比較検討、『狂骨の夢』と『鶴屋南北の殺人』

続けざまに読んだから、雑感を書くだけなのですが。
前提として、京極堂シリーズは塗仏の宴まで、森江春策シリーズというか芦辺拓さんの著書は初めて読みました。

シリーズもののミステリーは、四・五冊めくらいから距離感が苦手になる。
途中までミステリーを、いくつも見送ってきた。

シリーズものだから、そして時間は過ぎていくから、登場する人たちの関係性が変わったり、省略される部分が出てくる。
内輪で完結している飲み会に呼ばれてしまったような居心地の悪さを、段々感じていく。え、これ私要る?

『鶴屋南北の殺人』は、たぶんたまたま鶴屋南北という言葉にひかれて買ったまま何年か経っていて、なので最初はそもそもシリーズものとは知らなかったんです。謎の検事が現れて、どうにも知り合いなんだな、とだけ理解しながら、ちらっと見た後ろ表紙の折り返しにシリーズと書いてあり、納得した次第。
だから職業弁護士の森江が、探偵として優秀だといきなり言われて、……そうなのか、と思うしかなかった。

関係図がよくわからない森江と比較すると、関係図を追っている京極堂は会話のやり取りの読みやすさが違った。狂骨の夢では、こちらの探偵榎木津もほとんど紹介されていないまま破天荒だった。榎木津礼二郎を事前に知らない人はやっぱり、……そういう人なんだ、と思うより他ないのだろう。

金田一耕助が一番好きな探偵だけれど、耕助は基本一人だったから、耕助と事件を見ることを繰り返していた。
いつから探偵役は探偵団風になっていったのだろう。

『狂骨の夢』
告白、が繰り返された。ミステリーといえば、秘密を辿っていくものだけれど、大きな告白があちらでもこちらでもされて、それ自体が不可解なものであり、謎が増えていく。
ある意味通常のミステリー部分は、刑事の木場と長門が担っていた。被害者は誰なのか、それを手繰っていく王道の謎解き。
朱美の描き方が、読み返すと良い。
章ごとに語り手が替わるのも面白い。語り手がどう聞こえるか、それは事実に一枚フィルターが掛かるから。

『鶴屋南北の殺人』
銘高忠臣現妖鏡と六大洲遍路復仇の仕掛けが解き明かされるシーンが面白かった。
その分、現実の事件はちょっと後退してしまっていた。
呼応するシーンとか、最後のもうひとつの種明かしとか、盛りすぎだなと好みとして思ってしまったのを引いても、良かった。
これはとても良かった。
物をつくることの、人を狂わすほどの魔力を理解して使った南北と、ただ人を狂わせてしまった現代の芸術監督。復仇するものとされるもの。
芝居を巡る権力の二重構造。
演じているのか、見せられているのか。演者は誰で、観客はいるのか。
良い、大南北であった。

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