見出し画像

「ボーはおそれている」感想

【全体】
バリキャリシングルマザーの毒親により主体性を奪われた息子(鬱病の中年男性)が結局母親からの呪縛から逃れらない哀れなお話だった。

「へレディタリィ」や「ミッドサマー」のようなグロさを期待していたが、そういう描写はほぼなく3時間通して精神病患者のせん妄を見ていた気分。

【街編】
・全裸の殺人犯が犯行を繰り返してるのさすがに治安が悪すぎる。ここは北九州か。
・自宅を勝手にパーティー会場にされてそれを外から眺めてるシーン。
家の中ではご飯食べたりセックスしたり喧嘩したり皿洗いしたり(!?)といった光景が繰り広げられていて、普段からボー君が人々の営みに入っていけてないんだなぁという疎外感をめちゃ感じる。
・母親との電話の様子から母親とボー君は共依存であることはわかっていたので、母親が事故死したというのは息子を早く家に帰すための嘘である可能性は高そうだと感じた。
・全裸のおやじが車に轢かれるの、漫☆画太郎以外で初めて見た。

【軟禁編】
・ボーを看病していた老夫婦。息子の写真のパズルを完成させようとしている描写もあったし、失ってしまった息子を探して息子になれる男性を探してたんだろうなぁ。妹の様子を見るにボー君がはじめてじゃないよね。
・本筋と関係ないところで躍動するドゥニ・メノーシェなんなん。
・ボー君の全力疾走も早い!

【森編】
・どちらの服を選ぶか自分で決められたときは「主体性をこれから取り戻していくのかな?」と思ったけどそんなことはなかったでござる。
・劇中劇の心理描写さすがに長すぎた。映像表現としては面白かったけど、腹上死の家系であることと、童貞へのコンプレックスが明かされること以外は情報がほぼないので中だるみした感じがする。
・軟禁編で語られた精巣上体炎でキンタマが肥大しているっていう情報は
親から子への性的なリスク(SEXすると死ぬ)の遺伝を示唆するものだったのか?精巣腫瘍は親から子に遺伝するらしいけど、精巣上体炎はどうなんだろう?
・結局ここで会った男は何だったのか最後までわかんなかったな。
・ドゥニ・メノーシェに襲撃された後、ボー君くんの横に座っていた女が
全速力で逃げていたの笑った。とにかくこの映画は全力疾走が印象に残る。

【客船(回想)編】
・性的接触を誰に許可されているのか気にするあたり、このころから相当に束縛が強いことが窺える。
・女の子に(せかされたとはいえ)自分からキスしたりまだ主体性のかけらは残っていたのに…。
・チョコフォンデュに虫がめっちゃ浮いてるのアリアスターらしさ満点。
・この時女の子からもらったメッセージ入りの写真を後生大事にもっているのも「シンデレラコンプレックス」を患っている感じも受ける。母親からの抑圧から自分を救い出してくる人間を待ち続けてたんだろうなぁ

【実家編】
・MW社の過去商品のモデルに何度もボー君出てたね。
・母親の業績をたたえる展示の最後にあったモザイクアートの顔写真のなかに軟禁編に出てきたおじさんの写真があったよね?社員だったのかな。
・遺産目当てで即寝る女したたかで良いが中年同士のセックスを見せられるのはしんどい。
・そっちが死ぬんかーい。
・満を持して登場する母親。事故死を偽装することを思いついたのは母親?
冒頭の「帰省できない」って電話からノータイムで偽装を実行に移してると思うんだけど母親に代わって死んだメイドさんの判断が早すぎる。

【屋根裏部屋編】
・問題のシーン。デカすぎるちんちんの怪物をみんなギャグだと思ってるけど、あれはシャドウとペルソナの関係に見える。
・自分の解釈だと、父親の不在について母親に聞いてたのはボー君自身。幼いころ、父親のことを聞くたびに屋根裏部屋へ閉じ込められていたボー君は徐々に母親に従順になっていった。
つまり、屋根裏部屋にボー君の男性性・父性・反抗心といったものだけが閉じ込められることになった。
・屋根裏部屋で当時のトラウマ(デカすぎるちんちんの怪物として表現された)と対面したボー君は、己のシャドウと対峙することで少しだけ母親に対する反抗心を取り戻すことができた(ちょっとだけマーラ様を自分のペルソナにできた)。
・なので屋根裏から降りてきた後、一時は母親に許しを乞うたものの、母親の首を絞めて反撃することができたが、ちゃんとトラウマを昇華できたわけではなかったので中途半端な反抗になってしまう。
・結局母親はそのまま死んでしまい、依存先を失ったボー君はふらふらと外へ。

【裁判編】
・ここまで自分で乗り物を運転しなかった(自分で物事を前進させなかった)ボー君が初めて自分で乗り物に乗るのは象徴的だが、大きな暗い穴に入っていく様は子宮回帰なので結局母親という存在に取り込まれていく暗喩。
・けっきょくエンジンが壊れる(物事を進める意志を失う)し、内省的な世界へと戻ってきてしまう。そこで開かれた裁判は母親を殺した自責の念による自己裁判。
・「子供を愛したら自分も子供からお返しを受けるべきだ」という毒親思想を浴びせる母親の弁護士に対して、自分の言い分を伝えてくれる弁護士は怪物に食べられてしまい、結局母親への(本当は感じる必要のない)罪悪感に押しつぶされてしまう。

【まとめ】
・niceboat.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?