座り心地の悪い椅子

 ――男の人ってポンポンおしゃべりできないじゃない

 女が男を評するとき、いつも少し居心地が悪い。
 おそらく私は「女」側に所属しきれてもいない。

『さよなら、俺たち』清田隆之
「さしすせそ」でなぜ気持ち良くなるのか、とか、男を褒めて三歩下がって女に与えられる仕事は責任のない、簡単で単調で面倒くさく、賃金の低い/発生しないもの、という構造と相性がいいのはわかる。そういうことに丁寧にアプローチして言語化していること自体は、面白かった。
 だけど、女だって褒められたらうれしい。女の子なんだからそんなに勉強できなくてもと言われるより、頑張ってたもんねと認められたいこともある。
 それは「かわいい・美人っていうのもセクハラになるのかー」ということにも通じる、「私があなたを評価してあげる」という謎の目線から発生しているか否かの話にも通じている気がする。

 男の人って、男って、俺たちって、
 そういう見直しをするときに、「女」が正しさとして浮かび上がるのが、いつも少し怖い。その「女」にうまく所属できない私は、じゃあ一体なんなのか。その正しさというか一般的な行為を選ばない/選びそこねるものが不在の世界。

 男がたまに口にする「女って怖い」は、大概男社会で普通にある、権力の話だったりする。会社のルールと自分の気に入る/入らないが長年かけて混じり合って自分ルールで支配しようとする、そのグループ員がほとんど女で構成されているから、男たちは傍からそれを見ることができる位置にいる。女にだって支配欲はあって、ただ女の支配欲は支配しやすい女に向きやすいだけだ。
 のように、同じ人間、というステージで語られることは、私は人間だから自分も所属していると感じる。
 だけれど、冒頭のような話になると、どうだろう。

 おしゃべりが弾まない

 興味のあるなしにグレーゾーンがあまりないから、おしゃべりは苦手だ。
 たまに気が合う人とは、「昔からの知り合い?」と聞かれることも多い。

 それは私の友人がものすごく少ないというだけの話なんだけれど、事務職をしているとどうしても女たちと交流しないといけない。飲み会がどうのランチがどうのというレベルではない。打合せ、のはずなんだけれど、おしゃべりをする時間がある。(男ばかりの、打合せ、では一番偉いヤツがほぼ一人でしゃべっている、ということも聞いたことがある)
 交流の時間だと私以外のメンバーが思っている場で、仮説検証を繰り返したシステムの癖を、伝える気は消えてなくなる。(そういうことで空気が妙になってばかりだった)
 具体的なスキルアップの共有より、不安と慰めと不満と労いが飛び交う。

 それが不必要だと思っているわけではない。
 そういうものはゆっくり人間を蝕むから、あまり溜めずに言ってしまった方がいい。

 女たちの「わたしたち同じ女じゃない」という同調意識の強さは、男社会の中で立ち位置が悪いから生まれてしまうものだ。だから女たちは、時に社会的立ち位置が弱いものに寄り添い、社会的に強いものの振る舞いを真似する。

 今社会では、女性の役職率を上げようとしている。
 単純に率が上がり人が増えれば、強いものの振る舞いをする/できる人だけでなく、打合せを演説ではなくおしゃべりにする人も増えるだろう。
 そうなってようやく私たちは、一概に目指す正しさがあるとも言い難いと苦笑するんだろう。

 苦笑できたとき初めて、でもそれはおかしいよねと、そっと言うこともできるようになるんだろう。

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