不都合な現実からは目を背けたいだけだった話

こんにちは。Natsuです。だんだんに、自分は精神疾患の患者なのだ…躁鬱病なのだ…という現実を受け入れ始めました。どうせ現実は変わらないのだから、受け入れて適切な対処をすればいいだけじゃん、と思うようになりました。

前回と同じ薬を同じ量同じタイミングで飲み始めたのですが、効き方が全然違うので面白いです。わたしが飲んでいるのはエビリファイという薬です。鬱状態の時は、夜に服用すると目が冴えてしまい眠れなくなるので、朝飲むようにしていました。寛解期では、飲んでも飲み忘れても、体調に特に変化はありませんでした。そしておそらく躁状態の今、朝飲むとものすごーーーーく眠くて怠くて何もできなくなりました。頭で思うように体が動かなくて、二日酔いの時とかドリエル飲んだ時みたいな感じでした。(就職してから一時期本当に眠れなくてドリエルのお世話になっていたことがあります。いま思えばその時点で病院行っておけばよかったですね。数日で改善したから放置しちゃいました。)

前の晩ぐっすり眠っているのに、布団から起き上がるのが辛くて、起きて軽く朝食をとって薬を飲んだあと、今日なんかは15時くらいまで眠気とだるさで布団にいることしかできなかったです。いやーこれは仕事休みでよかったなあ。やっと活動できるようになって最初にしたことは、病院に電話してこの状態について相談することでした(えらい)。「じゃあ夜飲むようにしようか」ということになったので、これでしばし様子を見ます。


さて、前回のおさらいです。

仕事で色々あったわたしは、産業医の勧めに従って精神科を受診しました。診察の結果下された診断は「双極性障害」。一生服薬して通院してこの病気と付き合う前提で仕事も居住地も選択しなさい、自殺リスクが高く命に関わる病気です、なんて言われてしまい、動揺しまくりでした。

本当に動揺しまくりだったのですが、精神科に行った時点で、きっとこの診断が下るであろうことは、実はあらかじめわかっていました

なぜわかっていたかというと、わたしの手元には、大学院生の頃半年ほど通っていたメンタルクリニックの主治医からの「この人は双極性障害Ⅱ型です。薬と経過はこんな感じです。よろしくね」という紹介状があったからです。

読んでる方は「???」だと思いますが、わたしは1年前に双極性障害の診断を受け、病名も宣告された上で薬を飲んでいたし定期的に通院していました。そして引越してからの半年、全く服薬も通院もしないでいたら再発して(それもだいぶ悪化して)、それを告げられただけなのに、こんなに新鮮に動揺して困惑しているという状態なのです。

人間の認知の歪みって怖いですねー。これに尽きます。自分のことなのに人ごとのように人間の認知の歪みが怖いです。

わたしのケースを簡単にまとめると、次のような3ステップです。

①院生の頃は自分の辛さに名前がつくことが救いだった

過去の記事でも軽く触れていますが、わたしは関西で大学院生をしていた頃、バチバチに病んでいました。「まじメンヘラww」みたいなマイルドな表現をしていますが(これも「②心機一転新しい生活で寛解している精神疾患を無かったことにしたかった」によるものですね)、メンクリに行って治療を受けていました。

つらみの多いラボ生活を送って来ました。

住環境も、研究活動も、対人関係も、こんなことあるかね?ってくらい良くない条件が重なっていました。指導教官に紹介してもらって住んでいた場所の騒音と治安が日本国内と思えないほどにやばかったり、ラボの人々とびっくりするほどウマが合わなかったり、設備や制度の問題で有機溶媒吸いまくったり、やっと出来た唯一の友達はマルチか宗教かそんな感じだったり…。

それでも最初の方はとにかく新しい生活も実験も楽しく暮らしていました。今思い返すと、特に食生活を変えていないのに2ヶ月で7キロ体重が落ちていたり、土日の外出先で人酔いして吐くことがとても多かったり、ちょっと(ちょっと?)変だったんですけど、「実験楽しいからまあいいか!研究対象生物かわいいから何でもいいや!」みたいな感じで深く考えてはいませんでした。友達も居なかったので、誰にも何も言われなかったですし。

