その立場になった途端に

 先日、足を骨折した同僚と帰るタイミングが一緒になった。駅まで付き添いつつ向かうわけやけど、まるで景色が違う。いつもは普通に歩いてるゆるい傾斜の坂もちょっと気になってくるし、信号のない横断歩道のタイミングも、かなり立ち止まって選ぶ。

 そのひとが同じように骨折して初めて気づいたルートも教えてくれた。それまでまったく気に留めへんかったスペースに、エレベーターがあった。駅のスロープは端っこにあるから、そのときに初めて通った。4年間で初めて。駅から職場まで、徒歩5分もかからへんルートが、たぶん10分近くかかった。「めっちゃ疲れるんだよ」って言うて、改札前で一休みしてたからそこでお別れ。

 昔、社会福祉士とった専門学校の先生が「妊娠したら街に妊婦が増える」っていうエピソードを話してたのを思い出す。自分が妊婦になったときに、初めて妊婦の存在に気づくっていうたとえ話。

 この、骨折の話も同じ。いままで気にも留めへんかったことに、有事の際には頼らざるを得なくなる。いま受け取れている安心感は、たまたま自分がそうなっただけであり、そうなってないだけ。

 あともう一つ、職場で、DVを受けたことがある方がDVケースに触れて感情持っていかれててんけど、その経験、感情の棚卸しの作業をみんなで見守るうちの職場はすごいと思う。めちゃくちゃシビアな時間で、ちなみに自分はなんもしてへん。ほんまに聞いてただけ。触れたら、自分の当事者性も引き出さざるをえーへん時間やった。

 DVを実際にしたことはないと思うけど、ミクロな関係、規模でのそれは絶対にあるんやろうし、実際の有無にかかわらず「DVなんてしたことないよ」っていうのもけっこうヒヤヒヤするよな、なぜか。身近に潜んでるはずやって思うし、他人事にしたらそこで終わるし。とはいえ、ひとのトラウマ経験に対してガヤガヤまわりが言うことちゃうな。聞くだけしかできへんかったというのもあるけど、たぶん聞くだけでよかった。とりあえず。

 でも、ほんまにすごい。大切な時間やった。

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