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白夏[はっか]

かぐやSF3応募

 嵐でした。
 夏の嵐でした。
 青空に雷が鳴り、蝉が負けじと鳴く嵐の日でした。
 一雨来るのか来ないのか、空を見て、足元の初雪かずらの土を見ました。
 斑に乾いた土は、水を欲しているようにもまだ要らないようにも映りました。
 初雪かずらは名前通り、白い葉をつける植物でしたが、夏は名前さえ溶かしてしまい、濃い緑が硬く茂っています。成長した緑の陰に、少しだけ初雪が育ちました。一体初雪かずらは、どちらが正しい姿でしょうか。

 立体映像に手を差し入れて、ざらざらと乱れる粒子を眺める。完璧な美しさに設定された映像が崩れていく。
 完璧の上に爽君のデータを重ね合わせた。投射された人型が、爽君のミニチュアサイズに修正されていく。太ももが細く、腕が長く、首が太くなる。高跳びの理想的な身体模型と爽君のズレが、バーを転がす。少し前傾姿勢になり、首がやや後ろに反り、踏み切る足が弱く遅い。マットの上に倒れ込む爽君。また手を差し入れて、労い撫でた。
「美しくない」フォルダにデータを保存した。別名「お気に入り」フォルダ。
“0810MT前、要進捗更新”
“交易しない?”
 公式と非公式のチャットに、佐暗[さくらい]から同時にメッセージが届いた。
“一部修正対応中、明日AMには更新します”
“ちょうど相手が欲しかったところ”
 通話要求がポップアップする。即時応答。
「どう? 爽は」
「どうもこうも、未成年男子は実習以来やっていなんだけど、コード一つで幅が出過ぎで触りたくない」
「チーム組んでるんだから、その辺置き去りにしないでね」
「そう言われても、方向性が全然絞れない」
「ホラまた悪い癖。問題はどのシステムを遂行したら爽が勝てるかで、ムコの美的センスなんてどうでもいいんだよ」
「私じゃなくて、審査の傾向が」
 佐暗が立体映像を立て続けに送ってくる。コーチングシステムが弾き出す爽君のいくつかの未来。爽君が勝つコーチングルート。爽君が美しいと評される瞬間。
「審査員開示は大会一か月前。それまで爽に何もしないつもり? 最初に言ったけどこのチームは、確実に勝率を上げるのが目的で組まれてる。圧倒的な勝ちを21.89%で手に入れるスタイルのムコにも、今回はチームに従ってもらう」
 立ち、走り、跳ぶ爽君の姿が繰り返し流れる。そのどれもが美しい、と言われるに値するバランスであり、どれもが爽君でなくてもいい。
「それはわかってる。わかってるけど、最高の仕上がりにしてあげたいじゃない」
 爽君が跳ぶことを、見せつけたいじゃない。
「完璧な美しさをわざわざ手放した人間が望んでいることが、欠点のなさだとまだ思ってんの?」かつてコーチングシステムの性能が上がれば上がるほど、人間がシステムに追いつけなくなった。コーチングシステムに常に乗っ取ることは選手だけでなく、その仲介役、実質的管理者(食事を作ったり、掃除・洗濯をしたり、タイムスケジュール通りの生活をさせたり)、精神調整役、心理サポーター、とにかく関わる人間すべての正確さが求められた。コーチングシステム通りの仕上がりを渇望した人間は、結果競技をするもの、そこに携わるものさえも開発した。それはどの競技でも完璧で美しく、失点がなかった。「人間の不確実性、不安定さが見たいんだよ」だからあんまり頭でっかちになるなと、いつもの言葉が続いた。
「爽君にとっては、衛生都市行きが懸かってるから」
「なに甘いこと言ってんの。子供を都市に送って初めて一人前の構築者だよ。さっさと爽を仕上げてムコもこっちに来な」

