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NITORO

 ナイトロコールドブリューコーヒーっていうのは泡がまことにクリーミーでうまい。あと13分で閉店。

 六本松のスタバに行ったのだが、座ってコーヒーを飲んですぐ出なきゃいけなかった。気を取り直して。ビールの泡をクリーミーにするためにも窒素が充填されているそうだ。Nitrogen=窒素が液状になれば、非常に冷たくて沸騰している。沸点は−196℃。直接触るには危険なほど冷たい。しかも他の物質とは混ざりにくいという性質がある。冷食などに利用されている窒素によって鮮度を保ってカチカチに食品を凍らせられるのは、他と混ざりにくいという性質があるがゆえ可能である。


窒素化合物である塩化アンモニウムの実験では、液体の中に雪を降らすこともできる。スノードームの中に閉じ込められた雪景色のようできれいだ。


 なにが書きたかったんだろう。預言者エレミヤとバビロンについて続きを書きたかったのでネットのつながるところに行こうとして、六本松の蔦屋書店に駆け込んだけど閉店間際でとりあえず珈琲飲んだということを書こうとしてこれだけ長くなったんだと思う。

 預言者エレミヤをラファエロはシスティーナの壁画では男性に描いている。しかし、私はエレミヤは女性なのだと思っていた。いや、いまもそう考えている。男性であるモーゼとしてエジプトに生まれ、女性であるエレミヤとしてユダに生まれた。エレミヤの書の中で出てくるナイルの水を飲もうとする話も、エレミヤはモーゼだったからわざわざ物語の中で出てくるのではないかというように私には思える... なんの証拠もないんだけどね。

 神からのお告げがエレミヤに降った時、エレミヤは自分があまりにも若いので自分は預言者になることはできないと言ったのだが、この「若い」ということについてどう考えるかなのだけど、エレミヤがなんども転生して地上生を生きている古い存在ではなく、あまり地上のことをよく知らない新しい存在だということであり、だとするとモーゼのように転生を繰り返している古い存在とは異なるような気がするが、そういうことも起こりうるんじゃないかと。ずっと転生を続けている存在が新しい存在と一緒になって降りてくるというような。ああ、こんなことを書くとうっかりこの文章を読んだ人は、きっと私のことをスピ系と思って嫌がるだろう。でも書いちゃう。だって、うっかり今日死んだら自分が考察した結果を誰にも言わずして死んじゃうことになるだろうから。ここに書いとく。

 同様のことを、R.Steinerが預言したプラトンとして地上を生きた存在は転生して現代に降りてくるということも、適宜な人材がいなかったら(タラントのたとえのように)神は目ぼしい存在をその人が生まれる前から定めていて、たとえそれがアリストテレスの転生であってもその人の中にプラトンを降ろすだろうと思う。タラントが集まりすぎやろそれってなってもしょうが無い場合もあるんだと。しかし、それもなんの証拠もないし突然こんなことをここに書いてもどうしようもないことだけど。まあいいや。書いとこう。だって二度目に言うことになるけど、今日死んだとしたら誰にもこの私の考え(と呼べるものなのか自分でも自信がないが)を伝えることができないから。書くのは自由だろう。それくらい許される世の中であってほしいな。

 預言者エレミヤはバビロンにとって癒しをもたらす存在となったのだろうか。エレミヤの書の中ではそれが実現されなかったことが書かれている。エレミヤもまた転生を繰り返し、再びバビロンに向かわなくてはいけない時が来るのだろう。それはいつなのか。私はもっと歴史を学ぶ必要がある。

 さて、ここで漸く件の夢の人物の話に戻れる。旧約聖書も新約聖書も読み尽くした後、何年も経って夢で見た件の人物が居た場所にそっくりな場所をまさに私はウェブで見つけることになる。それはずっと忘れていた記憶で、その図書館の絵を見ているうちに鮮明に記憶が蘇ってきた。高校生の時に図書館で借りたラヴクラフトなどの短編が編集されていたシリーズの本の名前が L.ボルヘスの「バベルの図書館」だった。