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新しい技術は試したい

 ほんの少し資料の探し方を変えるだけで、仕事のスピードが上がることを発見した。担当社員に相談をして、同じ仕事を担当している人と進み方を擦り合わせて、作業手順を報告して。
 準備が整ったら、こう思った。早く繁忙期になればいいのに。

 戦闘シーンのあるマンガで、必ず新しい技が生み出されていく。
 新しい技ができたとき、それを早く試したい、ということで頭がいっぱいだろう。登場人物たちは「敵を待っている」。

 原子力爆弾を作った人のことを、全然知らないのだけれど、作ってしまった兵器の、その威力をこの目でみたいと少なからず思っていた部分はあるんじゃないだろうか。使い道が大量虐殺だけれど、やっていることは物づくりだから、その成果は当然気になるだろう。

原爆の子の像の写真

 一年前の8月2日、広島市内で時間を持て余した。
 高知市内まで電車で1時間、そこから高速バスで4時間弱かけて広島を目指している道中に、派遣元から連絡が入った。派遣先の会社で新型コロナウイルスが蔓延して、面談を担当できる人は全員濃厚接触者、テレワークの導入もできていないから、今日の面談は中止になりました。心底申し訳なさそうな声音で、もうこちらに向かっていますよね、と聞かれた。高速道路のSA休憩で、電話をしていた。大手企業だと言われていたのに。
 到着予定地の近くに何があるか、残りのバスの時間で調べた。こうなったら観光をするしかないわけである。
 暑い日だった。
 高知に比べると、多くの県の都市部は栄えていて、高いビル、照り返しのきつい舗装された道、広島には地上の厳しさから逃げるような地下通路もあった。(方向感覚が壊滅的な人間にとって、地下通路はラビリンスである)
 日傘を買った。
 マップを開いてちらちら確認しながら、原爆ドームと原爆の子の像を見に行った。
 何だかそういうものは、大抵都市部からちょっと離れているイメージがあったけれど、歩いて行ける距離にあった。つまりそれだけ、中四国の中心地の上空に、原子力爆弾リトルボーイは落とされた。
 原爆ドームがあることは、子供の頃から知っていた。でもそこに建っている原爆ドームを目にしたとき、なぜ残っているのか不思議に思った。それから原爆が落ちるまでは原爆ドームではなかったこの建物は何なのか。
 多くの人が持つ疑問なのだろう、案内板に書かれていた。
 上空およそ600メートルの地点でリトルボーイは爆発して、爆風がほとんど垂直に降って来たから、残っている構造物があるのだと。中に居た人は即死だったと。
 そうなる前、広島県産業奨励館、という役目があった。
 長い鎖国の時代から、いきなり大国と競争しなければいけない時代に突入したころ、農産業の技術は勢いよく向上していった、一つの方向に向かって。品質向上のため、博覧会は全国規模で開催されていた。

 小学生のころから、いつか来たいと思っていた、禎子さんにようやく会った。
 禎子さんが追っていた折り鶴は、そこまで無邪気なお守りではなくて、自分の白血球数が書かれた紙を内側にして折っていた。

 とりあえず広島で会いたい人にも見たかったものにも会ったから、派遣元に顔を出した。
 打合せブースで、PCスキルを測る試験を1時間くらいした。
 産業奨励館に並ぶ成果品のようだ。

 色々あって、今は東京に戻っている。
 推計14万人が亡くなった、としか未だに言えない大きな被害と、真面目に伝えられれば伝えられるほど、核が力を持ってしまう暴力と、このような能力がありますと陳列される派遣社員と。
 一年前、そう考えていた未来とは、やっぱり少し違う生活をしている。

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