刀ステの感想

1月に『維伝 朧の志士たち』をライブビューイングで見まして、舞台『刀剣乱舞』とても楽しいものだと知りました。
それ以来過去作も見たいと思っていたのですが、とうとうディスクを購入しました。虚伝初演から悲伝まで。その都度twitterにつぶやき散らかした内容を編集したものがこちらになります。
なおネタバレには配慮してません。

虚伝 燃ゆる本能寺(初演)

とにかく宗三がまるで宗三で興奮してた。見た目も色っぽい美人。完璧。台詞の調子もまるでゲームの宗三。しゃなりとした佇まい、しかし刀を抜いたらしゃきしゃき戦ってかっこいい。めっちゃエモーショナル。
オープニングでみんな刀を抜いて敵を斬るのに、宗三だけは抜かずに花を手に現れる。どう見ても紅一点。全体通してヒロインぽくもありヒーローぽくもある。
長谷部にグーパンする宗三。その後ちゃんと謝る宗三。不動を高飛車に叱りつける宗三。あわやのところでスライディングして現れる宗三(3回くらい)。崩れ落ちる蘭丸を抱き留める宗三。
刀を構える姿はかっこいいし、足チラもちゃんと見せてくれる完璧な宗三。

それから三日月。登場してまず、鋭い眼差しに圧倒された。
殺陣がすごい。アクションはみんなかっこいいんだけど三日月は異次元だった。クライマックスの殺陣まわし、三日月の登場でピシッと世界が変わる。
まさに刀神が降臨したかのよう。
殺陣に限らず、三日月はなんか世界が違う。日替わりコントにおいても、日舞のような所作も平安ジジイのキャラも崩さないまましっかり笑わせてくれる。そしてそこの(キャラクターと笑いの)落差にも感じ入る。

燭台切。私は、原作では燭台切が特に気に入りの一振りである。燭台切は舞台でも良い声で、燭台切が喋るとそこに全て持って行かれるようだった。長身も圧倒的。紅白戦で、長谷部と一期一振たちが2対2でやっているところに、上の方から「のしっ」て感じで圧を発しながら出てくる燭台切は完全に解釈の一致であった。ただでさえデカいのが上から来て、さらに頭上から振り下ろすようにゆっくり刀を抜いて圧を発する。下にいる誰も注意を向けていないけど、注意を引こうとするのでも忍び寄ろうというのでもなくただ無言で迫っていく。長谷部を煽ったかと思えば宥めたり。不動に煽られてやれやれ…みたいな仕草も隙無く格好いい。実に伊達男。

鶴丸と燭台切の伊達コンビも最高。紅白戦の導入にばばーん!と現れる場面。クライマックスの殺陣まわしで並んで登場する場面。流れにメリハリを効かせる存在か。見た目に白と黒、和装と洋装で対称性が際立ってるところに効果があるんだろうか。

小夜。かっこいい!アクションが圧倒的!
さらに、舞台でなるべく身長を小さく見せる為なんだろうけど、常に足を広げて腰を落とすような姿勢なので、常に身構えている雰囲気なんだよね。
一方で幼い感じの声。この憐れを誘う落差が小夜ちゃんだ…


まぁこんな感じでしばらく興奮してた。殺陣の場面だけ何度も繰り返して見た末に、やっとストーリーのことを考えるようになったんだが。

「歴史をあるがままにするために」生き延びてしまった人間に手を下すって、けっこう邪悪じゃないか?
「もう死んでいるはずの存在」と言われて蘭丸は「何を言っている、私はまだ生きている」と応じる。そりゃそうなるだろう。
「歴史を変えてしまったら、彼らの歴史を否むことになる」って言われても、それは「今」生きている彼らの物語ではない。
「今」彼らには、この先も生きて別の物語を紡ぐ可能性がある。それを否むことは良いのか。
「あるがままの歴史」とは何なのか。未来の者の思いに沿うように過去の出来事に介入するということで、審神者ー『時の政府』サイドも、歴史修正主義者も、大した違いはないんじゃないか。


蘭丸や光秀は、刀剣男士たちのことを何者だと思っただろうか。まぁそんなこと気にする暇はなかったかもしれないし、誰か知らんが信長を抹殺したい勢力が便乗してきたんだろうとか、過去にスパイとして信長の近くに居たことがあって情が移ったんだろうとか、ざっと考えたかもしれないけど。

