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9 流産後【不妊治療#5】

流産の手術が終わってしばらくは、無というか、空っぽというか、考えることといえば、なんで流産してしまったのだろう、悲しいという状態だった。

眠れなくて、涙が止まらなくて、どうしようもないので、心療内科へ行ってみようかと考えたこともあった。でも、仕事が忙しすぎた。流産後、30日〜50日生理が来るまでかかると言われたので、絶望の日々を過ごした。その間、不妊治療もできないのか、、私の身体よ、回復頑張って!と願った。思い出すと泣いてしまった。

私の母にだけ、妊娠を伝えていた。よくなかった、、毎日毎日経過を聞かれて、ずっと答えられなかった。進捗が良くないと伝えたあたりから、連絡は減っていたので、気遣ってくれたのだと思うが、それでも人に伝えると本当に流産してしまったと認識、実感するので嫌だった。

不妊治療をしていると伝えていた子育て中の友達からも、今月の結果はどうだったの?ときかれたりした。なんでそんなこと聞くのだろうと思ったけど、気になるってことは、気にかけてくれているのかなと思うことにした。また、人に伝えて、流産が本当になった。(いやもう本当なのだが)

その頃の私はとってもナーバスで、人がかけてくれる言葉全部が意地悪に聞こえて、妊婦マークも大きなお腹もベビーカーも抱っこ紐も、芸能人の妊娠・出産報告も全部全部全部嫌だった。それまでは、不妊治療している人あるあると言われる上記も、全然気になってなかった。むしろ明日は我が身!!くらいに考えて、いいなぁ頑張って!!と思っていた。

流産をきっかけに、とっても嫌なやつになってしまった。そんな自分がとても嫌だった。それくらい、私には大きな出来事だった。心の限界はもうとっくに超えていた。

私は、仕事を休むことを決めた。

仕事を休んだからと言って、妊娠するわけではないことは自分がいちばん良くわかっていた。でも限界だった。妊活と流産は、精神的ダメージが大きかった。

決めてからは、少し気が楽になった。辞めていたカフェインを気にせず摂取して、お寿司を食べて、お酒を飲んだ。

コロナ前はよく飲みに行っていたのに、こんなに飲めなくなったんだなーと思ったりした。夫も飲まないし、家にもお酒はないのに、結婚祝いにたくさんの人からお祝いにお酒をもらったりして、私ってそんなにお酒のイメージあるのかな?!と驚いた。長い間、飲み会もない(コロナで)し、飲みに誘われることもあまりない(妊活していることは結構伝えていたので)ので、久しぶりに自分から会いたい人を誘って、飲みに行った。今時はソーシャルディスタンス&パネル&換気(寒い)のね、、と実感した。

予定通りくらいの時期に、生理がきて、子宮の状態も問題なしだった。人工授精を一回試みて、ダメだったら次は体外受精へ進もうと夫と相談して決めていた。

前に進むしか道がないように感じてしまっていた。

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