救われたから、明日も忘れないための決意の文章

今日、もうひとつ別の大きな心情の変化があったから書き残したい。

この中の自傷行為についての話。
私の中で、家長むぎちゃんは、純粋に好きとか凄いとかポジティブな感情だけで構築した印象はなかった。たぶん、それは、その強さであったり、意欲がどこから来ているか分からなかったから。恐らく、むぎちゃんについて知らなかった知った気になってたからだと思う。
私は、高校生の時に初めて腕を傷つけた。明確な自傷をした。そして、大学生になる少し前にODをした。最初は、心配して欲しい。無心になりたい。どうにでもなれ。消えたいの気持ちだった。
最近は、本当にたまにしか見える傷はつけていない。でも、ODは続けている。もう薬中だ。
でも、もう悪いことも異常なこととも認識できなくて、それがないと不安で、正直金銭面でもとても来ては行けないところまで来ている。それでも私の中にあるのは、薬どうしよう、だった。やめようとかじゃなかった。

でも、そんな私という存在を知らないはずの2年前のむぎちゃんが「依存性があるから」「病院に行きなさい」そう言っていた。
今まで、同じことは何度か言われたことがある。でも、その気になれなかったし正直真面目に聞いてもいなかったと思う。
じゃあ、なんでむぎちゃんのこのアーカイブで揺さぶられたのか?たぶん、優しくて冷たかったから。
優しさって、温かいだけだと思っていた。そのぬるさが苦手だった。でも、「依存性があるから仕方ない病院に行け」という一見冷たい言葉に、たくさんのたくさんの暖かいベールをかけて包んで渡してくれたのが嬉しかったんだと思う。


このお話、本当はむぎちゃんだけに伝えようと思った。手書きでありがとうって伝えようと思った。でも、まだ伝えちゃダメだと思った。自語りの自慰行為でしかないと思ったから。
でも、もしいつか、「まだ子どもで誰も私の事なんて心配してないし、身近な人から異常者が目に見えて出てくるのを怖がってるから仮面をつけていた私」が病院を予約して、病院に行った夜に、美味しいお茶を飲みながら文字にしたためようと思う。

こんなに気持ち悪くて酷い自己中心的な文章で、誰の目にも入らないから、私に万が一のことがあっても残り続けてくれるから、この独りよがりの文章をインターネットに流すことにするよ。
誰にも見られなければいいなという恥ずかしさと、明日も私の好きな人たちが心穏やかに過ごせますようにと言う祈りを込めて。


2023.07.13 私へ

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