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怒りは生きるエネルギー

怒りという感情は、人によってはみっともないと思うかもしれないけれども、喜怒哀楽の中で最もパワーが必要な感情で、生きる糧になり得ると思うのです。
赤子は今日も元気に泣いておりますが、育休中の私が当たり前のように手当をもらいながら育児休業できているのは先人たちが怒り狂って社会を変えてくれたおかげだし、metooだって、kutooだって、そう。

私はどちらかと言えばミソジニーくたばれと思っているけれど、別に男ども全員消えろとは思ってなくて、彼らは彼らで「男らしさ」に支配されて多少なりとも苦しんで生きてきたはずだし、ホモソーシャルに拒絶感を示すメンズも多くいることでしょう。
今やカリスマ的に可愛い男の子はたくさんいるし、それを良しとする時代を作ったのもまた、怒りや男らしさへの反発から始まったものだと思うのです。

自分事として考えた結果、怒りや反発が生まれたのなら、それは恥ずかしいことでもなんでもなくて「政府がちゃんと考えてくれてるからワタシタチハダイジョウブ」な時代はすでに終わっているように思います。

大丈夫じゃない世の中になってダメージをもろに受けているのが、普段偉いお殿様たちがお世話になっているであろうキャバ嬢や風俗嬢だったりするのだから、彼女たちの明日を文字通りの明るい日にするためには、やっぱり怒りが必要じゃね?と思わずにはいられません。

散々搾取しといて肝心な時に切り捨てる。

でももしかしたら彼女たちには自覚がないかもしれなくて、それはなぜかって、全員ではないけれども、昼職をする気になれない夜の女の子は結構いるんだけど、それは安定の安月給よりも目先の大金が何よりも大切で将来のことまで気が回ってないかもしれないから。考えてないのではなく、考えることができないというパターンもあるってことは知っておいた方がよいでしょう。

知的や発達に軽度の障害があったり、いわゆるグレーゾーンと呼ばれる人たちには支援が行き届かないと言われています。夜職に多いかどうかは分からないけれども、私の経験から言えば、健常者と同じ土俵で働ける場であることは確かで、社会情勢が生きることに直結しちゃうのが社会的弱者である彼女たち、ということになります。

おうち時間がトレンドになっているし、医療従事者としては「マジで誰も家から出るな」と心底思っていますが、そもそもおうちがない人もいるわけで、日銭の中からネカフェの利用料を支払って暮らしている人がいることは皆さんご存知の通りです。

医療や福祉から弾かれて長年生きづらさと戦ってきた者たちは、自己責任という言葉に弱くて頼るのが苦手で、制度を知らない場合もあるし、知っていてもやり方を知らないかもしれません。何かしらのアクションを起こさなければ誰にも見つけてもらえない残念な世の中だからこそ、怒りを賢く使うのはアリよりのアリではなかろうかと思うのです。

怒りは社会を変えるエネルギーだと思うし、それがなかったら、今ごろ和牛券が配られていたかもしれません。

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