そんな生活が続いて、秋になって冬になって、だんだんに心身が辛くなって来ました。朝起きられず(目は覚めているのに布団から起き上がれない)、片道40分の電車通学もつらいし、ラボにいるのもつらいので最低限の実験以外は図書館か学内バイト先で過ごすようになっていました。ラボで食事をしていると、ラボの先生たちが「お昼それだけ?」「いつもコンビニみたいだけどお金どうしてるの?仕送り?」「それ美味しいの?なんか食べ物じゃないみたい」などなど毎度毎度飽きずに突っかかってくるので(本人達に聞いたところ「関西人やから仕方ない」とのことでした。そうなのかな…)、人前で食べ物を食べること自体がすごく嫌で、学内では先生が講義中の時間を狙って隠れるように食事する癖がつくほどでした。終電間際の駅までの帰り道でわけもなく一人号泣したりして人酔いも結構酷くなって外出できなくなっていて、ようやく「なんかやばい」とメンクリ受診に至りました。住環境がストレスなのもわかっていたので、あとわずかの院生生活でしたが、大学のすぐ近くに引っ越しもしました。これがM2の6月頃でした。

メンクリの先生は、優しい先生でした。顔がトルーマン大統領に似ていたので、わたしは心の中でトルーマン先生と呼んでいました

トルーマン先生はわたしに「今はつらい思いをする時間が長いと思いますが、たまにすごくやる気がでる期間はないですか?」と聞きました。

思い返すと、たしかに、普段はラボなんて極力行きたくないのに、たまに、論文読むのも実験するのも楽しくて楽しくて、アイディアが溢れて止まらない!!書き留めなきゃ!全部やりたい!(結局全部やらないし半端で終わっている)みたいな時期がありました。それを伝えると、トルーマン先生は「うつ病と似た症状が出る別の病気として、双極性障害というものがあります。かつて躁鬱病と呼ばれていたものです。Ⅰ型とⅡ型がありますが、Natsuさんの場合はおそらくⅡ型でしょう。薬を飲んで、定期的に通院していけば、寛解を長めにキープすることもできます」と説明してくれました。

この時わたしは、自分が病気であることに、救いを感じていました。一番は、服薬と通院という治療法があるからです。対外的に「自分は病気だ」と言えるようになったことで、さまざまな不調への説明もしやすくなります。「患者」になることによって得られるもの、失わずに済むもの、楽になることが明確にあったのです

この時処方された薬がエビリファイで、どうやら結構相性が良かったみたいで、数ヶ月の間にだいぶ諸症状(特に人酔いと不眠)は良くなりました。

トルーマン先生はあまり多くを語らない先生でしたが、優しくて、いつも目の奥が笑ってなくてかわいくて大好きだったので定期的に会えるのも楽しみにしていました。

就職のために引っ越すことが決まっていたので、トルーマン先生から紹介状と、多めの2ヶ月分の薬をもらって、引っ越し先でも必ずメンクリを受診すると約束して、東北へと引越して来ました。

ここまでは、ここまでは良かったのです………。


②心機一転新しい生活で寛解している精神疾患を無かったことにしたかった

つらつらなラボ生活が終わり、地方で社会人になって、嫌いな電車通勤とも、食費月2万のジリ貧生活ともおさらばです。嬉しくて仕方ありませんでした。薬は飲んでも飲まなくても何も変わらないくらいだったので、「飲まなかったらどうなんのかな。ていうか飲まなくて大丈夫だったら、わたしは双極性障害じゃなかったってことになるよな」みたいな安直な考えで、薬を飲むのをなんとなくやめました。深い理由はなく、ほんとに思いつきでなんとなくだったと思います。浅はか〜〜〜!!

