4月22日

 知り合いと、世の中のこういうとこがよくわからんのよね、こうなればいいのになあ、みたいな話をしてた。料理本は結局抽象的な言葉遣いが出てきて、自分には正確なところがわからへん。あれは物事をちゃんと流れで説明することに慣れてへんひとが作ったもんや、などなど。正直、その内容自体にはあんまり共感せーへん、というか、そんなもんじゃない? 結局誰が誰に合わせるのか、どれくらい合わせるのか、それを許容量超えてるのかどうか、みたいな話やんななんでも、って思ってんけど、けっこう着地点のない話やってんけどさ、こういう話こそおもろいなと。こういうちょっと隠し玉みたいな話が出てきて、それについてみんなで話す。みんなが「その感覚いままでなかったわあ」でいいのよね、ほんまは。

 自分もけっこう集団で話しているときによくわからん話をあえて投げ込むときがあるねんけど、よくわからん話をこそみんなで話すと楽しいんじゃないか、と。よくわからん話を投げ込んでくれるひとがおるおかげで、その集団の限界が広げられるというか。みんなで迷えば怖くない、的な。すっきりわかりやすい話ばっかじゃ、いまの自分以外のどこにも連れてかれないのよ。

 それと、そのひととはそのあと仕事の話にもなってんけど、自分の好きなことがそのまんな仕事になる場合と、それが仕事に役立つ場合があるなあと思った。そのひとは調べ物が好きらしいねんけど、調べ物がそのまま仕事になるっていうのは校正・校閲? ライター? 雑学系Youtuber? とかって考えて。もう一つ、それが仕事に役立つ場合って、いろんな雑学を広く知っていて、たとえば対人職とかで、その雑学がいろんなひとたちとつながるツールになっていい仕事ができるようになるとか。この二つは明確にちゃうなあと思ったのです。

 考えるのは楽しいなあ。ひとと話すと、自分が思いもかけないところに思考が伸びていくから楽しい。

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