 都市機能の全てをシステムが担っている衛生都市で暮らす条件はただ一つ。システムの要求に従うこと。失敗にはそこまで厳しくない。人間が失敗することはシステムに織り込み済みだ。問題は、都市機能システムをより良くしようと人間が考え始めること。そうなれば即時に発酵地域へ移送される。点在する大小の自助組織で各自運営されている発酵地域。
 痛いほどの太陽が照るこの地域は、墓が多い。窓の向こうの墓は、越してから日々増え続けている。墓地経営がこの地域の主な収入源だ。
 衛星都市では人間だけではない、全ての生き物がシステムに管理されている。匂いのない、落ち葉一つない空間だと佐暗が言っていた。
 個人で勝手に植物を育てている、なんて知ったら佐暗は、衛生都市への勧誘を止めるだろうか。余りの暑さに、夏、陽が出ている間だけ部屋の中に入れている初雪かずらを撫でる。
 たまに汚れたくなるのだろう。土の、ぬっと沈む感触、近づいてくる虫、姿の見えない蛙の声に悲鳴を上げながら、衛星都市から出掛けるいい口実として墓参りが使われている。
 ひと際甲高い叫び声が響いた。
 あんまりにも悲壮な声に思わず窓へ向かうと、思いの外近くに人がいた。真っ白にコーティングされた姿で、こちらに手を振っている。
 衛星都市の人だ。
 衛星都市の人が発酵地域の家を訪ねるなんてことが、あるだろうか。
 私は自分を指さした。衛星都市の人は勢いよく首肯した。
 真っ白い人が手首を口元に近づけると、チャットの通信要請が来る。お得意さまだ。
「即時応答」
「思ったより辺鄙なところに居たんだねえ、ムコちゃん」
 悪気のない、いつも通りの無邪気な声が流れてくる。
「目形[めがた]さん、お墓、買われたんですか」突然の訪問に、私の声は固くなる。構築対象との直接接触は禁止されているけれど、発注者とは当然仕事上やり取りをする。でも公衆衛生レベルが違い過ぎる衛生と発酵の人間が会うなんてことは、起こらないはず。なのに居るから、慌てて玄関に向かう。
 発酵地域の家など、衛生都市の外ほどの衛生環境だろう。玄関先で目形は、外出着であるコーティングを解けないまま立ち尽くしている。
「お気になさらずそのままで、何かご用事がありましたら伺います」
「ああ、ごめんね、衛生区域以外の住居って初めてで戸惑っちゃって。でも失礼だよね」とコーティングを解こうとする目形を止める。いえ、ここは管理されていないので。「でもやっぱり、せっかくムコちゃんに会えたんだから」と、あまり変わらない真っ白な姿を見せた。身体状態を整える機能も持つコーティングに守られていた目形は、炎天下に居たとは思えない涼しい顔をしていたけれど、整っていない空調に途端に慌て出す。
 ほら、やっぱり。
「すぐ調整します。その間は申し訳ないですが、コーティングされててください」
「あ、あの、ムコちゃんが悪いわけじゃないんだよ、だけどその」
すぐにでもコーティングされたいのに、ちらちらもたもたとする目形に「汗なんてかいたら、みっともないですから」と言った。
 目形は「じゃ、じゃあ」とコーティングされ、ほっとした顔を見せる。
 気温が上昇して、ちょっと買い物に行く間、通勤中に、汗が吹き出すようになった。汗をかく、ということはネガティブな現象だけれど、昔は子供の選手に汗が求められていた時代もあったらしい。現代で試合中に汗をかいたりしたら、審査員の美点はマイナス、競技者、構築者だけでなく発注者も全員永久追放される。
 今は何の競技中でもないけれど、衛生都市の人間にとって汗は忌避するものだ。
 居心地悪そうに立ち尽くす目形に、下手に座ることも勧められず、仕方なく一緒に立っている。
「ごめんね。本当。こんなはずじゃなかったんだ」
「衛生都市の方を迎えられる設備じゃなくて、すみません」
「そうじゃなくて、そうじゃなくて。今回はいい成績を出して欲しいって、そう言いたかったんだ。爽を見つけた時、ムコちゃんにぴったりだって思って。だから担当をムコちゃんにしてってお願いしたんだ」
「そう、なんですか」
 えへへ、と笑う目形に、仕方なく苦笑いを返す。
 子供期のシステム構築はその影響の大きさから、システムに選抜された構築者のみが担当する。数年前からリスト入りしていたけれど、何やかや避けてきたのを、目形に強引に割り当てられたのか。
「うん、もう大丈夫そう」と目形は再びコーティングを解いた。ワンピース一枚では肌寒い室温に、目形は美しい笑みを浮かべる。衛星都市特有の、整った微笑。
「ごめんね、ありがとう。ムコちゃんもさ、衛生都市に来たらこういうの全部システムがやってくれるから。だから、頑張って」
 そこに行けば私も爽君も、顔が皺だらけにならない、あんな風な笑顔になるのだろうか。
「うわー。えー、すごい、植物だ。ムコちゃん、植物を育てているの?」
 目形は驚いた声を上げ、初雪かずらの鉢に近づく。管理されていない野生の植物に、触ろうか触るまいか、手を出したり引いたりしている。
 墓参りの目玉は、草むしりだ。もちろん本当の雑草ではない。管理されている雑草だ。本来植物が招いていないエリアに侵入するなど衛生都市ではありえないことで、雑草は存在しない。墓石の周りに植えられた雑草を引っこ抜き、薄っすらと汚れている墓石を磨く。自分の手であるべき姿に戻す。墓参りブームが終わる気配はない。
「すごい、葉っぱがみんな違う形だ。茎の伸び方も。葉の色がランダムになってる」
 目形は顔だけもう少し近づけて、半野生の初雪かずらを観察する。
「本当は白い葉なんです。でも夏は、どうしても葉が青くなってしまって。だけど青い葉が茂るとその陰で、また白い葉が生えてくるんです」
 葉が青い姿は、本来の初雪かずらではないのだろうか。
 ふーん、繊細のようで、したたかな植物なんだね、と目形は満足して視線をこちらに移す。
「衛生区域は悪いところじゃないよ。ムコちゃんと衛生区域で会いたいんだ」
 佐暗が言っていた。衛星都市では水を浴びながらするんだって。汗とか体液とか流れていくから。お風呂ではゆっくりしたいと零したら、慣れるものだと佐暗は笑った。たぶん、衛生都市入りして一週間は経たないと、ムコと握手もできない。
 目形は私に触れたくて、絶対に触りたくない。
「爽君を、勝たせてあげないとですよね」
「そうだよ。そうだよ。爽を勝たせよう」
 飛び跳ねそうなくらい喜びながら、目形は少しだけ目を細めて笑った。

 爽君が走って跳ぶ姿を、繰り返し見ている。
 システムが弾き出すいくつかの爽君の分岐が、今の爽君を荒く歪ませ取り替わってはまた戻っていく。
 コーチングシステムが弾き出す爽君の進路の内、完璧ではない爽君が耐えうる道を選ぶことが、構築者のほぼ全ての仕事。爽君の姿をたった一つに絞り込むことが、私の役割。
 アラームが鳴る。スコールが来る。
 慌てて初雪かずらの鉢を部屋に入れようと窓を開けて、青々として所々白い葉を見た私は、結局そのまま窓を閉めた。

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