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他人からモノ扱いされないためにできること〜男女論を添えて〜

「人をモノ扱いする」
たまに聞く言葉だ。恐らく他人から尊重されていないことに対する不満なのだろう。

この言葉は、言われた相手をおとしめる言葉なので、曖昧な定義で使用して良い表現ではない。
このnoteでは「モノ扱い」の定義や原因、改善法について掘り下げていこうと思う。

もったいぶるつもりはないので、まずは定義してみよう。
モノ扱いとは、

他人を財産として、また債権の対象として扱うこと

を言う。もっと分かりやすく表現すると、

AがBの人格などに重きを置かずに、身体や持ち物(財産や社会的地位)を求める場合はモノ扱いしていると言える。

より現実味のある例なら、

女性の体目当ての男性
男性の財産や地位目当ての女性


これらが分かりやすく該当する。

なぜモノ扱いが起こるのか?

これには既に、一般的な答えが出ている。

他人に対する敬意が足りていないから

である。問題はこの先なのだ。他人に対して敬意を持つということに、男女で基準が異なることで、話がややこしくなっているのが現状だ。

例えば、
「人間扱いされない」

これもやはり、他者から尊重されていない、と感じた際に生まれる不満だ。
つまり、敬意が足りていない、という不満と同根である。よってこれらの問題を考えるには、「敬意」というものについても考えなければならない。

先程も書いたように、敬意というものについての考え方は男女で異なる。もちろん、全員が全員そうではないのであくまで傾向の話なのだが(こういった注意書きが必要な現代社会を残念に思う)、多くの場合男性は敬意を「得るもの」と考えるのに対して、女性は「当然に得られるもの」と考えている。

「人が人に対して敬意を持つのは当然のこと」

という考え方はある面では正しく、別の面では間違っている。この問題を考えるには「敬意」とは別に「好意」というものの存在が関わってくる。

敬意と好意

ここで言う好意とは、友人や親しい人間に感じる好感のことではなく、異性に感じる性欲に由来する好感、つまり「発情」のことを指す

先に明言しておくが、異性に対して感じる好意というものには「敬意」は含まれない。

我々は生まれ育つ中で教育という洗脳を受けている。だから、異性に対して持つ好意を発情であると認めたがらない

あえてもう一度言おう。少なくとも初期段階において、異性に対して持つ好意は、男女問わず必ず発情である。

また、もう一つ言っておくが、

好意(発情)は勝ち取るものではない

これに関しては特に男性が理解できていない傾向にある。男性は物事を「勝ち取るもの」という考え方をしがちであり、先ほどの敬意にいつても「得るもの」と考えているように、好意も得るものだと考えがちなのだ。
これは言い方が悪いが女性経験の少ない男性に多い考え方である。当然だが、女性経験の少ない男性が精神的に劣るということはあり得ない。
そもそも恋愛が人を成長させるわけではないのは、恋愛経験を誇る人々を見ればお分かりだろう。

ある程度女性経験がある男性や多くの女性は、好意は「既に得ているもの」であると知っている。

「好意」つまり「発情」とは段階を踏むことで得るものではなく、脈絡なく得られているものなのだ

なぜこの感覚に男女差があるかと言えば、異性から脈絡なく好意を持たれるという経験を、多くの女性が持っているのに対して、多くの男性は持っていないからである。

これは、たまに言っているが男女の性的価値の不均衡に起因する。
身も蓋もない言い方をするなら、

8割方の女性は男性から求められるという経験をするが、8割方の男性は女性から求められるという経験をしない。

特に現代社会においては。

社会の条件が変われば割合も変動するが、殊に現代では多くの男性は女性に好意を持たれるという経験をしない。だから好意を得る方法が分かっておらず、好意を勝ち取ろうとする。

このような傾向は男性向けの創作物によく見られる。
男性向けのコンテンツでは、女性からの一目惚れや脈絡なく好意を向けられることが少ない。大抵の場合、段階を踏んで好意を得るという展開となる。

