なんとなく、はじまり
友達と遊んで家に帰ると、18時を過ぎた頃だというのに、家が真っ暗だった。
普通の子供なら、親が帰って来てないのかと思うのだろうが、小学生にしてベテラン貧乏だった私は、起こっていることが予想できていた。
「また、電気代払えてないじゃん…」
どうしようと家の前で泣き叫ぶこともなく、私は家に入っていく。
珍しくもなんともない。
こんなことはよくあることなのだ
家に入ると、真っ暗闇の中でお地蔵さんのように固まった父親がいる。
「まただよ…」
悲哀にまみれた父親の声を無視して、電気のスイッチを入れてみる。
点くわけがない。そんなことはわかっていた。
とりあえず入れてみる。簡単に希望の火は消してはいけない。
この後に起こることは2つだ。
電気が点けば、世界は時を刻み出す。
点かなければ、古き良き昔の生活を楽しむだけだ。
その日は、後者だった。
暗い部屋で懐中電灯を点けながら、カセットコンロを準備する。点かない電気に嘆いている場合ではなかった。空腹を満たすことが大事だ。
はじめちょろちょろ、なかぱっぱ…
など知るはずもない貧乏家族は、なんとなくの目分量でご飯を炊いてみる。
誰も悲しい顔はしてなかったと思う。そもそも暗過ぎて顔も見えてなかった。
正しいのかどうかもわからない炊飯が終わる頃、玄関から母親が入ってきた。
どう工面したのかわからないお金で、料金を納めてきたらしい。
「明日帰ってきたら電気点くから大丈夫」
なんの安心感もないまま、表面ドロドロ、中カッチカチのご飯を頬張る。
いつもこうだった。
その"いつも"が僕を少しずつ麻痺させていった。
大人になり貧乏ドキュメンタリーを見ると、少し豊かにすら思える。
テレビでしか貧乏を知ることができない人たちに少しでも貧しい子供の生活を伝えたい。
そんな思いで綴っていきます。
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