見出し画像

アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑪ 恐怖のトイレ

さて、フィリピンだけではないけど、開発途上国のトイレは、すこぶるバッチイ。
公共心はキリスト教の信心とは関係ないらしい。文化の成熟度が必要なのだ(その点、日本も欧米にかなわない)。
 
一応、水洗である。腰掛け方式である。
が、上げ下げする弁座がなく、便器だけである。紙もない。
代わりに、近くにひしゃくが置いてある。弁座がないが、男は便器に大体は座ってしまうようである。女性は靴で上がってしゃがむ、と本には書いてあったが、もちろん知らないし聞いたこともない。水洗のコックはついているが、水圧が低く流れにくい。そこで、右手でひしゃくを持って、側のバケツの水を汲み流しながら、左手で自身をきれいにするのである。その後はタオルで拭くか、乾くまで待つそうである。用が済んだら、念入りに手を洗うようである。ドアはアメリカのよりさらに下が開いており、地方ほど露出度が高いらしい。鍵もないものが多い。現場事務所のトイレも、ガラリ(斜めの格子戸で、外側からは見えないが、内側からは斜め下方向がよく見えた)で床から30㎝~1mくらいの部分のみ前方から見えないというもので、カギはなかった。
 
フィリピンの食事は大体、右手にスプーン、左手にフォークが一般的だが、他のアジア諸国と同様、手で食べる人も多い(これをフィリピンでは「カマーヤン」という)。その場合、必ず右手しか使わない。左利きの人も右手で食べる。左手はトイレで使用するため、不浄の手とされるゆえんである。
 
我々の寮のトイレは、便座も紙もあった。しかし、事務所はフィリピン電力公社の事務所だったので上記方式である。最初といっても何ヶ月も、正直言って、あのトイレで用を足す気になれなかった。当初、東南アジアだから下痢をしたこともあった、のに、使う気になれんかった(必死に耐えた)のである。しかし、慣れるもんである。使うようになった。私の場合、踏ん張って、半スクワット状態で座らなかったし、紙持参で行った。死にはしないと座ってしまう人も勿論いた。
 
本に書いてあった話だが、田舎にはもっとスゴいトイレがあるらしい。母屋から離れていて、なんとブタ小屋の上にそれはある。入ると、真ん中に穴があるだけ。しゃがんで用を足そうとすると、ブタが下で騒ぎ出す。その農家の主人は言ったそうだ。「ブタが2頭馬(豚)なりになって見えたら大丈夫。まだ距離がある。3頭馬(豚)なりになったら要注意。前に股間を噛まれた客がいた。」その人は、初日とうとう用が足せなかったそうだ。豚は雑食だから、何でも食べる。
 
しかし考えてみると、日本も昭和30年頃はそれに近かった。水洗なんてほとんどなく、紙も新聞紙なんてざらだった。よく、日本のどこかでは、脇にわら縄が張ってあり、終わったらそれにまたがって、しごいて拭くという地域もあると聞いて笑ったものである。紙も一瞬で大腸菌を通すと言うし、フィリピン式の水で流すのは汚いことではない。
 
異文化体験は、奥が深いもんである。

私事だが、今でもトイレ(便所)の怖い夢をしょっちゅう見る。学校のようなところにトイレが何か所もあるが、入るとやたら広く、複数の便器がオープン、個室になっていない状態で、使用しなければいけないようになっている。実際、トイレで怖い体験はしたことはないのだが、何かがトラウマになっているのだろう。
 
今回の一首
葦べ行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕べは 大和し思ほゆ   志貴皇子(天智天皇の第4皇子 現天皇の系統-平安京遷都の桓武天皇の祖父)


田舎によくある家(台風で壊れるから、簡単に復旧できる家が多い)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?