ここで男性が女性から好意を得るという行動には、精神的な営みが見られる。

つまり、このフィクションの女性は男性の表面的な魅力を評価せず、男性の言動に表れる、内面的な魅力を評価する。

そういう世界観で多くの男性は生きている。この世界観を現実世界にも持ち込む男性は、男性向けコンテンツでモテる男性の真似をしようとする。

つまり、社会人として望ましく、紳士的で、落ち着いた、女性を対等な人間として扱うような、退屈で、厳しい、多くの女性が言うところの、優しさのない振る舞いをする。

断言できるが、モテない

先程も言ったが、こういったタイプの男性が作中でモテるコンテンツを作っているのは男性だ。
望ましいかどうかを保留すれば、男性の世界観であって現実ではない。むしろ男性がモテたいのなら、

流行りの少女漫画などの女性向けコンテンツで人気のある男性の振る舞いを真似した方が良い。

これを実行してモテている実例を私は多く知っている。

「イケメンがやるからモテるのであって、フツメンやブサメンがやってもイタいだけ」

という意見が聞こえてくると思うが、

真っ赤な嘘

だ。人間の知覚能力というものは、我々が思っているほど大したものではない。そもそも現在のような小綺麗な姿や生活を手に入れる前から男女は互いに発情し、生殖してきたのだ。
美の基準など暫定的ざんていてきなものでしかない。
現代ですら文化圏をまたげば変化するものに絶対的な基準はない。

誤解を招かぬように言うが、人が知覚を刺激されるものには小細工を挟む余地がある、という話で、「美などない」という話とは違う。

個々人が持つ美の基準
特定の文化を共有する集団の持つ美の基準
特定の遺伝子を共有する集団の持つ美の基準

などを複合したものが我々の持つ美の基準となる。もちろん、種の繁栄に寄与する美の基準が優勢となるので、本能的に感じる魅力を引き出すことができれば当然モテる。ここで言うモテるとは相手を発情させることができる、と言う意味だ。異性を発情させるのには、別に美男美女である必要はない

話が逸れそうなので戻すと、男性向けコンテンツに登場する男性がモテるのは、男性の理想が反映されているだけの話ということだ。

経験の少ない男性でも、2〜30代を迎える頃には、男女でモテ方が違うということにも気付いてくる。
つまり、好意とは勝ち取るものではない、ということを理解する。

一般的に人間はより得難えがたいものに大きな価値を感じる

では男性は好意と敬意のどちらにより大きな価値を感じるだろうか?

愚問だろう。好意が勝ち取るものでないと理解したのなら敬意により大きな価値を見る。

ちなみに女性が言う、

「尊敬できる人が好き」

という言葉に登場する尊敬は、男性の想像する尊敬と異なるので注意が必要だ。

そしてモノ扱いへ

先ほど、男女の性的価値について触れた。男性の場合は、その財産や社会的地位を目当てに女性から求めらることをモノ扱いであると感じ、女性は身体を目当てに男性から求められることをモノ扱いであると感じやすい。
ここに非対称性があるのだが、男性の場合は女性との性的関係において己の性的価値はマイナスに変動しないのに対して、女性の性的価値は男性との性的関係においてマイナスに変動するということだ。
これは女性差別ではなく、事実だ。
何が事実かと言えば、少なくともほとんどの男性の感覚において、女性の恋愛における性的価値は20歳前後をピークに減少、30歳で大方消滅し、結婚における性的価値は女性が男性と性的関係を持つ毎に減少していく
気に入らないのなら女性が経験豊富な男性を嫌がれば良いのだが、好ましいと感じてしまう以上はどうしようもない。

つまり、女性は恋愛と結婚において二重にモノ扱いされることになる。

面白いことに、女性をよく知らない男性は、気になる女性にアプローチする際に、自分に交際相手などがいないことをアピールする。これが全くの逆効果であることはお分かりだろう。
なぜこんなことをしてしまうのか?