不動に斬りかかる蘭丸は、不動の言葉が届いていなかったわけではなく、冷徹に敵は敵、と判断していたんじゃないかと思う。
今は情に溺れて自分を助けようとしているようだが、信長を討ちに来た者に違いはないと。
守るべきものを守るためには情けを受けることもかけることもしない。可愛い顔をしてても戦国の武士、プロフェッショナルの家臣ですよ。
そう考えるとシビれる。

ただ、蘭丸は最後には、彼らの正体がわかってたんじゃないかな。
だって長谷部がきっぱりと「不動行光!」って呼んでるしw
そこで、出会ったときからの不動の態度と合わせて、これはあの不動行光が、人の姿になったのか…と理解した。だから「不動行光、つくも髪…」と口にした。
観念しもしたかもしれない。信長の愛刀が、嘆きながらも信長を抹殺しに来たという事態。
何故かはわからないが、信長は人ならぬ者、おそらく神に、抹殺すべき存在とされた。だから、信長をよく知る刀たちに人の姿を与えて遣わした。信長様なら神から抹殺指令が下っても不思議はないよな、とかまぁそんなに考える余裕はあったかわからんが。

光秀も、「後の世の人々は」っていう発言からすると、彼らが後世から来たということがわかっていたのだろうか。これは不動と宗三のやり取りを聞いていたらわかったかもしれない。
このあとの光秀が、秀吉に敗れて最期を迎えるとき、「自分は天下人に成らねばならないと後の世の者が言ったはずだ、また歴史を守りに来ないのか」って思わなかっただろうか…


虚伝 燃ゆる本能寺~再演~

宗三がますます宗三。
新キャストは台詞の調子がゲーム寄りになってる。
アクションもパワーアップ。日替わりコントもパワーアップ。
燭台切がますます伊達男。

そして場面場面で長谷部の表情にどきっとする。
なお、私の原作でのいちばんの気に入りは長谷部である。沼に浸かっていると言ってもいい。
ここまで書きそびれてしまったが、初演で長谷部が小夜に対して「傷はもう大丈夫か」って声をかけるとき、ほんのり優しい顔をしていた。
ほとんどの場面でキツい顔をして怒鳴っている長谷部だが、本来は仲間思いで不器用なんだよね、と思った。
不動が危ないときに名を呼ぶ切羽詰まった声も、仲が悪くても仲間として大事にしてるんだっていうのがすごく感じられた。
近侍に任命された山姥切に対して「まずは、おめでとうと言っておこう」と言うの、悔しい気持ちがあからさまに滲み出てるのに、それでもおめでとうと言うのは、仲間との和を大事にすべしという規範を長谷部は持っているのだろうと思われ、そういう真面目さが可愛いと思いました。

再演では、蘭丸を殺してしまった後、長谷部が不動と宗三にかける言葉の調子が、弱々しくというか優しい感じに変わるところが初演と違う。
それと、光秀が「あのお方に必要とされたかった」って言ったとき、はっとしたように身じろぐ長谷部。信長への思いを語る光秀にふらっと寄っていきそうになる長谷部。当人の口からはついに語られなかった、「長谷部にとっての信長」がこういう形で語られている。
初演に比べて、長谷部の情緒が明らかに目に見えるようになったという感じ。


初演との明らかな違いは、(刀の)不動行光を挟んだ蘭丸と光秀の会話。
2人とも、初演の記憶があって『不動行光』に不穏を感じてる…?と見えた。
ループだ何だのネタバレは事前にさんざん囓ってたので、そのせいかもしれないけど。


義伝 暁の独眼竜

いやぁ、大倶利伽羅もまるで大倶利伽羅。
その上で、自分が今まで考えたことのない「解釈」の大倶利伽羅で、だけど「そうか、大倶利伽羅はそういう刀剣男士だったのか…」って深く納得してしまう大倶利伽羅だった。
いや自分の大倶利伽羅に対する理解が浅かっただけなんだけど。ただ一匹狼(ならぬ一匹竜王)で、秘めた優しさや侠気がある、くらいしか考えてなくて、ギャップ萌えオンパレードな刀剣男士のなかでは比較的「明解」なキャラクターだと思ってたんだけど。
「どこで死ぬかは俺が決める」に込められた意味。戦場を求める刀だったんだなと。
戦って天下を勝ち取りたかったがその機会を得られなかった伊達政宗が、戦場で帯びた刀だから?
伊達刀の中で、政宗の所謂「伊達男」の面ではなく、武将としての烈しい思いを受け継いだ刀剣男士か。
「伊達男」な面々に囲まれて普段はその烈しさを潜めているけれども。

