カットシーンとカットシーンの間で歩くところだけやらされたりするところに不満があったのかなと思う(それだったら1つのカットシーンでまとめて欲しい)。自分はそんなに気になってはいないけど、そもそももうちょっとユーザの体験にフォーカスを当ててイベントを作っても良い気はするかなと思った。なんとなく、自キャラの行動の全部を説明しないと(書かないと・やらせないと)いけないと思っているような、そんな作りになっている気がする。これをやらせてどう感じて欲しいのかが曖昧なイベントが多いというか……もしそれがないような、ただ過程を説明するだけのイベントなら、別にプレイヤーの操作を飛ばしてしまっても良いと思うんだけど、まあこれもどこまで説明するのかと同じ話で、難しい部分ではあるか。自分としては、そこがもっと良くなればキャラにももっと血が通うのかなぁと思ったりしている。

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