【好きなもの】仲谷鳰『やがて君になる 8』 ~後編~
どうも、エトナです。
前編をまだ見ていない方はこちらから。
そもそも『やがて君になる 8』をまだ読んでいない人はこちらから。
では、後編。43話からはじめましょう。
第43話 続・記述問題
開幕は白背景から。燈子との関係性が見えてああ夢だなと初めから判るシーンですが、夢とは願望、自分の中にある先輩としたい事の一つが「一緒に住むこと」なのかなと考える侑。そして昨日の「欲」を思い出してほんのり頬を染める、このコマも大事。もだもだしてこんな「悪い子」だっけと疑問に思う。侑のなかで、この時は「そういうこと」を求めるのは悪いってまだ思ってしまっているんですよね。「悪い」は強い言葉で、ニュアンスとしてはやっぱり恥ずかしい事なのだと、そういうくらいに思っている。そして頬も赤くなる。
燈子の家族関係の改善が見られる見開き2ページ。ここは、生徒会劇をああいう形に変更した侑の決断が悪いものではなかったという証明の一幕なので、読者としても見ていてすっきりするところですね。左下のお父さんとのやり取りを見る度に「良かったな燈子(腕組み)」ってなる。
そして次の2ページでは「きっかけ」になる留守番のエピソードですが、108ページの3コマ目と、109ページの最終コマにだけ燈子の「思惑」があるんですよね。それ以外のシーンでは一切考えたり頬を染めたりせず思惑を完全に隠して家族思いの優等生を「演じて」いる。で、一つ前に家族関係が改善したよってシーンがあるから、ご両親は素直にそれを信じているんですよ109ページの3コマ目で。このコマ充てでそういう登場人物の感情を全部見せる腕前、秀逸という言葉を贈るのに躊躇はない。
ここからの4ページ、こよみの新人賞受賞を祝うために4人でファミレスに集まるシーンですが、ここは終わりのページにある「いつかは……私も先輩とのことみんなに言えたりするのかな」を描くためのシーンだと思ってます。なので私にはこよみの「騒ぐ口実欲しいだけじゃないの」はほんの少しメタなセリフにも見えたり。役割としてはそれが一番重要であり、ただそのために最適なシーン選びがされています。最後のモノローグを自然に引き出すために描かれた、こよみが作家の夢に進んでいることと、朱里の恋愛の進展はそれぞれこれまでの伏線と終盤の展開を繋げるものです。
そして、燈子の演劇が始まります。この一幕は、作中屈指の名シーンです。劇団での発表はここが初出で、侑も観劇は初体験です。そして、大勢がそれを見に来ているという事実から、「自分以外の人も燈子を見ている」ということに気付きます。侑も燈子のことをよく見ているし、好きという気持ちも向けているけど、それは自分だけの特別な事じゃないのかもしれない。そういう、ほんの少しの寂しさが頭をよぎった時、侑は自分のいる場所を暗く、広く感じます。暗い所にいる侑と、舞台の上の明るいところにいる燈子。この比喩が最高なんですよ。その後の人生で大きな飛躍をする可能性が燈子には十分あるし、自分から遠いところに行ってしまうこともあるかもしれない。侑はその差異を感じてしまうわけです。
ですが、劇が終わった直後、舞台上の明るいところにいる燈子が侑を見つけます。ちゃんと、明るい所からでも、自分を見つけて笑ってくれる「彼女」に侑の「好き」は最大値を更新します。燈子は、どこからでもちゃんと侑を見つけてくれるし、侑が見ていることに気付いて笑ってくれる。これほどの信頼がありましょうか。開演前に送られてきた「見ててね」がこれだけの威力を持つことになろうとは想像し得ませんでした。
終わったあと楽屋に会いに来て、ひょいっと覗いたら真っ先に見つけてくれる燈子を見れば侑の背景にこのトーンが張られるわけです。わたしの彼女はすごい、そして、すごい彼女が見つけてくれる自分のことも、今の侑は好きになれる。
はい、意を決してこのページを捲りましょう。
お泊まりがしたいです
破壊力。
小糸侑がこれを言うんですよ。小糸侑がこれを言ってしまうくらいの「好き」を抱えてしまったんですよ。こういうことを考えるのは自分らしくないと思い、そういうことを求めるのは悪いことだと思っていた侑。もちろんこれを言ってしまって燈子に拒否されてしまうかもしれないなんていう怖さもあるんですよ絶対。でもそういった諸々よりも燈子と「したい」っていう欲求の方が大きくなってしまっているんですよ。これまで『やがて君になる』を読んできてこれに悶えない人類がいるだろうか、いやいない。これだけの感情をぶつけられて無事で済むと思っているのか。これを読む身にもなってみろ。ほんとうにありがとうございます。
で、まぁそんなことを大好きな侑に言われて、燈子も「もう無理」ですよ。先輩らしく今まで抑えていた「大好き」を前面に出してしまいますよ。
うち、来て?