野心を顕わにした政宗を目の当たりにして、昂ぶったような笑顔を見せる大倶利伽羅。
こんなふうに笑う大倶利伽羅なんて原作で見なかったよ。でもそうだったんだな、大倶利伽羅お前はそういう刀だったんだな。そう納得した。

燭台切も印象深かった。小夜の伊達刀評とも相まって。
徹底してコミカルな一方、面倒見の良い面(小夜を気にかけたり、山姥切にも自然にフォローしたり)、遭遇した伊達政宗に対するスマートかつ常識的な対応、歌仙の失礼発言を柔らかく受け流すところなど。
社交性の高さを示す描写と、コメディパートでの有り様がちょっとした落差を感じさせる。この「ちょっとした」の匙加減が逆に深い様な気がした。
出陣で格好良かったけど、ラストシーンはコメディ担当として楽しく締めるところ、そこがこの燭台切の真の格好良さだと思った。

鶴丸は、もうどう言い表していいかわからない感じ。
三日月と同じくらい古い刀で、いろんなところを渡り歩いて、この本丸では伊達の刀とされてるけどそれが最終経歴でもないし、伊達と言えば誰もが知ってる伊達政宗とは直接の所縁はない。
だから一歩引いて、温かく見守っているようでもあり、冷たいように思えるところもある。けど表層はめっちゃ明るくて人懐こい。
何か深いところに秘めていそうなのは三日月と同じ。
最初の方で三日月と、その秘めたものを探り合うようなやり取りをしてたときはクールな印象だったけど、大倶利伽羅を押しのけて黒甲冑に飛び込んでいくところは熱かった。
何というか…もう情報量が多い。そこがいい。かっこいい。


『ループ』が出てきた。ネタバレに聞いてた要素だがここで出てくるとは聞いてない。
この『ループ』、誰に意味があるのか?
メタ的なことを言ってるのではない。登場人物たちにとってだ。
政宗が忠興に敗れて「バッドルート」に入るとループが起きる。
これは政宗がやり直すためのループだろうが、それならば政宗が、バッドルートを記憶していなければ意味は無い。前のルートのどこで失敗したのか検討し、今度は違う選択をしなければならないのだから。
そして他の者がループを知覚しているのは違う気がする。他の者が別の行動を取ったら、当事者がより良い選択をするのが難しくなる。
だが、政宗は前のルートを記憶してなさそうで、全く同じ行動を取るし、刀剣男士の方がループを知覚して別の行動を選ぶ。
ということは、これは政宗が主体のループじゃないよな?


外伝 此の夜らの小田原

雨の中すごい、大変そう…見てるのも辛い…。
しかし映像で見ると、雨が臨場感を盛り上げているようでもある。
迷い込んだどこかで山犬の群れを蹴散らす、雨の降る中…ものすごい臨場感じゃないか。
薪能っぽい演出もよい。背後にそびえるお城もよい。とても趣深い舞台。

内容については、『長谷部くんがめっちゃいい奴でかわいかった!』これに尽きる。
ざいきっちゃんさんにいろいろ言われて、どんどん落ち込むまんば君を心配しておろおろする長谷部くんがかわいくてたまらん。
喧嘩を売るようなことを言ってまんば君を奮起させ、「山姥切に負担をかけるな」と小夜にも告げる。なんていい奴なんだ。
ていうか、こんな分かり易くいい奴だったのか?

