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私が2度結婚した理由

 家族がずっとほしかった。いや、家族はいるんですけどね。ハタチまでは両親そろっていたし、下に妹弟がいるし、今や父はどこで何をしているか知りませんが、その他のメンバーとは比較的仲は良いです。母に対しては、まぁ多少思うところがありました。
 母は大黒柱でしたので、仕事が忙しくて育児どころではなくて放任、そのくせ自分の正義を振りかざし、いつもイライラしてるから顔色を窺い、親の手が離れるころには叱られることもなければ褒められることもなく、思春期は反抗する要素が見つからなくて至って平和にすくすく育ち、世間知らずの田舎娘が立派に完成したわけです。
 何も知らない純粋な私は、いい男悪い男の区別がつかず、自己否定が強く「こんな私を好きになってくれたからいい人」という理由で元夫と付き合っていたし、結婚してみたものの、相手に対して、好きだけじゃダメ、ならぬ、好きだけじゃなくてもダメということに気がついてしまい、そもそもダメじゃん、という身も蓋もない結末に辿り着いてしまいました。要は、私が未熟だったということです。
 
 長男を産み育てるようになってから、私は愛情をかけられて育ったのだろうかと、うっすら疑問を抱くようになりました。放任主義者に育てられた私は、「子は勝手に育つ」と本気で思っていたし、育児に悩むことがなくて、保育園の先生たちは心配で堪らなかったと思います。

 戸籍が2人になっても私は私、子は子、それぞれに人生がある、という思いが強すぎて、子が発するサインに気づけませんでした。小学生になるとそれが顕著に表れ、ある先生に「お母さん、1人で大丈夫?」と声をかけられ話を聞いてもらったときに初めて、「子は勝手に育たない」ことに気がつきました。遅いです、非常に遅いです。長男には謝っても謝りきれません。その時に、家族を作りたい、2人がちゃんと家族になるんだ、と強く思うようになりました。
子供は、どんな親でも、親が好きです。ちゃんと見てやれなかった私のことを、長男は好きでいてくれました。
そうだ、私も母親のこと、ちょっとだけ嫌いだし恨んでるけど、恨みきれないし嫌いになりきれない。そんな母と奇しくも同じ職業に就くとは。当時大変だったこと、体を壊して休職したことに納得がいきました。
母の名誉のために申しますが、相変わらず仕事ばっかりしているし、離婚したいと泣きながら電話したら「すぐ帰ってきなさい」と言ってくれたし、孫の子守を頼めばすっ飛んできてくれるし、何かの折にはお祝いと言ってお金をたくさん出してくれます。娘には不器用な母です。

 私の中で家族が再結成できたのは紛れもなく長男のおかげで、私は彼に育てられています。
もしかしたら私を恨んでいるかもしれないし、簡単に許してくれるとは思わないけど、私はあなたのことを世界で一番愛しています。

 再結成したのち、新結成したのが今の家族です。結婚にこだわっていたわけではなく、子に「家族」について説明しやすいこと、私が先に死んで夫が残された場合、夫が病気したりオペが必要なときの同意が得られること、そのような理由で結婚と養子縁組の形をとりました。

 私自身、妹弟とは戦友のような、グレることなく生き延びることができたのは親ではなく彼らがいたおかげだし、かねてより兄弟がほしいと言っていた長男に弟ができたことは、父親が違っていること込みで、人生が豊かになるのではないかと思う次第です。
しかしまぁこれは、親のエゴかもしれません。

 思考も行動も4者4様です。せっかく家族になったのですから、恨んだり嫌われたりしつつ尊重しながら毎日を生き続けるのみです。理想の家族像はとっくに捨てました。これからもきっと、面倒で厄介な愛情に振り回されながらカゾクしていくのです。

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