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8回目の月命日~悼む時間には意味がある

2021年3月18日金曜日。
今日は、三浦春馬くんが旅立ってから8回目の月命日ですね。

春がすぐそこまで来ていて、ちょっと風は強いけど早咲きの桜がキレイな日でした。

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この8ヶ月間、自分の人生の中でこんなにも長い時間を、ひとりの人を想ったことなんてありませんでした。しかも家族でも親友でもないのに…。
皆さんもそうかもしれませんね。

私も以前は、頭が可笑しくなってしまったのかと思いました。
今でもときどき、俯瞰してそう思ったりもします。
仕事をしていないひとりの時は、ALL春馬なので(笑)

でも、年が明けて思ったんですよ。
無理に、忘れようとか、想うことが変とか、思わなくていいかなって。
むしろ、自分の中の大切な人として、もっと生かすようにしようって。

なぜ、そう思えたのか?は、自分自身の変化に気づけたからなのです。

春馬のプロフェッショナルな仕事ぶり、そしてその自分の仕事だけでなく周囲の方々への気遣い、言葉に出してきちんと感謝を述べることなど、この8ヵ月で学んだことが数知れずあります。

そういったひとつひとつを、気持ちだけでなく行動に移すこと。
~あぁ今、春馬ならどうするかな?とか思い浮かべたりしています。

まだまだほんの少しなのですが、そういう行動や思いやりを表すことで、相手の方や周囲も心地よくなるだけでなく、自分自身の心が豊かになるなぁと感じています。

そんな毎日を過ごしていて、先日迎えた誕生日に気づいたのですよ。
『あれ?私って、すごく変わったな…』と。
頑張って変えようとしているのではなく、自分にとって自然に心地よい選択をしているなと思えるようになりました。

春馬のことで素敵だな、素晴らしいなと思ったことのエッセンスを、自分にも生かしてみる。心の中に春馬があるからこそできることじゃないかなと思うのです。


そしてもうひとつ、最近気づいたのは、春馬を想っている時間が無駄ではないということ。

これは、私の知り合いが大切な方を亡くされて、おっしゃってたことです。

大切な人がこの世から旅立って、自分の心が痛むなら、
それほど大切な人が自分の人生にいてくれたということ。
そして、そういう人がいたのなら、その人生は幸せだということ。

私にとって春馬は、ずぅーっと探し求めていた光を射してくれる人。

心の中に生きてもらうだけでなく、自分の周囲の方々には春馬のように幸せを感じてもらえるような生き方をしたいなと思います。

そしてもし、忘れられないで哀しんでいる方がいらっしゃるなら、
それだけあなたが春馬のことを大切に想っているということ。
それはあなたの人生で大切な意味があるのかもしれないということです。

私は春馬の足元にも及んでおりません。人格もプロ意識も品格も。
もう50を過ぎてますが、まだまだ修行でございます(^-^;
春馬、いつもありがとうね。

~8回目の月命日によせて。
独り言におつきあい頂きありがとうございました(^^)



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