答えは簡単だ。一般に男性のほとんどは、意中の女性から男性の影を感じると距離を置く。これを理解できない女性が意外と多いのだが、男性はそもそも競争率の高い女性を好まない
また、女性グループの中でヒエラルキーの高い女性に対して特別に魅力を感じることもない。女性を獲得する上で競争をしようとしないのだ。

断言するがここで競争が起こる場合は、最も酷いモノ扱いをしているので、この競争の景品になってしまったら可及的速やかに逃げる必要がある。ロクな未来は待っていない。ここで何らかの被害者になっても笑われるだけで同情はされない。

話を戻すと、男女が違う生き物だと分かっていない男性は、自分の感覚を女性に当てはめるので、自分の周りに女性がいないことをアピールするのだ。自分が女性に男性の影を感じると距離を置くように、女性の影があると相手に距離を置かれると思って。

多くの男性は女性を一種の財産だと考えるので、他の男性が交際している女性には興味を持たないし、欲しがろうともしない。これは非常に一般的な話で、例えば、

友人の部屋に欲しい物があったら盗むのか、という話と同じ

である。

つまり、交際相手のいる女性に興味を持つ男性は男性全体から見れば異常者である。他人の財産を欲しがる人間はまともではないからだ。
だから、女性はよく覚えておくと良い。あなたに交際相手がいるのにアプローチしてくる男性は異常者なので今すぐ関わりを断つべきだ
男性の場合は交際相手がいても女性からアプローチされるのは普通であるので特に気にする必要はない。女性は基本的に交際相手のいない男性よりも、交際相手のいる男性に魅力を感じる。だから交際相手のいるあなたにアプローチしてくる女性は異常者ではない。財産や社会的地位に寄ってくる女性だけを警戒すれば良い。男性は体目当ての女性に対して何の嫌悪感もない。

だから、男性がモノ扱いされるとすれば、財産や社会的地位目当てのみなので、一種類のモノ扱いしか受けないと言える。
だが女性の場合は恋愛、結婚に加えて、財産や社会的地位目当て(これは少ないが)というモノ扱いが想定されるため、男性よりもモノ扱いされているという意識が強くなる

ただ、現状の結婚生活は男性がより多くを負担するという状態であるので、経済力や頼りがいを求められることをモノ扱いであると感じる男性は多い。
先進国であろうと後進国であろうと、結婚において男性が女性を庇護するという状況は変化していない

すると男性は女性に何を要求するだろうか?

お察しの通り「守る価値」である。

では男性が守る価値を感じる女性とはどんな女性なのか?
と、考えといくと財産として価値を感じる女性となる。女性差別だ!と思うかもしれないが、ジェンダー論的に見れば男性に頼りがいや経済力を求めるのも男性差別なのだ。
であるので、結局はモノ扱いが起こる。
そして、男性が価値を感じるモノは人気商品ではなく掘出し物だ。
男性は、

「俺だけが価値を知っている」

という状態を好む。これは多くの男性が流行にうといことからも見てとれる。価値判断の基準に他者の比率が低いのだ。だからあまり他人の影響を受けない。

例えば、中部地方の岐阜県岐阜市に「幸楽」というラーメン店がある。
以前このラーメン店に木村拓哉さんが来店したことはご存知だろうか?
ニュースにもなったので広く知られていると思うが、その後ラーメン店は大変混雑した。予想できると思うが、女性が殺到したのだ。木村拓哉さんが座った席も特別な扱いを受けた。
これが仮に、木村拓哉さんと芸能界で同格の女優であったらどうだろうか?
男性はラーメン店に殺到しただろうか?
男性は他人が価値を感じるからといって価値を感じたりはしない。これは男性を観察していれば理解できることだ。
そして、この傾向は恋愛でも同じである。
女性はモテる女性と交際していた男性に価値を感じるが、男性はモテる男性と交際していた女性に価値を感じない。
また、男性は女性の男性経験を瑕疵かしとしか思わない。セックスにおいては女性の性的経験を歓迎するが、どれほどモテる男性でも結婚となると180度考えを変える
。これは現状の結婚事情がそうさせているのだが、女性の中には理解できていない方が多い。