破壊力。
いや「もう無理」は我々のセリフですよ。耐えられるわけがないだろう。こんな質量兵器を立て続けに落とすんじゃない。このゼロ距離で、耳元でこんな言葉を囁かれて耳まで真っ赤になっている侑なんですけど、それを見ている我々も似たようなことになってますよええ。そりゃあ暴動も起こる。こんなことをされてしまって無事でいられる『やが君』読者などいない。
ひとまず、おまけページで熱を下げましょう。夢ネタの回収ですね。
第44話 夜と朝
何だこの憤死しかねない扉絵は。パーカータイプだって気づいて見返すと少し前のページでの侑のパジャマはセータータイプなんですよね。ってとこで「そういえば合宿の時に寝間着悩んでたな!」って思ったんですけど、どうやらその時の物ではなさそうでした。まぁ合宿は季節違うしね。ちゃんとそのために用意したのかな。なるほどな。とか一人で納得していました。
正直な話『やがて君になる』でここまで描かれるなど想定していなかったので、この話を読むとき動悸が止まりませんでした。俗な言い方ですが「これから情事に耽る予定のある日常」とか、界隈では最高級メニューですからね。
まずは緊張した面持ちの侑から。形式的には「ご両親にご挨拶」なわけで、ただ遊びに来ているだけではないのだという謎の感覚が、インターホンを押すことをほんの僅か躊躇させます。
ここの燈子とお母さんのやり取りは、表向きの燈子と家族内の燈子の差異であって、真の事情を理解したそれとはまた違うところ。お母さんの考えている裏の燈子は家で見せている燈子であって、真の燈子ではないのだ。
個人的にはここで終始無言を通しているお父さんの表情をどう解釈するべきか悩んでいます。流石に、燈子と侑の関係に気づいているわけではないと思うので「年頃の女の子」に対する言動の明確な答えを持ち合わせてない「父」ならではの無表情なのかなと。年頃の娘と良い関係を築けていなかったという自責はまだ完全に払拭されてはいないだろうし。
ご両親を見送って、なんだか悪いことしてるようなと呟きますが、やはり侑としては「そういう前提」で来ているのでね。ほんの少しの罪悪感はある。お家デート、ですから。そして、ソファの憧れを話す侑。
自然なキス。べつに何もないキス。何かないとしちゃだめ、なんてことはない関係なのだ。それを自覚している侑と、教えられる燈子。そして燈子の反応。これを見て、今あなたが抱えているのが「尊い」という感情です。
写真を眺めて、燈子と姉の容姿に触れる侑。それを受けて燈子は「やっぱり? よく言われた」とさらりと流すことができる。姉と自分は別の人間なんだという評価も、今ではまっすぐに受け止められる。そういう風に燈子が変わったよと伝わるシーン。涙出そう。
ホラー映画を借り、燈子はピーマンに首を振り、帰ってホラー映画を見ているときも二人の違いが描かれますが、可愛らしさにはもう十分触れているのでそこはいったん置いておいて。ここでは侑が「燈子の将来」を意識するのがこの後に関わる部分ですね。前話の演劇で燈子の将来の舞台を想像した侑ですが、それが現実になった頃自分はどうなっているのかななんて、そんなことを。
そしてここで41話で提起された「関係性の名称問題」に一つの解決が示されます。「恋人」「付き合ってる」というワードを好んで使う侑と、名前を付けて呼びたくない燈子。燈子は、何か言葉を当てるなら「恋人」で間違いは無いのだけど、その言葉だけで説明できる気はしないのだと言います。今でこそ特別な意味合いを持って一緒に過ごしているけど、それが当たり前になるときが来るかもしれない。そのときのそれは今と全く同じ関係ではないはずで、そういう風に一緒にいる間にも関係は変わっていく。だから、名前は、付けなくてもいいかなって。「好き」という言葉を「そのままのあなたでいて」と解釈していた燈子が、変わっていく関係の中にも「好き」があり続けることができるのだと気づいている。この変化が、この物語の核として本当に大事な点なんです。
そして、侑と一緒にいる未来を燈子が考えている。これは一つ前で侑が考えた「燈子の将来」への回答ですよね。燈子の思い描く将来でも侑は燈子の隣にいる。それが本当に嬉しい小糸侑でありました。そしてそれを受けて侑の憧れであるソファを話題に出す。こういう細かい会話を覚えているあたり燈子は本当にいい女。
ここ、無言の一幕ですが。特筆すべきはやはりチーズケーキ。燈子が怜ちゃんにレシピを教わっていた侑の好物。そのリアクションに笑顔になる燈子ですよ。
