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2. 生まれつき

 義実家を訪れたのは、アニの逮捕から一週間ほど経ってのことだった。

 逮捕を知るきっかけとなった、ニュースでの報道。休日の早朝に報じられたにも関わらず、ニュース動画のコメント欄には、その日のうちに夥しい数の意見が書き込まれていた。落伍者たるアニへの痛烈な批判と「8050」問題への言及。なかには警察が発表したアニの供述から、他に家族がいるのではないか?という推理を繰り広げる者も出ていた。

 翌日には、事故物件を掲載するウェブサイトに、義実家が事件の詳細とともに登録されていた。アニのSNSは特定され、学歴や趣味、嗜好がネット上に露わになった。
 皮肉にも、こちらの情報源も動画に意見を書き連ねている者たちと同様、ニュースのみである。義母は二十年近く前に他界し、唯一の家族である夫はアニの状況はおろか、父親の遺体がどこにあるのかも、その時は知ることができずにいた。

 スマートフォンの画面に表示される数文字に、読み手の好奇心を誘う言葉を並べる。ネットニュースで常態化している手法ではあるが、それに則った事件の見出しは惨憺たるものであった。

 事件の全容をつかむべく連日ニュースを閲覧する。眩暈のするような苛烈な意見に触れ続けていると、その書き手たちが我身のすぐ近くにいるような錯覚さえ覚えるようになる。夜明け前の薄闇のなか、世間が動き出す前のひとときに、幾度となく安堵した。

現代の私たちの社会が「異常」なものごとに対して向けている関心の強さは、それ自体すでに十分、異常な現象というにあたいする。

木村敏『異常の構造』

 義実家のある、市の中央部に位置する町は、東側に大きく弧を描く川の西側に位置し、北部には梅林公園、土手沿いには染井吉野の並木が続き、春先には花見客で賑わう長閑な地域である。春の彼岸の頃は義母の墓参りに花見をするのがここ数年の常であった。

 川と用水に囲まれているその土地は、夫が幼い頃は自宅の周りにも畑や田圃が広がっていたという。いまは宅地化が進み、田畑は数えるほどになり、夫の実家も新しい戸建ての家に囲まれている。
 警察による捜査が行なわれた室内は、悲惨なものだった。押入れから引き出された衣類や布団は床に投げ出され、書類や筆記具、充電ケーブル等が入った大型のビニール袋が部屋にいくつも散乱し、逮捕直前にアニが手をつけていた食事も、食べかけの状態でテーブルに置かれたままだった。

 これからも実家で暮らしたい、というアニの希望に沿うかたちで、捜査で荒れた部屋の片付けと、釈放されたアニが暮らしやすく整えるための掃除をはじめた。
 しばらく作業を進めていると、夫が二階の箪笥からポケットサイズの手帳を見つけてきた。兄弟の学校やクラブの行事に関する連絡事項、バスの時刻表の写しなどに紛れ「左、脳出血」「じょうみゃくきけい」「うまれつき」と鉛筆で書き付けられた言葉が、幼い頃の夫の記憶と符合する。

10/3 10時30分頃 学校から電話。市立病院で手術1時〜4時30分。
10/7 少し目を開けた。
10/13 目が少し見えるように成り、言うことがわかるように成る。
10/14 少し話が出来るように成る。名前、学校、年齢、誕生日、家族の事。

 そこには、アニが学校で意識を失ってから退院するまでの出来事、訪れた人の名前と見舞い品の一覧、医師に確認することなど、几帳面だったという義母らしく、細部まで詳しく記されている。ページのところどころに、子どもの震える筆跡で綴られた弟や友人の名前、国名などが見つけられ、病床のアニによるものだと分かった。

 義母の残した記録は、この小さな手帳一冊きりである。アニの入院や通院の記録、診断書などは見つかっていない。アニの病後、心配した両親が夫にも大掛かりな脳の精密検査を受けさせたそうだが、その記録も分からないままである。
 退院後、アニは徐々に顔面の麻痺が消え、日常生活を送れるようになっていったという。義母は息子の回復を信じ、不運を払い除くつもりで一連の資料を処分したのかもしれない。

 夫の実家から歩いてすぐにある義母の墓を訪れると、まだ日が経っていない仏花が供えられていた。

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