2021年4月24日「悩みのるつぼ」

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 とりあえず、いまの自分に足りない部分があって、こういうふうに相談できている分あなたは何歩も前を歩いていると思いますので、安心してください。

 ただ、あなたの心配する通り、なんでも疑ってしまう性格はあなたが育ってきた家庭環境の影響はあるのかなと思います。でも、それっていまから変えられるんでしょうか。仕事もしているし、現在はシングルであるとしてもいったんは結婚していたあなたの関係性の豊かさや、恵まれた仕事に就いていられることを考えると、あなたがご自身のことを邪悪と言い表すほどにはあなたは世の中からずれているようにも思えません。

 猜疑心の強さが何かの役に立つだろうっていうのも聞いたことがありますし、実際役に立つようにも思います。交渉ごととか。信用できない、ではなく信用しないあなたの性格のよいところも見つけて、育ててあげてください、って思います。

 そういう意味で言うと、「こんなことだから」って言っちゃうのもなんだかなって思いますよ。あなたの人生決して一人じゃありませんし、子どもにも見放され、誰からも愛されないで、って本当にそうなのか、そうなるのかもわかりません。ならないとぼくは思っています。

 自分の思いとどう付き合っていくか、ということですけど、自分だけで扱うことが手に余るということなのであれば、向き合うのをやめてみてもいいんじゃないかなと思います。それは、そういう自分を受け入れる、という意味でもありますし、まずは身近にいる中学生の娘さんとどう関わるか、ということでもあります。実の子に対しても疑ってしまう自分に嫌気が差しているようにも思いますので、そうであれば、まずは直接娘さんに向き合って「疑ってごめんね」と伝えてみてはいかがでしょうか。娘さんからご自身の性格について何か言われているエピソードも出てきていないので、おそらく、娘さんはあなたほどにそのことを重く見ていないような気がします。

 自分と向き合うことに限界を感じたときは、他者と向き合う。これはけっこう原則にしてみてもいいのではないかとぼくは思っています。

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 んーなるほど。相談者のひとを信用できない性格について「暗示」という言葉を使う。親から暗示をかけられたっていう言い方をすることによって、相談者の責任ではない、押し付けられた考え方であることを強調できる。育ってきた家庭環境の影響もあるやろうし、ぼくはあんまり深めずにおったけど、そういう構図にすることによって救われる感覚は確かにありそう。

 あと、ボランティアに行けばいいひとといっぱい巡り合えて、それによってあなたの疑り深さも変わるんじゃないですか、っていうアドバイスはめっちゃ実用的。自分はいつも、相談者に対して「そういう自分も変じゃないよ、大丈夫って受け入れましょうよ」っていう方向性で相談を受けるのだけど、それだけじゃ足りひん気が前からしとって。地道やけどさ、こういう考え方が和らいでいくためにできる方策を考えて伝えていくことも大切なんかなあと思った。

 自分は相談者とは逆に、ひとを疑わなさすぎて痛い目を何度か見てきたし、その結果ひとに迷惑もかけてきてしまった人間やねんけど。ひとを疑うのっていまの自分からしたらやっぱり自分自身としても気持ちよくないからしたいとは思わへんし、疑わずにひとと過ごすことができるんやったらそっちのほうがいいよな、といまでも思ってる。疑うっていうことはその瞬間瞬間にいろんなことを考えて、要は複眼的に見て、考えてるってことにつながると思うねんけど、できるなら「ああ、このひとと一緒にいていま楽しいわ」っていうその気持ちだけで後先考えずに過ごしてた、大学生のときとかに戻りたいって思うもん。損はするかもしれへんけどさ、死ななければそれでいいっていうだけ大切にできるならどんな素敵な人生やろうなって思うからなあ、そういうひともしおったら憧れるやろうし。やっぱり自分の身の置きどころはそっちにあるように思った。

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