その言葉が義伝での山姥切と小夜の掛け違いを引き起こすことになったが、それは結果オーライですし。
というかここから義伝に繋がるのか。
過去の失敗がとか遡行経路を閉じたとか、どうやらジョ伝の予告らしいことも。ジョ伝見なきゃ…


ジョ伝 三つら星刀語り

なんだこれ、この展開はヤバくないか?
これが『刀剣乱舞』、歴史改変を防ぐ刀剣男士たちの物語でなかったら、見事なストーリー構成に感嘆して済んだと思う。前半と後半のリンク、思わぬところが繋がってたり、因果が入り乱れる不思議な感覚も。
でも『歴史改変を防ぐのが刀剣男士の使命』ということが根幹の物語で、これは恐ろしくダークな展開では?
刀剣男士の行動が、因果をめちゃくちゃにしているのだ。
如伝の山姥切たちは、"過去の"自分たちに何が起きたかを知っていて、同じことが起きるように仕向ける。
"過去の"山姥切と長政の遭遇や、長政が"過去の"長谷部たちを逃がすなど。
そう、長政と長谷部の"約束"。"今の"長谷部が、「過去に長政様とこんな約束をして今、果たせた」と長政に告げる。それを受けて長政が"過去の"長谷部とその約束を結ぶ。どっちが先だ。この話の基点はどこだ。

そのパラドクスを要約したのが、ディスク特典の『恕伝』だろう。
刀剣男士の日本号と母里太兵衛の遭遇が始まりか。太兵衛が日本号を呑み取ったのが始まりか。

「遡行軍が同じ時間で戦うことを繰り返して強くなっている」と言うけど、それは、我々がゲームでやっていることですよね…?
遡行軍も、刀剣男士も同じなんですかね…?というか、刀剣男士サイドが結果的に歴史改変をしていないと言えるのか?
黒田考高は、野心のために遡行軍と手を結んだ。長政は、父を止めるために刀剣男士と手を結んだ。なんだかあまり違わないような。
それで両者とも黒田の陣に招き入れられて、廊下でさらっとすれ違ったりする。あの場面、唐突なコントと思ったけど、実は深い意味があるんでは…

弥助の言葉が虚伝の不動と被っている。こんな歴史俺が変えてやると。
そんな弥助へ、最後は戦友のように話しかける同田貫。
男士も遡行軍も同じものに思える。


それはそれとして同田貫がまるで同田貫。ソハヤがまるでソハヤ。
そして意外と無骨な感じの骨喰。
始まった途端に倒れて横抱きで運ばれていったときは、繊細なタイプの骨喰くんかと思ったが、思い切った行動を起こすし自分との勝負にも挑む力強い骨喰さんだった。
序伝のほうのまんば君は熱い血潮がたぎってる感じで、後々のまんば君との違いがある。
序伝の最後で山姥切と長谷部を同田貫が止める場面。なんだよもう熱いな…

そして圧倒的へしかわ。
序伝ではまんば君をディスって小夜にたしなめられて「言葉が過ぎた」と謝る。かわいい。如伝では、卑屈になるまんば君に、自分から「当てつけるつもりはなかった」と謝る。かわいい。どっちも謝っててかわいいけど、長谷部自身の内面と、山姥切との友情が、年月を経て育っている感じが表れている。


悲伝 結いの目の不如帰

うむ、見応えがあった。シリーズについての答えもあったと思う。
しかしなんで三日月がここまでの目にあったのかがわからんかった。
何故三日月が結いの目に?同じ時間を繰り返したから?何で繰り返すことになったのさ?その答えはなかったよね。それはわからないままなのか…。

なんで三日月がこんな目にあってるのかよくわからなかったけど、三日月の考えていることはわかる気がしてる。
歴史を守る戦いに意味はあるの?あるがままってどういうこと?と虚伝から如伝まで見て自分も思った。
歴史のあるがままにここで死ね。歴史のあるがままに野望を捨てよ。
歴史上の人物に、刀剣男士はそう言い続けてきた。
だけど三日月は、足利義輝に「そなたの歴史はそなただけのもの。思うがままに生きよ」と告げる。
そうだ、それが正しい。
歴史を作る"人"を守りたいのなら、それが正しい。
三日月は正しいことを言ってくれた。

だがその考えによって、三日月は円環に囚われ結いの目になったのか。
それとも円環の中にあったから、三日月はその考えに到ったのか。

そもそも、時間が狂ったのは三日月のせいか?
時間遡行を繰り返し、歴史に干渉を繰り返したら必然ではないか?
『時の政府』と審神者の失敗を三日月のせいにしているのではないか?

