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新版オグリ 二度目の観劇

10月6日の初日以来だ。18日に2度目遠征をはたして『新版オグリ』の観劇が叶う。新橋演舞場へ向かう道中から熱気を感じる。観劇後は多幸感、まさに歓喜の渦に飲み込まれた。今回は何から書けばいいのだろう。
猿之助オグリの進化は想定内で想定以上。
坂東新悟と言う女方の精進がオグリという芝居に宗教を歌舞伎化すると言い放った猿之助歌舞伎を具現化してみせた事が一番の収穫。オグリ自体は台詞のカット等細やかな修正が行われて冗長な場面、説明的な所など消し去りエンターテイメントとしてギラギラで華やかな一部二部の完成。それによって三部の餓鬼病の悩み、苦しみ、諦め、感謝、愛、人はどう生きるべきか、生きる喜びとは何か。餓鬼病オグリの体と台詞を通じて魂を響かせる。餓鬼病で客席を魅了する猿之助さんはさすがだ。

さて、新悟ちゃんだ。お家の道具として生きなければならない武家の娘が小栗判官に出会い人として女性として初めて恋を知る。万葉集や読み物で想像してた淡い恋への期待が男として人間として自由なオグリに惹かれていく。焦がれる気持ちが一途な愛へと一気に昇華する。父の怒りを買いオグリ達の元を離れようとすると思いもかけないオグリからのプロポーズ。結婚式の宴で夫婦になったと思ったとたんにオグリ達は殺され、照手は牢輿に乗せられ川に沈められ殺されるはずが、悪人達の仏心でそのまま川に流され老夫婦に助けられる。回りの嫉妬や妬み、助けてくれた夫婦の妻の嫉妬から焼き殺されそうになるが身につけていた観音像が身代わりとなり照手はやけども怪我も負わない。そのまま女郎屋へ売られるも女郎ではなく女中として働く事3年。餓鬼病のオグリと出会うがそれと気づかず身の上を語る。オグリと最初に出会った時に教えられた言葉を胸に人の情けに助けられながら過酷な運命を恨むでもなく感謝の気持ちで生きてると話す。我らだけの歓喜を求め地獄へやられたオグリ達の生き方と照手の運命を受け入れその中で懸命に生き抜く様は人の心の表裏を示す。照手は想像以上に難しいお役だ。初日の新悟ちゃんには正直言って不安を覚えた。緩みのある軽い台詞回しが気になった。翌日のはーちゃんオグリではかなり台詞回しは修正されていて、やはり若手花形同士だからいいのかなあと感じたが、今回は違った。新悟ちゃんの台詞の一言一言にその時その場面の心が見事に表現されて一部から涙を誘う。照手は生かされた命をただ無心に生きる。一途にオグリを思いつづけ、オグリの仲間達や亡き母を弔いたいと餓鬼病の車を引く健気さ。餓鬼病にされた猿之助オグリが照手への強い愛の感情を吐き出しそうになる。照手にオグリであることを伝えられない心の内を独白する狂気にも似た感情の発露が成功したのも、照手が醸し出す可憐で清らかな風情があっての事。一瞬の緩みも無く照手を演じ続ける新悟ちゃんは指の先、目線、首のかしげ方までが愛らしく清らか。まだまだ新悟照手の心情は深まるのだろう。隼人オグリとの愛も再び見たくなる。
餓鬼病から再び麗しい姿に戻った猿之助オグリはぐいぐい感動と歓喜を心に押し込んでくる。猿之助オグリ以外はそこかしこで細かく笑いを散りばめてくるのだ。猿之助オグリを観て目頭を熱くして目を逸らすと笑わせられる。感情の交通整理が出来ない。歓喜!歓喜!歓喜!

全ての出演者に見どころがあり今回見逃したここは次回確認しなくては。えーっ、こんな場面あった?あれなくなった?等同じ舞台なのに何度も何度も観たくなる猿之助座頭公演。そして様々な若手歌舞伎俳優を育てる事を止めない猿之助さん。ロングラン公演が本当にありがたい。
帰りの新幹線に少し時間があったのできおいちょみたさに三等席で「三人吉三」を一幕だけ観て家路についた。
きおいちょ事松緑さんは見栄えと台詞回しもいい男。渋い歌六さん。愛ちゃんは歌舞伎座だと特別に歌舞伎味が上がるのが不思議。いきなり格好良さが増す。緑さん達が演じるパロディの達者なこと。上から観ると力量の差がこれほどでるとは。
今年の歌舞伎座見物はこれで終わるのが残念。

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