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3. 偏食家

 アニは極度の偏食家だった。
 子どもの頃からほとんどの野菜を口にしなかったという。魚も滅多に食べることはなく、食事はひたすら炭水化物と肉類が中心だったそうだ。

 義父は亡くなる数ヶ月前に体調が悪くなり、炊事ができなくなったという。アニ独りの食生活を支えていたのは、隣駅にあるイタリアン専門のファミリーレストラン、揚げ物が中心に並ぶ惣菜店、100円ショップで取り扱われているカップ麺や菓子パンなどであった。一切の炊事ができないため、外食か出来合いのものを買って食べるしか選択肢がない。

 逮捕前、アニはレシートを溜めていた。警察の捜査が終わった義実家で、アニの部屋に数ヶ月分はあるだろう大量のレシートを見つけ、持ち帰り、夫にはここ数年会っていなかった、私にとっては全くの未知の、アニをその消費活動を通して想像した。

 後日、アニにレシート保管の理由を訊くと、お金の管理ができないので家計簿をつけようと試みたものの、どうすればよいか分からず、大量のレシートだけがそのままになってしまったという。
 高次脳機能障害のため、情報の分析や分類が苦手なアニにとって、日々の出納をまとめ、節約に活かすことは難しかったのだろう。
 父親の体調の悪化についても、本人に口外するな、と言われた通り、最後まで誰にも伝えなかったという点も、アニが的確な状況判断が苦手だということが分かる。

 いま思えば、どのレシートにもアニなりの節約を意識した痕跡が残っており、前述した食生活も安さを最優先にした選択だったことが分かるものばかりだった。
 ある日のレシートからは、朝8時頃に近所のコンビニでコーヒー飲料を1本。11時過ぎに駅前のロータリーにあるファミリーレストランでドリアとフライドポテト。19時頃に隣町のスーパーで割引になったコロッケとパン。といった、1日合計700円程度の食生活を送っていたことを窺い知ることができる。
 アニは飲酒もするが、食事同様に味よりも価格を優先した選択をしており、ストロング系の酎ハイやビールをよく口にしていたようだ。こういった食生活を繰り返し、留置所で測ったアニの血圧は200を超えていた。

 春のはじまりにアニは釈放された。情状酌量の余地があるとの判断で不起訴になったものの、勾留期間最大の20日間を留置所で過ごしたアニは、疲れきった様子で、衣類や差し入れに渡したカバーのない文庫本を入れた大型の透明のビニール袋を抱えて警察署の薄暗い廊下に立っていた。
 勾留中の事故を防ぐためであろう、アニのスニーカーやスウェットパンツからは紐が全て抜かれていた。靴もズボンもぶかぶかの、手で引き上げないといまにも脱げそうな状態で警察署を出され、もし迎えに来る家族がいなかったら、きっと家に着く前に職務質問にあっていただろう。

 紐を抜かれた衣類のせいで、歩くのもままならないため、警察署の前でタクシーに乗り、駅前のアニ行きつけのファミリーレストランに向かう。少しでも日常の感覚を取り戻してもらえたら、という思いからだった。まだ気を許せない義妹の存在もあり、初めは遠慮していたが、レシートを通して生活を把握しているため、アニの好みのメニューを代わりにオーダーしたところ、一気に氷が溶けたようだった。

 留置所での生活や義父のことを聞きながら、今後の生活の改善について提案した。突如現れた、信用できるかさえ分からない義妹に、生活習慣を指導されることに反発するかもしれない、という懸念は杞憂に終わり、アニは実にあっさりと今後の生活全般を弟夫婦の管理下に置くことに同意した。
 よく見ると、面会時には気がつかなかったが、歯がほとんど無いようだった。
 この日以来、アニの一週間分の食事を作り、毎週夫と持参している。

 余談だが、義実家を片付ける際に、義父の衣服のポケットに入っていたレシートも持ち帰った。家事の一切を行なっていたため、そのレシートからは二人のささやかな暮らしを垣間見ることができた。
 家から国道沿いに自転車で15分ほどの距離にある大型スーパーのレシートには、家庭用の建材や日用品、業務サイズの調味料。駅前にあるスーパーでは、親子二人分の生鮮食品の購入が認められた。義父は、大型スーパーの中にあるパン屋のピザトースト、冷凍のお好み焼き、カニ入りの茶碗蒸しが好物だったようだ。

 食卓を囲むことは叶わなかったが、炊事のふとした瞬間に義父のことを思い出すことがある。

死んだらどこへ行くのか。「他人(ひと)の心の中に」だ。それも平かなの「ひと」だ。死んだら「ひと」の中に行く。やっと答えが見つかった。

本多正一『彗星との日々─中井英夫との四年半─』


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