どうやら「発症」しない病気を「発見」されただけらしい話
こんにちは。Natsuです。
今回は、昨日行ってきた2回目となるメンクリ受診のお話です。
仕事で色々やらかして産業医に「お前はメンクリへ行け」と言われ、「わたし病気じゃないですけど!」と鼻息荒くメンクリに行ったところ、下った診断は「躁鬱病」でした。今のわたしは躁状態だということで、服薬治療が始まりました。
自分が精神疾患だということはすぐには認められなかったものの、状況証拠や過去の事例から、まあ受け入れて一緒に生きていこうと思えるようになりました。
これが前回までのお話です。
前回の診察から、「まじめに毎日服薬すること」「その日の気分・体調・普段とは違う行動を記録すること」「体力維持のために1日1時間散歩すること」を課せられていました。わたしは「勝手に服薬と通院をやめたダメな患者」の汚名を返上すべく、まじめにこれらの課題をこなしていました。
ちょっと話が逸れますが、仕事を休んでいる間の生活スタイルをご紹介しますね。
7:30 アラームで起床
8:00 身支度を終え、朝食。外出が嫌にならないように、朝のうちにコンタクトも入れて着替えて髪なども整えます。いつも通り、朝食を食べながら脳内に漂っている様々なものたちを手帳に書き留めます。
こんな感じです。実はわたしは結構キラキラした日常を送っていて、「文房具にまみれて手帳を書きながらの朝食」はそのうちの一つです。枕元にも寝ながら書いたメモが散乱しているので、それも拾ってきてまとめます。自分がどれくらい書けばスッキリするかはその日によって異なります。書くことは生産ではなく生理的な衝動であり、いわば排泄行為です。どんなものが出来上がるかではなく、内にあるものを外に出すことが重要なのです。
9:00~12:00 何かしらのインプットか掃除か散歩。「海と毒薬」の感想文を書き終えるまで何の本も頭に入ってこない状態になっているので、最近のインプットは「海と毒薬」の再読(何回目かはもう本当にわからない)と、それに関連して中原中也とボードレールの「こころまゝなる人間は、いつでも海が好きなもの!」について考えたり、社労士のテキストを読んだり(もう二度とブラックな環境に身を置きたくないので労務の勉強をすることにしました)、インドネシア語の勉強をしたりしています。
朝食から昼食までのこの時間帯は鬼門①で、だいたいすごーーく眠くなります。夜もぐっすり寝ているし寝起きもすっきりしているのに、日中はなかなかに眠くてだるいです。散歩にいく気になればあえて外出するし、それがなければ諦めて寝ている日もままあります。今日はほぼ何もせず寝ていました…。それでも眠いので不思議です。不思議というか、たぶん飲んでいる薬の副作用なのですが。
12:00 昼食。だいたい冷凍食品か麺で適当に済ませます。
13:00~16:00 散歩か家事。ご飯を食べたら、明るいうちに済ませたいことをします。掃除・洗濯など。午前中を家で過ごした日は、夕食のための買い物、などの用事をつくって散歩に出かけます。この時間はあんまり眠くないですね。
16:00 お茶。一日のやることリストを作るとき、タスクが重めの日は「ここまでやったらおやつ食べていいライン」を設けています。体力・気力的に全部こなせないことが事前にわかっていても、「予定されていたものをこなせなかった」という事実が蓄積すると自己肯定感が下がるので、最低限やるべきマストなラインを設け、それをこなせば良しとする仕組み、それが「おやつライン」です。そのためのインフラ整備として、決まった時間に意図的にお茶を飲むようにしました。食べるおやつは色々ですが近頃はドライフルーツです。
17:00~20:00 調べもの、読書、書き物など。この時間は鬼門②です。まとまった時間でまとまって作業するぞ、と意気込むものの、すごく眠いのです…。致し方なく、ちょっと寝ようと思うとあっという間に2時間くらい経っています。8時間睡眠に加えて昼寝が最低でも3時間くらいはあることになります。すごい寝てるなあ。それでも夜は夜でちゃんと眠いですし眠れます。
~21:00 夕食。夕食も適当です。トースト食べている日もよくあります(トーストは好物)。夕食後に薬を飲みます。食器を片付けた後、自分の手帳と、医師に見せる用の日誌にその日の記録をつけます。
~23:00 入浴、就寝。シャワーだけの日とお風呂に浸かる日は大体一日おきです。お風呂に入るときは防水スピーカーで好きな音楽を聴いています。23時くらいにはだいぶ眠いので、軽やかに入眠します。
このように、働いていない一人暮らし(NEETではない)なのに、規則正しい生活を送っているわけです。華麗なるモーニングルーティンの動画をYouTubeにあげたいくらいです。
そしてたまに思うわけですね。
わたしってどこが悪いんだっけ…?
なんで働いてないんだっけ……?
病気であることを認めたくない云々ではなく、「病気」「異常」ってなあに?「健康」「正常」ってなあに?みたいな話題です。
特に、双極性障害というこの病気の症状については、「いや、小さいころからこういう性格でこうやって生きてきたんですけどこれって病気なんですか?じゃあこういう性格の人みんな病気なんですか?」と釈然としない気持ちがありました。なので、今回思い切って医師に質問しました。
Natsu「先生、わたしはこれまでの人生ずっとこの性格や思考回路や行動で生きてきたのですが、いったいいつから『病気』だったのでしょうか?」
医師「生 ま れ た と き か ら で す」
あっ、そうなんですね!