そしてお風呂に移っていく。ドライヤーの音を聞きながら枕を抱えて待つ侑もそうだし、呼ばれてビクッとするところもそう。「待ってるから」も「のぼせそう」も全て「この後」を想像させ期待感を高める演出。それをこれでもかと突っ込んでくる。全乗せ、マシマシ、オールイン。
ベッドとは別に布団を敷いて全く無意味な逃げ道を用意している燈子。侑の準備ができて燈子の部屋に来た時の緊張具合が伝わってきますね。変な挨拶してるって自覚はあるか七海燈子? 侑が一応敷かれている布団に座るときに、残念がる様子など見せなかったことは判っているか七海燈子。布団が2つ用意してあるのを見ても、そういうことをしないんだろうかと逡巡する様子など一切無かったことを理解していてなおその無駄な会話を続けるか七海燈子。お前はどこまで……。
そして我らが小糸侑。燈子の言葉を遮って「そっち行きますね」。
この作品の肉体の描写で特に重要なのは「舌」です。3巻から意識させられた「艶やかさ」の象徴。フレンチキスなど限られたシーンでしか登場しなかったそれが、ここから先のシーンでこの上なく効果的に機能しています。描きすぎない、だけどちゃんとエロい。条件反射的に調教されたパブロフの読者です。そんで、左上のコマめっちゃ好き。
燈子が、侑と付き合ってから先輩らしくあろうとしてきた背景がここです。自分ばかり欲しがってはいけないと、そういう風に思って自分を抑えていたわけですが、侑は結局その間「燈子が求めて来てくれないこと」に違和感を覚えていたわけで。人を好きになっていなかった時はわからなかった侑ですが、今は「人を好きになると欲張りになる」とわかる。だから、お互いを欲しいと思う気持ちを我慢する必要なんてないと。欲しいもの、したいこと、全部したい。
……しますね
破壊力。
燈子のお腹に手を這わせる侑が感動に打ち震えるんですよ。見た目の美しさや感触だけでなく、今までできなかったことをして今まで知らなかった熱を知ることができるほど、自分と燈子の関係が変わったことに。恥ずかしさと相まって頬の赤さがこれまでにないことになってます。
侑がまだ服を着ていることに不満げな燈子の表情。パーカーを脱ぐ侑を至近でじっと見つめるところとか「待ち」の姿勢ですよね。それでいて侑の下着にしっかり手を掛ける辺り、燈子のそういう欲求への向き合い方が垣間見える。快楽に震えるコマでは侑を力強く抱きしめているし、そのコマ、柔らかさの象徴のすぐ上で侑のあばらが浮き出ているのには肉体の表現に手を抜かない律義なまでの「こだわり」を感じます。
この辺ね『やがて君になる』の素晴らしさの本質が「物語」にあると語る人は多くて私もそう思ってはいるんですが、絵も非常にレベルが高いんですよ。いや、今更何を言っているのかって話ですけど、ちゃんと表情とか肉体の動きとかで語っていない情報を見せる表現が上手く、その上に作画のクオリティも高い。漫画は総合芸術だと事あるごとに言っていますが、この作品は全ての要素において高い水準にある「漫画として」質の高い作品なんです。私はそう思う。
情事のモノローグでは、自分たちがこれからも変わっていくこと、それでも彼女たちが「侑と燈子」であることは変わらないと思っていること。今までと、これからを約束するような言葉が交わされます。
わたしの「好き」は自分で選ぶものだから
あなたを好きでいたいっていう
願いの言葉で、意思の言葉だから
ここに、幸せ以外の何があろうか。
この「きっかけ」を経て、侑は燈子を下の名前で呼び始めます。ありがちですね。そんで、朝チュンにありがちなトークをして。最後は大コマで締め。このセリフは「この物語の締め」というセリフですね。
おまけページは、燈子が作ったチーズケーキの材料。小ネタを拾います。
第45話 船路
侑のモノローグからスタート。物語の終わりにこの演出を選んだという示唆。この後の演劇に関わる文ですね。そして三年後の侑の全身がここで見えますが、可愛らしさを残しつつ、髪を結ばなくなったことで幼さが薄れています。好き。
ここで怜ちゃん「七海ちゃんによろしく」と敢えて釘をさして関係性を示唆。もともと気付いていた部分はありましたが、侑と燈子がそういう関係性になっている、と気付かれて話したことが描かれていない何時かにあるんでしょうね。そしてその後の会話で、両親(少なくともお母さん)には内緒になっていることが判ります。反対するとしたらお母さんと書いてあるところもあり、まぁやっぱりそこはどうしても「秘する部分」になるかなって。ここが打ち明けるのはいつの話になるんでしょうね。そこ書いてるとまた別の話が始まってしまうので、描かれない部分だと承知の上で。
