見出し画像

麦酒、または友情

Pさんは耳が聴こえない。幼いころに高熱を出したから。結婚して、子どもがふたりいる。日干し煉瓦をつくっている窪地より向こうの村に暮らし、一階が牛小屋、二階が住まい。私の職場で下働きをしていた。

外国人である私と、思えばどうやって意思疎通できていたのだろう。Pさんは身振り手振りでうめきながら必死に何かを伝えようとする。かっと目を見開いて、相手の意図を読み取ろうとする。尋常ならざる苦労、差別、痛み。顔には深い皺が刻まれ、おそらく30代なのだが50代に見える。

私とMさん、そしてPさんの3人で地方へ出張することになった。興味を持つ者など誰もいない干からびて見捨てられた山岳地帯を、約1カ月かけて踏査する。何十時間もバスに揺られ、Pさんがこの日のためにわずかな貯えで買ったであろう帽子が一陣の風で車窓から飛んで消えた。Pさんは何とも言えない顔で笑っていた。

バスを降りるといくつもの山を越える過酷な旅だった。私は高熱を出し、下痢に見舞われ、歩き続けた。農家に牛乳を分けて欲しいと頼むと、神様が怒るからと断られた。喉が渇き、暗闇で井戸の手押しポンプで水を飲む。翌朝、水を見ると赤銅色に濁っていた。

山頂には聖人として崇められる片腕の老人が暮らしていた。なんでも、同時に旅立ちながら飛行機で首都に降り立った人よりも早くそこにいたという。乾いた大地の向こうに寺院があり、女がひとり暮らしている。訪れる人と性的交渉をもち、金をとらないという。

Mさんは先に帰り、Pさんとふたりで仕事を終えて小さな街に下り、宿をとった。夜、私はPさんを残して街の中心部へと歩いた。ぼんやりと灯るバラック。怪しげな露店に入り、ビールはあるかと尋ねた。あるという。しかも、思いがけず冷蔵庫で冷やしてある。

1本注文して栓を抜き、臓腑に流し込んだ。過酷な旅の末に辿り着いた、1カ月ぶりのビールだった。歩いた地域は酒の販売が禁止されていて、そもそも道がないので流通していなかった。冷えた苦みがささくれた心身に行きわたり、細胞を潤す。

宿に帰ると、Pさんが怒っていた。なぜ俺をひとり残したと。どうしても酒を飲みたかったしPさんは飲まないから、と私は説明したが、それは関係ない、お前が酒を飲んでいる横で俺は飯を食うだけだと言う。誰かがひとりぼっちにならないように気配りする極めて健全な国民性。ひとりになりたがる歪んだ外国人。1カ月ぶりの酒は気兼ねなく飲みたいものだが、確かに私が悪かった。私はPさんに謝った。

出張から戻ると、虫に刺された足に雑菌が入り膿んで腫れあがっていた。抗生物質を飲み、三日たっても腫れが引かなかったら切開すると医者に言われた。Pさんは、Mさんに出張手当をねこばばされたと怒りまくっていた。

あのとき、高熱を出して倒れた小屋の低い天井に貼り紙があった。忘れられた土地に育ち、やがて出ていった誰かが書いたのだろう。

World is Stage
Life is Drama
Love is All

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?