本音で話すことの大切さ
先日、職場の学校で、ADHDの生徒への対応について、ある先生から意見を求められました。
教室内で当該生徒にADHDの症状が現れることで
クラスの雰囲気がかき乱される…
「またあいつかよ」という雰囲気になってしまうとのことでした。
先生としては、当該生徒がADHDの診断を受けていること、それゆえに、治らない部分については理解してほしいということを、クラス生徒全員に対して告げたらどうか…というご意見をお持ちでした。
もちろん、当該生徒と保護者に相談し、同意してもらえたら…という前提でしたが。
この…障害についてのカミングアウトするか否か問題は、判断するのが非常に難しく
画一的、絶対的な答えはない…というのが
私の考えです。
カミングアウトすることで
より一層差別や偏見を強め、排除の方向に動くこともあれば
理解を生むきっかけにもなる。
本当に繊細な問題です。
クラスメンバーのキャラクターにもよるし
告げる担任教師のキャラクター、伝え方も
その結果に影響を及ぼします。
意見を求められたスクールカウンセラーとして
私は、言葉につまってしまいました。
とりあえずその場では
「カミングアウトについては慎重に…」とだけ、お伝えしました。
その後、よく考えれば考えるほど
私だけでは答えが出ない問題だ…と感じてきて。
「カミングアウトすることがどう転ぶかどうか、わからない」というのが私の率直な意見。
でも…心理の専門職として学校にいる以上
「わからない」と言うことに、やっぱり不安があるんですよね。
専門職として「正しい」意見、一つの答えを出さなくちゃいけない、というプレッシャーがあったりして。
年をとると、経験を重ねると
「わからない」と表明するのに勇気がいる…のです。
☆
でも、私は「わからない」ことを表明することにしました。
だって、私一人のプライドなんかより、ずっと大切にしたい問題だと思ったから。
やっぱり、スクールカウンセラーには限界があります。
一つの教室に一日中、ずっといるわけではないし
クラスメンバーのキャラだって、一面しか知ることができない。
相談してくれた担任教師の性格、生徒との向き合い方、クラス運営のスタイル…教師側の力量だってある。
これはスクールカウンセラーからの視点だけでは
判断しきれない…と思いました。
ここはやはり、担任教師と同じ職種として、
経験豊富な副校長の見立てが必要だと。
実は私の職場の副校長は、細やかな感性をお持ちで、生徒の指導も的確にできる方です。
できすぎるが故に、本当はカウンセラーなんて
必要ないと思っているのでは…と
その言葉の端々から感じられなくもない方で…
(決して表立ってカウンセラーをないがしろにする方ではないけれど)
ある意味、そういう副校長に
「わかりません。」とこちらから差し出すことは
「ほら、やっぱりね。カウンセラーいらなくね」と思われてしまうのではないかと憶測してしまい、ためらいが生じるのでした。
でも、意を決して副校長に相談。
「カウンセラーとしては正解がわからない。
副校長のお力を借りたい」ことを表明。
「わからない」自分、
「頼りにならない」自分を受け入れて、乗り越えて。
☆
すると意外にも副校長は、私の話を最後まで聞いてくださり、理解を示した上で
副校長のこれまでの経験や
現段階で、うまく対応できているときの様子、
障害のある生徒への対応が、上手な先生に協力を依頼すること…などなど
これまでにないほどの情報提供、提案をしてくださいました。
担任教師への声掛けやアドバイス、フォローも請け負ってくださいました。
そして「正解はわからないけれど、わからないなりに、今後も一緒にやっていきましょう」と言って下さり、とても温かいものが二人の間に流れたように感じました。
私が正直に本音を話すことで
副校長も心を開いてくれたようでした。
☆
もしかしたら、これまでの副校長のカウンセラーに対する閉じた感じ・微妙な不信感は
「守秘義務」とか「個のかかわり」を重んじるカウンセラーの行動が、「よく見えない、わからない」不気味なものとして目に映り
だからこそ「構え」られ、ガードの態勢に入ってしまわれていたのかなと思いました。
そして副校長の「本音のよくわからないカウンセラーには頼るのは、ちょっとな…」という思いを、カウンセラーの私が「副校長の不信感」として拾ってしまっていたのかもしれないなと思いました。
そう思うと、副校長のカウンセラーへの微妙な距離感にも納得がいきます。
よく考えると、私だって無意識のうちに同じようなことをしているから。
本音を話さない人を前にすると、その人の心を勘繰ってしまうし、自分の言葉も選んでしまう。
でも一歩引いてみると、私が安心して話せる人というのは、案外、怒ったり、驚いたり、喜んだりを正直に伝えてくれる、ちょっと人間臭い人だったりするものです。
私はカウンセラーだし、それなりに経験もあるお年頃になりました。
だからこそ、心を開くことの恥ずかしさや怖さから逃げるのはもうやめにして
まずは私が自分の心に正直に素直でいようと決意しました。
そうすることで相手も心を開いてくれるのだ…と
副校長とのやりとりの中で、強く思ったできごとでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?