そして出かけて一番に会うのはこよみなんです。話として「こよみが前に進んでいく」ことは、本筋とは関係ありませんが作者が描きたかったことの一つなんだろうなと、ここまで張っていたエピソードからも読み取れます。演劇の脚本を提出してくれた友人というだけでなく、そこで主人公に影響を受けて前に進んでいることまでしっかり描きたかった。友人たちの中で唯一ページの割き方が違うんですよね。そして、初めての本の発売を憂うタイプですねこよみは。
合流したのち、菜月につつかれながら侑はその関係を「堂島くんには言ってない」という一幕があります。これは、43話にあった「いつか言えたりするのかな」を解決したということでもあります。堂島にだけ言ってないのは、元来の意味の「秘する」とは別で、堂島が堂島である故なのでしょうね。軽薄に見られている部分が大きいのか。
槙の謝罪に関しては、バッティングセンターの一件ですね。少なくとも槙が侑を観客から役者の側に押し戻したのは紛れもない事実で、物語としてあの一件が無ければこの結末を迎えていない可能性は大いにあるので読者としては感謝しきりですが。多分槙は、役者に影響を与えてしまったという自責があるのかもしれませんね。観客は役者に影響を与えるべきではない。たとえそれが、自分の好きな役者が最高の舞台から降りようとしているときでも。そんな観客としての信念と、その先を見たいというエゴのぶつかった結果の謝罪なのだと思います。結果オーライだ槙くん。
バスケ焼きがあったり、菜月がストラックアウトが上手かったり、堂島と朱里がいい関係だったりが描かれ、生徒会劇の前に沙弥香が合流します。堂島が生徒会長になったのは、前会長の紹介で入った経緯もあって妥当かなって私は思いますね。槙や侑はやりたがらないだろうし。
携帯の着信を見て突然立ち上がった侑に「いってらっしゃい」と声をかける沙弥香。当然ですよね。そんなことも分からないで佐伯沙弥香やってられませんよ。
劇が始まり、冒頭のモノローグとリンクします。冒頭のままではネガティブなイメージが強かった詩が、追加される一文で明るいものに一変します。侑にとっての「特別な日、特別な瞬間」たち。これ本当に素晴らしい見開きだと思います。
終幕後、一旦合流して挨拶をして「echo」へ。ここのシーンはそれぞれの今が判るようになっている部分と、これからの展開に向けての伏線ですよね。陽ちゃんとかは『佐伯沙弥香について』で描かれるだろうし。あと、8巻での侑のデフォルメは珍しかったなって言うのがこの間のコマの印象。
帰り道。燈子の「うち泊まってく?」に侑も「そのつもり」とまっすぐ返事ができるようになっている。一緒に過ごすことを「当たり前」に思えてきている、あの時点からの「将来」がここなんですよね。「下の名前で呼んでみよう問題」は、まだ二人きりの時限定での解決ですね。甘酸っぱさ。
大事な話をした川辺。8巻前半にあったクライマックスの舞台が生徒会室で、もう一つのクライマックスがここなのは舞台装置として完璧な役割。
二人ともお互いに「何になってもいいよ」と言えるようになっている。これからどんな風に変わっても、侑は侑で、燈子は燈子だから。
星に手を伸ばし、はめられている指輪が見える。勿論左手の薬指。そしてその後、手に握るのは隣を歩く燈子の手。好きという気持ちを、そしてその気持ちを伝えられる相手を手に入れて、数多の星の光に導かれながら二人は前に進む。白紙だった海図に船路が刻まれる、最高にきれいなカラーイラストで終幕です。
おわりに
好きという感情にこれだけ真剣に向き合う話を読んだのは初めてで、その上最後には本当に大きな「好き」を見せつけられました。この記事を読んでいるということは、皆さんも『やがて君になる 8』を読んで同じように感動したことでしょう。この記事が、感動を共有し大きくする一助になれば幸いです。
生きているうちにこの作品を読めたことを幸せに思いながら、この辺で筆を置きたいと思います。
仲谷鳰先生。この作品を生み出していただき、ほんとうにありがとうございます。
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