自分を何かの専門家だと思いこんで架空の講演会を実施したので、その講演を文字に起こしました。
埼玉文化大学・特殊一般教養学部・総合文学科教授: 棚本 文平
議題:『子供の頭をよくする読書方法について』
えー、はい、本日はよろしくお願いいたします。
今回の議題はあらかじめ職員さんから提示を受けたいくつかのテーマの一つなんですけども、大体皆さんこういったことを気になさるなということでね、選んだわけですけども、よくですね、メディアかなんかで
天才を生んだ母!:「3人の子供を全員東大に入れた母は幼少期に絵本を数百冊読ませていた」
みたいな話がテレビや雑誌で取り上げられるのですね。それで皆さん勘違いなさる。本には特に子どもの脳を活性化させる成分があるわけではないのですね、はい。読み聞かせという点では子供の言語的な部分の発達を促すのは当然ですよ、子供というのは学習能力が非常に高いわけですので。でもそれだけで天才になるわけでは決してないとまずは断言させていただきたいと思います。
では何が言いたいのか、前に申しました「天才を生んだ母」というのはまさしく「天才を産んだ」だけなのでございます。
あえて冷たい言い方をしますと「たまたま与えた分の伸びしろのある子どもを生産した」と、いえるわけでございます。これは昨今の社会の中では非常に語弊のある表現ではございますが、あえてこういう言い方をさせていただきます。
これはつまり、とある野球漫画を読んで、野球を始めたいと思う子供と、そうでない子供、野球漫画をきっかけにプロにまで上り詰めた選手と、そうでない野球少年との違いでもあります。子供の興味が、野球に向いたのか漫画に向いたのか、身体のポテンシャルと合致したのか、こういったプロセスの上での成功例でしかないのであります。そのため、同じように絵本を数百冊読ませても、天才にならない場合が大いにあるということになります。仮に天才になった場合でも、上記の子供のように学習に対する言語的な部分が伸びて高難易度大学に行く人もいれば、絵本の絵に興味が言って、画家やイラストレーターになる人、ストーリーに興味が言って作家になる場合など、様々な可能性が存在しますよね。そして才能があっても残念ながらそれぞれの道に挫折する道が存在してしまいます。
本日来られましたお父様お母さま方の中に、自分も、月に2~3冊くらいは小説や表論文のような本を読みますよという方挙手していただけますか?……いや別に何かを話してもらおうというわけではなくて、人数を見たいだけなので遠慮せずに手を挙げてください。
<パラパラと手が上がる>
このホールの収容人数は大体300人ということで、手を挙げた方はざっと5、60人ですか……読書を議題にしてみても20%くらいの人数しか本を読まないわけですね。質問を変えます。ちいさいころ、本を読むのが好きだったもしくは大好きな作者やシリーズの作品があったというかた、挙手をお願いいたします。
<先ほどよりも手が上がる>
なるほど、半分くらいになりましたね。わたしは親御さんが本を読むことに苦痛を覚えなければ本を読む子供に育てるのはそんなに難しくないんじゃないかと思っています。親が苦痛に思う作業を子供にやらせるとその苦痛、不快感は子供にも伝わりますからね。
これまでのお話の中でね、「頭をよくする」に重きを置いた読書法というのは非常に難しく、偶然性の高いものであると理解していただけたかと思います。では単に、「本を読む子供に育てたい」という意味合いならいかがでしょう?これであれば頭をよくするよりもずっと確率の高い方法を御教えできると思います。
子供が本を読むきっかけとは何でしょうか?少し考えてみましょう。……それはこどもの興味・衝動にあります。
子供が本を読む・見るのは知りたいとき、見たい時です。文字の読めないお子様でも特撮ヒーローのビジュアルブックや、動物図鑑を眺めていることがありますよね?あれは見たいから見ているのです。当然、文字が読めるようになったお子様なら、読みたいと思わせることも可能なはずです。これには皆様のご協力なくしては不可能です。
例えば寝る前の読み聞かせ、わざと少しボリュームのある児童文学などを選んでんでみてはいかがでしょう?
そして盛り上がりそうな場所で辞めてやるのです。子供にはストレスがかかるでしょう。でもそれでよいのです。
どうしても続きが気になった子は自力で続きを読み始めるはずです。子供の興味を引いて、自発的な読書習慣を作り出してあげるのです。
ちょっと背伸びしたくなる小学校1~3年生くらいのお子様には、「親の本棚」というものがいいかもしれません。
子供の中では「親のもの=大人のもの」ですから、すごく興味をそそられるのではないでしょうか。
もちろん、手に取りやすい位置に置いておくのはそこまで難しくないジュブナイルの小説のようなものが良いと思います。
さて、次のトピックスは「漫画はだめですよね?」です。親御さんの中には何を勘違いしてらっしゃるのか、漫画や、書籍以外ではアニメや、ゲームを敵視している人がいます。暴力描写が子供の暴力衝動を引き起こすと思いたいらしいのですが、これは全くの間違いです。創作物が直接的に暴力衝動・犯罪行為を引き起こす可能性は限りなく薄いというのが研究者の中では主な意見です。そもそも子供はまだ生まれたばかりであるため、我々大人よりもずっと動物に近い生き物です。
動物というのは生きていくために争います。特に社会性を保有する動物は上下関係を作り上げるために余計に争います。人間にももともとそういう要素を持ち合わせているのです。だから、大人でもくだらない権力争いで足を引っ張りあったり、肩がぶつかったくらいで警察のお世話になったりするのです。
人間は本来破壊や争いを好む生き物です。教育を受けず、社会を知らない子供ならば当然なのです。それがなぜ、アニメや漫画・果てはゲームなんかがやり玉に挙げられるのかが不思議に思います。子供が乱暴なのはルールを理解していないから、つまり個人のそういう性質によるものか、親の教育が悪いからと思うよりほかありません。自由な創作物にそこまでの責任は取れませんからね。
私は創作物に触れることは人間にとって重要なことだと考えています。ほかの人の人生を追体験する・あるかもしれない可能性を知る。あり得ない話を読むことでかえって現実を知る……人の背後にはその人の歩んできた道が浮かびます。大きくてまっすぐな道を進んできた人、たくさん枝分かれして入り組んだ道を進んできた人、険しい道を乗り越えてきた人、そして貧相で緩やかな道を進んできた人。経験が道になるのです。そして、本は、創作物は道に沿う形でつながってきてくれます。子供が成長していく中で困難にぶつかったとき、ほかの道を知っていることで乗り越えていけるかもしれません。人の人生は千差万別ですが、きっと人生に、厚みを与えてくれるのです。
以上で本公演を終了したいと思います。御静聴ありがとうございました。
口述筆記:玉王英(棚本ゼミ所属)
※記載内容は大嘘です。何も責任を持つことはできません。
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