Attention:あくまでわたしの主治医のわたしに対する説明です。
医師曰く、この病気は何かをきっかけに「発症」するようなものではないのだそうです。「正常」だった人が突然おかしくなってしまいそれに診断がつくのではなく、一定の割合で存在するわたしのような性格や思考回路や行動基準を持つ人を、医学界では「双極性障害」「双極症」「躁鬱病」と呼ぶ決まりのようです。なるほど。そういう定義であればわたしは紛れもない双極性障害の患者というわけです。
うまれつきこういう性格等の人が、社会に出てから、社会的損失(失職、破産など)を起こし、「発見」されるのが、この双極性障害である、という説明を受けました。
恐らくこの説明に異論を唱える人もいそうです。発揚気質など「かかりやすい生来の性格があるらしい」のは業界のコンセンサスですが、「うまれつき」と断言しているものは見たことがありません。ただ、一患者としての疑問と懸念は晴れたので、ひとまず良しとします。
続いて、こんな質問もしました。
Natsu「躁状態だと言われても、どんな状態が『躁』でどんな状態が『普通(躁でも鬱でもない)』かわかりません。見分ける方法はありませんか」
医師「ご自分で『普通だな』と思っている時が僕らの言う『躁状態』です」
なるほど!めっちゃわかりやすいわ!!じゃあ今自分で「普通だな」って思ってるからやっぱり躁なのね!
これもまた、この医師特有のクセの強い発言なのだと思われますが、
「『普通』の人は、そもそも仕事なんてしたくありません。やりたくないけど、生活費を稼ぐために致し方なくいやいや働いているんです。それを、いくら大事な仕事だからって、いくら他の人がやらないからって、毎日10時間やそれ以上働き続けるなんて、その時点で『異常』です。普通の人はそこまで無理しようとまず思わないですし、無理しようとしたって継続してはできません。」
といった発言もありました(一部補足していますので原文ままではありません)。ああ、そういえば、働いていたときは、ほんとにめっちゃ働いていたなあ。他の社員たちも働いている時間は自分のところにいつどんな仕事を振られるかわからないので、深夜勤を回避しながら自分の仕事を進めるために毎日誰よりも早くオフィスへ出勤していたわけですが、あれも「異常行動」だったのだなあ、とぼんやり懐かしく思ったりしました。(それを言ったら異常行動している人いっぱいいたような気がするけどなあ…まあいいや…)
仕事に対する考え方、他人に対する考え方、自分の内にあるものを外に表出させるときの特性、そういった自分にとってのスタンダードが、スタンダードではないことはわかってはいたものの、「スタンダード?とは?」みたいな環境にいたので、振り返ってもどうすればこの状況を回避できたかわかりませんが、自分が普通に生きているときそれは普通ではない、ということがわかったので、この知見は今後に生かしていこうと思います。
ちなみに、脳内でポップアップウィンドウが無限に出てきて止まらないぜ!っていう現象も、「観念奔逸」といって、躁の人の特徴らしいです。
え、みんなこれ経験ないの?じゃあメモ帳ってなんでこんなにたくさん市販されているの???
実感としては、ほんとにパソコンの更新通知とかバグみたいに、メインで考えたいことと別のことが次々に湧いてきて、「今日卵買って帰ろ」みたいなどうでもいいものから、「カノッサの屈辱に類似したことって他では起きていないのか?カノッサの屈辱ははヨーロッパでしか起こりえないのか?贖罪と謝罪の重さの東西の価値観の違いとは?」みたいなちょっと面白そうなものから、もうとにかく色んなことがワサワサ思いつく、ということが、日常的にあります。
それぞれのウィンドウで「閉じる」「後で」ボタンにあたるのが、わたしにとっては紙などに言葉で書きつける行動ですし、ノートやメモ帳が手放せない(我が家には枕元にもメモ帳とペンがあるし、持ち歩く財布もメモ帳を兼ねています)理由もここにあります。
あ、そういえば前にもこのメモ狂いの話書きましたね。
すぐ出来ることならその時やって、すぐ出来ないことならメモして、と自分なりの対処をすることでなんとか社会に折り合いをつけて生きていますが、それでもやっぱり疲れるなあというのが率直なところです。
言われてみれば確かに、世の人はこんなにたくさん焦ってメモをとったり何かを書きつけたりはしていない気がするので、「観念奔逸は普通の人にはないんですよ」と言われればそれも納得がいきます。
色々と納得がいったところで、医師から「今飲んでいる薬1種類だけだし量もかなり少ないけど正直あなたの躁状態はこの程度でコントロールできる気がしないからもっと積極的に治療しようと思うんですけど薬の種類増やしてもいいですか」との治療方針の打診があり、合意して薬の種類が増えました。第一選択は炭酸リチウムなのですが、手が震えるという副作用が嫌だったので(小さい字が書けなくなったら嫌だから)バルプロ酸ナトリウムという薬にしました。昨日から飲み始めていますが、まあ眠い…。
眠いのは寝ればいいだけなので少なくとも今はそんなに困りませんが、「治療」ってどうやらゴールは「普通の人」に近づけていくことのようなので、それによって一体自分がどんな人間になっていくのか、どんな景色が見えるようになっていって、どんな感覚を失っていくのかは、不安と好奇心が半々といったところです。
まずは次の仕事を探さなくては…。
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