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通称「ドンガメの墓」!安芸郡熊野町にある唯一の亀趺墓(きふぼ)はアノ人のお墓だった!

ある日曜日の夕暮れ時。
無口な夫が一言ポツリとこう言いました。

「散歩に行こうか?」

夫のこの一言から始まったこの日の夕暮れ散歩。

呉地地区を歩くことになったのですが、とても嬉しい出会いが待っていました。

それは、亀趺墓(きふぼ)との出会いです♪

👇👇コレです👇👇

安芸郡熊野町にある珍しい亀趺墓(きふぼ)

皆さん、亀趺墓(きふぼ)って知っていますか?

めちゃくちゃ簡単に言うと、亀が「よいこらせ~っ!」と背中に墓石をしょっている……そんなお墓です♪

実は、現在確認されている130基の亀趺(きふ)のうち、3基もの亀趺(きふ)がここ安芸郡熊野町にあるんです!

しかも、亀趺(きふ)の研究をされている太刀掛初栄先生によると安芸郡熊野町呉地にあるこの亀趺墓(きふぼ)は、全国でも唯一のものなのだそうです!

今回は、安芸郡熊野町にある貴重な亀趺(きふ)のうちのひとつ、現在の筆づくりに大きく貢献したアノ人のお墓をご紹介します♪

アノ人の非常に珍しい亀趺墓(きふぼ)がある場所はココ!

安芸郡熊野町にある非常に珍しいアノ人の亀趺墓(きふぼ)がある場所は、ズバリ呉地です!

Google Map

住所でいえば、呉地4丁目付近。

熊野町役場前の県道瀬野呉線を苗代方向に走っていると、右手に呉地公園&いさご橋が見えてきます。

いさご橋手前を「(株)石森セメント工業」に向かって左折して200メートルほど進んだ先にあるお墓の一角にあります。

「山の神」の看板を目印にすると、見つけやすいかもしれません。

そもそも亀趺(きふ)って何?

そもそも亀趺(きふ)って一体何なんでしょうか?

亀(き)は、漢字が意味する通り「亀(かめ)」です♪
そして、趺(ふ)は、「石碑の台」を意味しています。

つまり、「亀の形をした石碑の台」が亀趺(きふ)です。

亀趺(きふ)は、今から2000年前の中国(後漢時代)に発祥し、江戸時代に日本に伝わってきました。

主に大名家の墓で亀趺(きふ)を使われることが多かったそうで、安芸郡熊野町にある亀趺(きふ)のように、大名家以外の墓に用いられる例は、ほとんどなかったそうです。

めちゃくちゃ珍しい大名家以外の亀趺(きふ)が熊野町に3基もあるなんて……。

私……、めちゃくちゃ珍しくて凄いものを見ちゃったのね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

呉地にある特に珍しくて貴重な亀趺(きふ)は、アノ人のお墓だった!

呉地で「ドンガメの墓」として親しまれている、他にも例をみない珍しい亀趺(きふ)。

実は、筆の町熊野町ではお馴染み(?)アノ人のお墓だったのです!!

気になるアノ人。

そうです。
孫井田正三郎(庄三郎)さん💛

榊山神社へと昇る九十九段の石段を寄進した孫井田才兵衛さんの弟です。
(正三郎さんは、渡辺勘三郎さんと榊山神社の玉垣を寄進しています。)

兄弟の庄次郎さん、庄兵衛さんたちと一緒に筆職人を熊野に招いて、筆の行商(販路拡大)に力を入れて財をなした方なんだとか。

熊野町呉地にある亀趺墓(きふぼ)は、どんなところが珍しいの?

安芸郡熊野町にある孫井田正三郎(庄三郎)さんの亀趺墓(きふぼ)は、一体どんなところが珍しいのでしょうか?

👇👇珍しい亀趺墓(きふぼ)👇👇

孫井田正三郎(庄三郎)の亀趺墓(きふぼ)

元治元年(1864年)と刻まれている孫井田正三郎(庄三郎)さんの亀趺墓(きふぼ)。

日本だけでなく世界中の亀趺(きふ)を訪れて研究をされている太刀掛初栄先生によると、亀趺(きふ)の中でも大変珍しいつくりになっているのだそうです。

【太刀掛初栄先生が驚く!孫井田正三郎さんの亀趺墓ポイント】
・そもそも大名家以外の亀趺(きふ)が珍しい
・亀の顔に目、耳、牙がある
・喉には仏の三道が刻まれている
・手には爪まである
・亀趺(きふ)の台座には波紋様のきれいな彫刻が施されている
・亀趺墓(きふぼ)前に設置されている石灯籠が一石でできている

特に、台座に刻まれた波紋様は、全国でも唯一だそうで、亀趺墓(きふぼ)前の石灯籠も一石でできているところが珍しいのだそうです。

……ちなみに、石灯籠の写真を撮り忘れた私も……若干、珍しい存在です。

こんな珍しい亀趺(きふ)を誰が造ったの?

安芸郡熊野町にある孫井田正三郎(庄三郎)さんの亀趺(きふ)。
こんな珍しい、シャレオツな亀趺(きふ)を誰が造ったのか……、気になりますよね~♪

実はコレ、呉市吉浦で石工をしていた弥左衛門さんが造ったんです!

へぇ~!
なるほど、弥左衛門さんが♪♪

……。
……。
……弥左衛門さんって、だ~れ~?

与左衛門さんとは、細川与左衛門さんのことです。

正直、あまり詳細は分からないのですが、呉市吉浦では、台風などのとき、集落を守るために石垣や堤防を築く必要があったので、石工(いしく)の技術が発達していたそうです。

吉浦の腕利きの石工さんだったのが細川弥左衛門さん(明治16年没)だったのです♪

そして、なななんと!
弥左衛門さんの一番弟子だった細本栄次さん(亡昭和初)の子孫の方は……現在、熊野町呉地に住んでらっしゃるんです(*_*)

・熊野町呉地に住んでらっしゃる細本道男さん(大正5年生まれ)のおじいさんがこの細本栄次さんなんですって~!

ちなみに亀趺(きふ)を造った弥左衛門さんは、呉市吉浦の誓光寺にある常夜灯にも波文様を刻んでいます。

まとめ

安芸郡熊野町には、全国に130基確認されている亀趺(きふ)のうちの3基があります。

亀趺(きふ)は、大名家の墓で使われることが多かったので、熊野町にある大名以外の亀趺(きふ)は珍しいものです。

特に、呉地地区にある孫井田正三郎(庄三郎)さんの亀趺(きふ)は、台座に波紋様がある大変珍しい亀趺(きふ)で、その前にある石灯籠も一石でできている凄いものです。

筆の町熊野を散策されるときは、亀趺(きふ)もちょっと意識してみてください♪



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