刀ステシリーズ、のんきに刀剣男士を愛でていたこの審神者を歴史修正主義に誘ってくるようで怖い…
もし私が歴史修正主義者になっても、皆は付いてきてくれるだろうか?と私の刀剣男士たちに訊いてみたくなった。
けど、『時の政府』を裏切ったなら、私の刀たちは刀解されると思ったら、どれほど疑念を抱いても政府に従うしかないじゃないか…本丸で男士たちと仲良く過ごすために戦い続けるだけじゃないか…
かの本丸の審神者は、他の男士たちだけでも守る為に泣く泣く三日月を処分したのだろうか。
(そういう心を持ったステ本丸の審神者が存在する、と言うことを示すために、姿を見せたのだろうか)

黒甲冑がえらく饒舌に、刀剣男士について疑問を抱いたことを話すけど、内容がまるで我々審神者、刀剣男士サイドが修正主義者、遡行軍サイドに抱く疑問と同じじゃないか?
ここでもまた、審神者サイドと修正主義者サイドは同じものという匂わせがくる。
考えてみると、審神者を遣わす『時の政府』とは何なのか。いくつもの時間軸を制御するとか、まるで人智を超えた存在じゃないか。
そこで、足利義輝が国を造った神の話に言及する。
つまりそういうこと?『時の政府』は『歴史のあるがまま』を無慈悲に守ろうとする神で、修正主義者は抗う人なのか?
そもそも審神者とは…神の意図を伝える者、というのが本来の意味だったよな?

『西暦2205年』って…もしかしたら… 『時の最果て』なのではないだろうか…
『歴史修正主義者による過去への攻撃』とは…失われた未来を取り戻すために神へ挑む人間たちの戦いで…その中で人間の側に立った神が三日月宗近で…

止まった時の中に存在する本丸で過ごす刀剣男士たちと審神者には何もわからない。本丸で永遠の時を過ごす。だけどかの本丸の三日月は気付いてしまった。

最後に山姥切がたどり着き、三日月と巡り会った場所。そこは時の最果てのようだった。
それから、三日月が『ループ』を繰り返しているのなら、この世界は三日月がベストルートにたどり着くまで繰り返すものであって…三日月を主体として存在していて、三日月が最初に戻ったとき世界も全て巻き戻り、先へは続かないんじゃないか。
時の最果てのような場所で自分を語る三日月に、そんな印象を受けた。
だが実際には、その後も鶴丸や長谷部や不動たちは、本丸で日常を送っている。
ならば、その場所、本丸こそが、もうこれ以上続かない、時の最果て…?


厨で燭台切が歌い出したときは花丸かよ!と思ったよねwしかし拝みたくなるくらい素晴らしい歌声。千秋楽Verは歌詞で泣かせてくるし。
そして直後にドンッと暗い穴に突き落としてくる。嗚呼…
虚伝ではコメディ担当で徹して、義伝では真面目に格好良くありつつもあくまで陽キャラ、コメディ場面でメリハリ効かせてきて…ここまで来てこれだ…いつも通りのコメディからいきなりこれだ…
お気に入りキャラの深みが見れて、嬉しくもあった一方、ステ燭台切にはどこまでも明るく楽しいムードメーカーであって欲しかったとも思う…いやそんな燭台切まで暗い悲しみを表す悲伝…

だけど考えていたら、虚伝と義伝と悲伝の燭台切、それぞれ別個体のような気がしてきた。
キャスト違いは別ルートの別個体説が有力のようだけど、同キャストによる別個体もあるのでは。
虚伝では戦いを楽しんでるふうに見えたのに、義伝では「料理ばっかりで戦いを忘れたんじゃないか」と貞ちゃんに言われ、悲伝では「戦いより料理が楽しい」と自分から言う。
義伝では、小夜から「陰を見せない、優しくて強い」(要約)と見られているが、悲伝では「何か大事なものを失った気がする」と陰を見せ、強くなりたいと呟き、独りで立ち向かおうとする。
毎回だいぶ印象が違う。
「ぶれ」があるとも思ったけど、このシリーズにおいて「ぶれ」とは、世界線=時間軸が違うということだよなぁ。
このシリーズの全ての話は、別の世界線なのか。
三日月だけが唯一の存在なのか…。


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