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やまゆり事件を起こしたのは本当に1人だけなのか。

45人が被害を受けた相模原事件、植松被告に死刑判決が出ました。本人は判決を受け入れ上告はしないと話しているようです。

被害に遭われた方やそのご家族の皆さま、私のような若輩者が申すのは大変おこがましいですが、ひとまず、お疲れ様でございました。
傷が癒え、日常が戻ることを心から願っています。

精神科領域で働く者にとって、植松被告の思想はなかなか無視できないものではないでしょうか。単なる認知の歪みでは片づけられない、業界の闇の部分があぶり出されたような、そんな感覚です。
意思疎通ができない相手をケアし続けるというのは、誤解を恐れずに言うと、忍耐力との勝負です。精神科の重度慢性期となれば長期入院は避けられないことが多いだろうし、結果ホスピタリズムの状態になってしまいます。

精神科病院における「ホスピタリズム」とは、患者が長期の隔離を受けることにより、無気力状態になること。ひいては、社会復帰への意欲を失うこともあり大きな問題である。

ホスピタリズムにより依存的になることで、ケアの範囲が広くなります。例えば、元気な時はできていたであろう歯磨きや入浴を億劫がるようになります。清潔を保つために話をしたりルールを決めたりします。これを毎日毎日やるのです。慢性期と言えど病状に波がありますので、不穏状態になれば突発的な暴力行為に発展することもあります。ケアする側は危険と隣り合わせで緊張状態が続くのです。
そして、生活保護を受けている方も多く、私たちの税金で生活している、と捉えることもできるわけです。

このような世界があることを知ってしまうと、生きることって何なの?と考えてしまいます。生きることに意味なんて最初からないはずなのに、意味をつけて辻褄を合わせようとしてしまうのは、悲しいですが、健常者のエゴだと思うのです。

ケアする側として、陰性感情が全くなかったと言えば嘘になりますし、心が折れそうになることが何度もありました。どこかで何かが違っていたら、私も、第二の植松被告になっていたかもしれません。

何が違っていたのか。

私には信頼できる仲間がいました。当たり前かもしれませんが、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)は欠かせませんでしたし、情報だけではなくて気持ちも共有することで、チームが同じ方向を向いてケアできていたと思います。

彼にもそんな仲間がいたのかわかりませんが、いたとしたら、このような事件は起きなかったかもしれません。

私が「話す」ことを狂ったように言い続けているのは、話すことで①発散できること、②悩みを整理できること、③気持ちを共有できることにつながるからです。

それらがもっと容易にできる社会にするための第一歩として、私はサロンをやろうと決めました。まつ毛エクステをつけるだけでも、小顔マッサージをするだけでもなく、うちのサロンで過ごす時間は「自分が思っていることを話す時間」にしてほしいです。

最後に、日本中の精神科領域で働く人たちへ敬意を表します。

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aya@幸せを呼ぶ顔をつくる人
鳥取市/小顔マッサージとマツエクetoile
R3年4月オープン予定です。
お問い合わせはLINE(@abs3373s)にお願いいたします。
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