家事育児の分担は不公平を小さくすることが大事って話
どうも、エトウです。
私は、現在8歳と5歳の男の子を育てているお母さんです。
職業はフリーのwebライター。在宅で仕事をしています。
どういうわけか、いつからか、それすらもわからないまま、気づいたら10割の家事と育児を押し付けられるようになってしまいまして。
正直、「結婚なんてするもんじゃねぇな」と思ったことは数え知れない。
今回は、家事・育児を押し付けられるなかで気づいた「不公平を埋めていこうね」って話をしていきます。
夫婦は平等、では公平か?
好き同士で結婚する方が多い現代、お互い好きだから、これからの人生を共にしたいと結婚したんだ。夫婦は平等でなければはらない。
人には得意なこと、不得意なことがあるけれど、夫婦間ではお互いにカバーし合って、「そういうときもあるよね」と、お互いを尊重するものだと私は思う。
だけど、夫婦間における公平性についてはどうだろうか?
理想を語るのはとても簡単なことだけれど、現実的な問題の前には何の役にも立たない。
例えば、夫婦のどちらかが激務で、早朝に出勤し、帰りは夜遅くというケースがあったとする。
そうすると夫婦のもう片方が、家事と育児のすべてを担わないと家庭は機能しなくなってしまう。
…そう、まさにこれは私の家庭の話。
夫婦間は平等でなければならない。
だけど、公平であることはとても難しいことなんだ。
夫婦間の不公平は心を殺す
夫婦間の不公平さは、家事と育児を担う片方の心を殺すのに十分なほど大きな負担になる。
家事と育児を担う片方は、朝起きた瞬間からパートナーとは違う朝を迎える。
登校・登園時間が迫る中、自分の支度、子供の食事、子供の支度、食器洗い、洗濯、園への送迎などをこなさなければならない。
もちろん、自分の仕事も正確に。
私はフリーランスだから、仕事面においては気が楽だけれど、会社に勤めていたら時短勤務の調整で嫌味を言われたり、子供が熱を出せば急な欠勤や早退をせざるを得ない。
決まった時間に子どもを迎えにいき、帰りに買い物に行く。
そして、帰ってきたら夕食作りに、明日持って行く体操服などの洗濯、下の子とお風呂に入り、子どもたちの食事の世話、子どもの歯磨き。
さらにパートナーの帰りが遅ければ、その分調理や食器洗いの時間が押してくる。
夜の9時には子どもを寝かせたいことを考えると、だらだらスマホをいじりながら夕食を小一時間かけて食べられるのに正直イラッとしてしまう。
生きている世界線が、夫婦で違うようになってしまうんだ。
では、家事と育児をパートナーに〝任せる〟という名の押し付けをしている側はどうだろうか?
仕事は大変だろう。忙しいだろう。疲れるだろう。家に帰れば何もしたくないだろう。
自分のお世話だけをして、あとの面倒なことはパートナーに〝任せる〟と自分は楽だし、明日にしっかり備えられる。
…平等な夫婦のはずなのに、こうも生きてる世界線が違うと心がおかしくなる。
あまりにも負担が大きい家事と育児は、人の心を殺すのに十分なんだ。
家事と育児の線引きをして心を守る
ここでようやく本題。
こうした負担の大きい家事分担をここ10年近く続けてきて、私なりの気づきがあった。
家事に、自分ができることの線引きをする。
育児はあまり手抜きができない、手抜きをすれば下手したら子どもは死んでしまう。
仕事も手を抜けない。お金をいただいている以上、プロとして成果を上げなければならない。
だったら、どこで手を抜くか。それが別にやらなくても支障を来さない家事になるわけ。
私は、家事をする時間を20時30分までと決めている。
21時には子どもを寝かせたいから、遅くとも20時30分で家事を切り上げて後はやらないことにしている。
好きで家事と育児を全部やっているわけじゃないんだ、終わりが見えないとやってられない。
夫の帰りが遅くても、20時を過ぎれば調理をしてラップをしておく。
そしてフライパンや食器を洗って、生ごみの処理をしておわり。妻と母親の営業終了時刻を迎える。
それでもし文句が出るようなら、お互いにどうすれば良いか考えるべきだ。なぜなら夫婦は平等であるべきだから。
〝嫌な自分〟と仲良くする
夫婦で家事を分担できれば素晴らしいことだと思う。
出勤・退勤ついでに子どもの登園準備や送迎、夕飯作りは当番制など。
「家事と育児をして偉いね!」とかの話ではなく、すばらしいんだ。
一緒に住んでいる、2人の子供だから、お互いに家事と育児を分担することが、あまりにも筋が通っていてすばらしい。
だけど、実際にはなかなかむずかしくて、どちらか片方に大きく負担がかかる。
メインで家事をしている方も、頭では「夫のスケジュール上仕方がないんだ」と理解していても、どうしても〝嫌な自分〟が出てくることもあると思う。
「なんで私ばっかり」
「私も働いているのに」
「私はあんたのお母さんじゃない」
私の場合だけど、こんなことを思ってしまうことが多々あります。
こう思ったんなら仕方がない。だって本気で思ってるんだもの。あなたにも心当たりがあるでしょう?事実なんですよ。
私自身の気持ちを否定せず、受け入れることは何にしても大切。
だったら、家事をやらない選択肢もアリ。
きっと〝嫌な自分〟は「もう疲れた」「やりたくない」という心の悲鳴だ。
家事を全部やらないのは都合が悪いだろうから、例えば今日は夕飯を作らないからデリバリーで。掃除もしない。だけど、洗濯しないと子どもが明日持って行く体操服がないから洗濯はする。
こういうのもアリ。ぜんぜんアリ。
家事分担どころか、私のように家事を全部やっている方は、とにかく〝嫌な自分〟が少しでも納得してくれるように、手を抜いて心を守りながら家事をほどほどにすることが大切だと思う。
だって、家事分担の不公平は誰かがなんとかしてくれるわけじゃないし、自分で自分の機嫌をとらないといけないんだ。