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お通夜の集合写真

集合写真といえば、入学式だったり、結婚式だったり。
ハレの日のものだというイメージが強いと思う。

実家の北海道では、葬式でも集合写真を撮る。
もう嫁いで久しいので、今現在ではどうなのかわからないけれど
アルバムとか昔の写真見ようよーとかの時に
その集合写真が現れる。

かなしい別れの時を写すので当然だが、にこやかなものはひとつもなく
泣き腫らし目を赤くしている家族とそこに集まった親族が集まって祭壇の前でお通夜の後撮るものだったと記憶する

それが地域性のものであること
特殊であることも、遠く離れなければわからなかったことの一つだ

先日、叔父が亡くなった。
父の兄弟なのだが、東京で暮らしている
祖父や祖母が亡くなったり、私の結婚披露を里で行った時には遠路駆けつけてもらった。

今回はその逆。
叔母も父も母ももう遠路を移動出来るほどの体力もなくて、ひと目会って別れることは叶わなかった。

血のつながった兄弟が別れを告げられずにいるのもなんとも偲びなくて、どうしたもんかなぁと悩んでいた。
遠方に嫁いだ私。選んだ道の宿命はなんとなしにわかる気がしている。

オットの後押しもあり、別れを告げに新幹線に乗った。

叔母が駅で待っていて、変わらない笑顔で迎えてくれる。余計に切ない。
このコロナの何年かですっかり葬儀のカタチも変わり、コンパクトで本当に肉親のみで送るようになっていた。

叔父は変わらず、ほんとに寝ているようで
声をかけたら起きそうで
何度もつい呼んでしまう。

叔母の変わらず柔らかな口調に余計辛かっただろう急な別れを思って
何も言えなくなる。

それでも最期は叔母の思うように、家族が思う別れを選んだことが少し救いだった。

離れてしまえば、最期の別れも会えないままかもしれない。
久しく会わない人が会う機会のひとつがそれだったので記念に残しておきたいと思う昔の人の思いの一つが集合写真だったのかもしれない。

私は叔母さんといつも仲良く現れてニコニコしている叔父さんが大好きだったから
心の中にいつまでもお茶目な叔父さんを遺しておくことにするね。
叔父さん、ありがとうそしてさよなら。
気にして泣いてるだろう兄弟のところにもちらっと覗きに行ってあげてね。
連れてきてあげられなくてごめんよ。

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