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愛は日常の繰り返しだと気づいたって話

新しい家を買ったらもれなく家族愛と丁寧な生活が付いてきて急に日常がキラキラするわけなんかなくて、スーパーの感謝品で花束をもらったはいいけど前家の物はほぼ処分してしまっていたのでどうやって飾ろうかと悩んだ末に選んだ花瓶はペットボトルで、例えば欲しいものを手に入れた途端に執着しなくなるのはあるあるなんだけど、じゃあ目に見えないものはそれを証明できるかと言えば自分のものになったと実感することの傲慢さはただの甘えとは言い難くて可愛くない。私は家を買ったけど、愛は買っていない。

かつては買われる側で美脚とか巨乳とかセールスポイントが分かりやすいほど「愛なんだ」と消費されていたし本物の愛とか幸せについて考えたり語ったり渇望したりしてそれはそれで黒歴史なんだけど、結婚と離婚と再婚の三拍子を自分史に刻んだもうすぐ35を迎える私なんかは愛は日常の繰り返しだと気づいてしまっている。想像以上に地味で地道な努力の上に成り立っているそれを死ぬまで繰り返す羽目になるのだろう。私に言えるのは、何でもかんでも答え合わせをしようなんてそんなの野暮ってことくらい。

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