そもそもモテる男性もモテない男性も見えている世界や考え方は同じである。なので当然、モテる女性もモテない女性も内面に差はない。
「そんなことない!」と思ったあなた。
それは、違っていてほしいと望むあなたの願望であり、ただの妄想なのでそんな差別感情は捨ててしまった方が良い。特定の他人しか尊重できない人間が敬意を得られることはない。

少なくとも現状の、男性が実質的に女性を所有するという結婚事情を改めない限りは、女性の身体に対するモノ扱いは終わらない。
まあ、仮に上記が終わったとしても、男女が互いの体に発情するというモノ扱いは絶対に終わらない。これは有性生殖の生物である以上は克服できない。

先程、女性グループでヒエラルキーの高い女性に男性は特に魅力を感じないと書いた。しかし実際、普通の女性よりも丁重に扱われているのを目撃したことはないだろうか?
これには理由がある。この女性は、言い方が悪いが女衒ぜげん」の地位にあるのだ。
「女衒って何?」という方の為に簡単に説明すると、女性を男性に斡旋あっせんする仲介者のようなものだ。つまり女性グループをまとめ上げて支配下に置き、男性が女性を得るには自分を通す必要があるようにするのだ。一般に女性は女性の交際関係に干渉しがちである。これは男性に比べてという程度の話だが、身に覚えのある女性も多いのでないだろうか?

「男性と交際するのにお前の許可が必要か?」
「なぜ髪型とか服装、アクセサリー、化粧にいちいち口を出すんだ?」
「誰と仲良くするのも私の勝手じゃないの?」
「別に調子に乗ってるつもりはない」

生まれて一度もこれらのことを思わずに生活できたのなら幸せだろう。女性社会でボスになれなかった美人は中々悲惨である。男性にモテるなら尚のこと。まあ、ボスが側に置きたがるので身の振り方次第ではあるが。気が合わなければ楽しい日常は送れない。

男性はこの女性グループのボスに気を遣う。
何故か?嫌われれば女性が手に入らなくなるからだ。少なくともそのグループ内においては。

敬意を持たれる人とは

この社会において、敬意というものに関する価値基準は男性の考えが支配的である。だから女性社会で尊敬を得ても、男性からの尊敬が得られなければ、敬意の不足を感じる。これは男女ともに同じだ。

男女が互いをモノ扱いすることは本質的にやめられないが、人格を尊重されることでモノ扱いを緩和することはできる。

人格面で敬意を得るのが、現実的に考えて唯一の解決策だろう。

ここまでに書いた通り、「好意」は何もせずとも得られるが、「敬意」はありのままでは得られない。
人格を尊重されたいのなら、尊重されるような人格になるしかない。


あなたがあなたである、というだけで尊重してくれる人間は親くらいである。

男性は特にこのあたりの感覚が厳しい。女性に尊重すべき人格を見なければ一生モノ扱いをするだろう。
男性が女性からのモノ扱いを避けるには、財産や社会的地位を利用させないだけで済む。男性は性的価値が低いので男女交際において搾取されるものがない。だが、女性の場合は交際そのものが男性からの搾取である。

何度も言うが、これは結婚という制度が実質的に身請みうけに近いものになっていることが原因となる。
だから、男性が女性を守り養うという状況が変化すれば、根本的にモノ扱いが解決できる
もちろん問題は結婚だけではない。モノ扱いが問題となるのは、より一般的な社会生活においてである。

男女を明言せずに質問してみようか。

多くの人に多くのことをしてあげられる人間と、多くの人から多くのことをしてもらえる人間は、どちらがより人として格が上なのか?

また、どちらがより尊敬を受けるのに相応しいのか?

簡単すぎたかもしれない。
「バカにするな!前者に決まってるだろ!」という声が多いのなら社会の行末は安泰だろう。
実は敬意を得るのはとても簡単なことなのだ。

自らの言動に責任を持ち、属性に甘えず、自分にとってどうでもいい人間だろうと思い遣り、自分には利益があっても社会に不利益があるのならそれを拒否する。

この程度のことで敬意は得られる。逆に言えば、この程度のことすらできない大人は敬意を得られない。

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