あと、知らない場所で病院調べて受診するの、めんどくさかったのもあります。仕事休むのもめんどくさかったです。

就職する会社に、自分が双極性障害と診断されたことがあるとは伝えていませんでした。引っ越し前にトルーマン先生に助言を求めたところ、「障害者雇用枠での採用でなければ、必ず申告しなければいけないことはないです。むしろ、精神疾患の良くないイメージが不利に働く可能性もあるので、書かなくて良いです。薬と日々の生活でコントロールして、働けないほど体調が悪くなったら診断書出して休めばいいだけです」と聞いていたからです。

社会人になったわたしには、双極性障害というタグによって得られるものが明確にはなく、むしろ不利益を被りかねない情報であったので、「自分は双極性障害である」という情報を、対外的にブラインド化するだけでなく、自分自身でもあまり意識しないようにしていました。

心の片隅では、またあの鬱々daysを過ごしたくないとは思っていたので、物件選びや家事のマネジメント、休日の過ごし方などは結構気をつけてはいました。

でも、病院には行っていませんでした。


③酷くなって再発した持病から本当に逃れられないことをようやく理解した

そしてイマココ!というわけです。

医師から聞いたわけではないのですが、今の診断は双極性障害Ⅱ型から、双極性障害Ⅰ型に変更になっている可能性も結構高いです。双極性障害のⅠ型とⅡ型は、どっちがひどいというわけではありません。患者さんの数が圧倒的に多いのはⅡ型、入院する必要があるケースがあるのはⅠ型です。わたしは専門家じゃないので嘘を言っているかもしれませんが、Ⅰ型もⅡ型もうつ状態の際の症状やつらさは同程度だと言われています。じゃあ何が違うかといえば、躁状態の内容が違うらしいのです。

Ⅱ型の方の場合は「躁」ではなく「軽躁」と呼ばれます。仕事や勉強などをバリバリ頑張れて、本人も気分が良くて、ちょっとお喋りになったり、いつもより自信過剰気味だったり、でも誰かと喧嘩したり大きなトラブルになることはない、みたいな感じです。わたしも院生の頃はこんな感じでした。

Ⅰ型の場合は、軽躁ではなく「躁」です。ご機嫌で気分がいいとかそんなかわいいものではなく…。

激しい躁症状が少なくとも1週間は続く。社会的・職業的に支障が大きい。周囲の人や本人を守るために入院になる可能性が高い。

https://sakura212.com/bipolar-disorder-100/8700/ より

社会的・職業的支障っていうのは、たとえば上司や会社とケンカしちゃったり、「辞めます!」って勢いよく仕事辞めちゃったり、それで収入なくなっちゃったり、そういうのが典型的なエピソードで、そうならないように入院させることがあるんだそうです。

そんな人もいんのかー、難儀なこった、と思って見ていた情報でしたが、








アレ…………?






あんまり詳しいことは言えないのですが、「ヤバじゃん」と自覚していることだけはお伝えしておきます。

前回の記事でもまとめたように、今のわたしにとっては、自分に病気のタグがつくことによる不利益の方が多いです。だから、認めたくなかったんだと思います。引くほど単純な答えでした。



というわけで、「認知の歪み」などと言いましたが、結局は「不都合な現実からは目を背けたいだけだった話」です。(見事なタイトル回収!)

ただ、自分にとって不都合なものから目を背けて見て見ぬふりをしたところで、その不都合自体がなくなるわけではないです。

知らないふりをしたところで、巻き込まれる人々が居なくなるわけではなく、自分の「見て見ぬ振り→不適切な対応」により引き起こされた害を被る人の存在をまた無視しなくてはいけなくなって……とどんどん自分にとって都合のいいものだけ見える世界を作ってしまう悲劇を、人類は繰り返して来たのでしょう。そして最後には、自分が穴に放り込んできた「不都合」が全て自分の頭に降ってくるのです。

自分にとって都合の悪い現実から目を背けることを、数日間くらいは許してほしいです。これからはちゃんと向き合って対処していこうと思います。これは自分との戦い、理性と倫理の領域です

個人的に、魂は「理性」「倫理」「好き嫌い」から構成されると思っています(今思いつきました)。

魂を売る、魂が穢れる、っていうのは「理性」「倫理」「好き嫌い」の生殺与奪の権を他人に握らせてしまうことだと思います。それらのコントロールを自分から手放すということ。

わたしは、できるだけ清い魂を保って死にたいです。

めちゃめちゃ長文になりましたが、色々書けてすっきりしました。それでは。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?