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いい写真ってなんだろう

いい写真ってなんだろう。
SNS全盛の昨今、「いい写真」を撮影するためにカメラを持って出かけていく人は星の数ほどいることでしょう。
一際輝くためにインパクトや彩度を高く設定し、現実とはかけ離れた世界を創り上げる写真が世の中には溢れているように思います。
それらがいい写真だろうか?と問われれば、全然違うよと答えます。

私が好きな、いい写真ってこんな感じです。

作家のこだわりを感じることができる写真
私はこれを推しています。これを感じることができる写真と考え方を持つ撮り手は、例え直接会ったことがなかろうと、友人だと思っています。ここでは、私のこだわりについて説明していきます。

何故モノクロか
私は、モノクロの風景写真をフィルムで撮影しています。
何故モノクロであるかというと、マイケル・ケンナ師が撮影する、私の故郷・北海道の写真を見た時に「やられてしまった」ことが理由です。
この「やられてしまった」という感情は単にケンナさんの写真が素晴らしく美しいということだけではありません。
ケンナさんはこれらの写真群を侘び寂びや禅の精神と併せて説明されています。
私は衝撃を受けました。
国外の写真家にこれをやられてしまっては日本人としては如何なものか、と。
日本人が本来持つべき美的感覚を取り戻す必要があると感じました。
世は正にSNSで極めて華美な写真と空虚ないいねを求める時代。日本のSNS事情も全く同様でした。これは私なりの現代へのアンチテーゼであり、ケンナさんへの憧れと共に抱く野望でもあるのです。

何故フィルムか
フィルムはデジタルのような加工はできません。加工できないとは言っていません。プリント時にある程度の加工はできますが、デジタルのように大きな現実改変はできません。精々、コントラストやデジタルでいうところのトーンカーブを変更する程度が限度です。
つまり、デジタルよりは極めて現実に近い光が描く絵であるわけです。
これもSNS時代に対するアンチテーゼとして設定しています。
蛇足ですが、フィルムの方が手に馴染む撮影ができるというところも大きな理由です。

その時、その場所でのみ得られる素材で美しい光景を撮影する
ここまで読んで頂くと、私の人間性がある程度見えてくるかも知れません。
私は皆が一様であることを好意的に思っていません。日本人はそれを好む傾向にありますが、個々人が個性的に自身を表現できる社会になることを望んでいます。
それは私の単なる思想でしかありませんが、自身が行う写真活動としては、それを体現していきたいのです。
SNSでよくある、訪れれば誰もが一様に美しい撮影を行える、いわゆる撮影スポットで撮影した写真で稼いだいいねとフォロワーでフォトグラファーや写真家になった気でいる人は個人的にはどうなんだろうかと思います。
フォトグラファー・写真家という言葉は単なる肩書きでしかないので、自由に使って良いと考えますが、それらは本当の意味での写真家ではないと考えます。
真の写真家は、常に自身の表現を探究しています。自分にしか撮影できないもの、自分だけが発見した場所など、ジャンルに応じて様々な探究を行っています。
話は章題に戻っていきますが、私は風景写真を主に撮影しています。
風景写真で自身を表現するというのは困難極まります。ですが、こだわりをもって撮影することは出来ます。それはある意味自身の感性の発露であり、自己表現なんです。
私の場合は、殆どの方が撮影しない撮影スポットではない場所で、撮影時点でのみ得られる光景、それは天候であったり、通りかかる人であったり、或いは野生動物ですが、不動体と動体双方を含めて撮影することでその風景を一枚の絵画として完成させて撮影することとしています。
非演出の撮影ではこれが限界と思えるラインで撮影することで、自身の感性を表現しています。
ずっと写真表現という言葉について悩んでいましたが、風景写真というジャンルにおける自己表現の説明としては、人により説明が違えど、ここまでになるのかな、というところです。

私の考える、いい写真とはこだわりのある写真であり、私の風景撮影におけるこだわりについて書いてみました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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