2020年12月、青山学院大学ワークショップデザイナープログラム34期メンバーのアドベントカレンダーをきっかけに、 ずっと気になっていたnoteを始めました。 2021年12月、同じ理由で、久しぶりにnoteを書いています。 シンプルに、2021年を振り返ると、ステージが変わったことを良くも悪くも実感した1年でした。 複業でプロデューサーをしたソーシャルグッドYouTubeチャンネル「polygonz」で大学のゼミの教授にアフガニスタン情勢についてインタビューをしたり、
昔からまとまった休みがあると、合宿みたいに集中して学びを詰め込みたくなる性分です。 今年のGWは、LEGO®︎SERIOUS PLAY®︎メソッドと教材を学び、ファシリテーターになりました✨ 私がこのメソッドがよいと思った理由は3つあります。 ①20:80の会議を、100:100の会議にする コンセプトに共感した 2割の人が8割話す会議が、本当に多い! たくさん話す人がいい意見を持っているとは限らないし、 全く話さない人が場を救うような意見を持っていることだってあ
日本のジェンダーギャップ指数がG7で最低の世界で120位と発表された2021年、私は管理職になった。 小さい頃、私を育ててくれた祖母は、 繰り返し「自立をしないといけない」と私に説いた。 小学生になると、家族に安定した勤め人がいないことに気づいて、 「自分と、家族を養う」が私の目標になった。 就職活動をしている時、 「子供を抱いているイメージが浮かぶと、採用されないよ」と言われて衝撃をうけた。 就職してからは、 良くも悪くも、性別を意識することなく働いた。 結婚してか
2020年12月31日、23時頃。 わたしは、布団の中で88歳の祖母にネイルをしていた。 年越しは、なるべく恋人や友達と過ごさず、 実家(わたしも祖父母も東京)の祖父母と3人で、紅白歌合戦からのゆく年くる年で、 年越しの瞬間ハイタッチで盛大に祝い、 「今年も健康に過ごしましょう!」と挨拶するのが恒例だった。 2021年も、この恒例行事ができる!! とわくわくしながら、紅白歌合戦を見ていた。 22時頃、ピンチが訪れた。 祖母が、「知っている歌がなくって寂しいわぁ」とぽつ
巷で目にする養子のお話は、 少し切なくて「いい話」だったり、 少し後ろめたくて「可哀想な話」だったりが多いように感じる。 わたしは、中学生の時、叔父の養子になった。 生まれた時から父はいなくて、若い母は子育てより恋愛に夢中のようだった。 「いる」を知らないので父が「いない」ことは本当に何も感じていなかった。 母がわたしを友達の一人くらいの感覚に思っていたことは、 母の代わりに育ててくれた祖母の愛情を一身に受けていたのであまり寂しくなかった。 実母の兄である叔父は、小さい
2020年2月、企業の新卒採用担当5年目だった私は、途方に暮れていた。 新型コロナウイルスという得体の知れないものが現れて、 今までのように学生の皆さんと会って話すことが難しくなったのだ。 1.数千人とリアルで会っていた今までの新卒採用それまで私は、とにかく学生の皆さんに会っていた。 大規模なイベントであっても対面の座談会の機会を設けて直接質問に答え、 インターンシップやアイデアソンでは講師として40名弱の学生の皆さんと終日同じ部屋でグループワークを見てアドバイスをした