見出し画像

ちょっとしたものをおなじところでおなじものを。

悲しくて仕方ないので文を書くことにしよう。

病理医ヤンデルというXアカウントがあった。
そのアカウントを自分がボヤっと頭に浮かぶのは、子供のころテーマパークやデパートの大体上層の階で子供たちに風船を渡し続けるピエロだ。デパートであれば今はゆるキャラとかおねぇさんがやるのだろうか。

ずっと同じ場所にいてずっと同じことをし続ける。その風船1つに大きな意味はないのだけれども交流や場の空気によって大きい幸せな空間ができあがる。

メインコンテンツはダジャレとクソリプ、それと医療情報と情報拡散
名の通り病理医で、本業に関してはとても努力をしている人、何かのコンテンツ消化を多量にする一方で良し悪しをしっかり頭の中で整理できている人。一つのことに目的をもってそのタスクを完了することがとてもうまいように感じていた。
アカウントを通じて自分が楽しいと思っているものや、正しい情報を広げたいそんなものであった。インフルエンサーというのが近いとは思うが、自分よりもその情報を見て拡散してほしいタイプのインフルエンサーというのは現代としては結構特殊なのではという印象を抱いていた。

そんな人がアカウントを消した。
きっかけはアルゴリズムの変化による情報拡散のやり方の変化と拡散力にすり寄ってくる悪意のある依頼と言っていた。十数万というFFを抱えるアカウントであったし実際のところは他の事もあったのかもしれんがわからない。

何がソーシャルなネットワークサービスなんだ。
発信した情報を平等に提供せずに。
自分をできるだけ消し、コンテンツを主役にして拡げる努力をする人がやりづらさを感じて。

何人か同じ意見の人はいるかもしれないが、自分は今の広げること至上主義でインパクトプレーを重視するSNSの仕組みが好きになれない。

何度か迎合してみようと試みたが自分の心の狭さには難しすぎた。
それでもその大量の情報やその流れに身を任せて馬鹿をやっているのに心地よさを感じることもあり、自分の投資する方向ややりたいことが流れによって変形することが多々あった。
そういう時でもふと、このアカウントがインターネットで落書きのようなどうでもよいことを延々とやっているのを目にし、自分の興味が少し反発弾性して少し元に戻る。同じものを、でもちょっとしたものを提供することで、それを周りが楽しむことで顔が綻ぶ空気が生まれる。
あぁ、この空気の吸うためにに僕はSNSをやっているんだなと。
そんなコンテンツでした。楽しかった。疲れた時に見られてよかった。

自分の書いている文章が冗長すぎて吐き気がする。
こんな辟易とするタイミングがあっても、「5秒でランダムに出しているようなダジャレを言ってみたり、テンプレやり取りをしてみたり、クソリプをしてみたり、時々我慢できなくて長文連ツイをしてしまう」アカウントはもうない

さようなら、ヤンデル先生

自分がXをやっているのは短い文章で人に同じように伝えるために考えるのが楽しいことと、楽しいことやどうでもいいことを書いている時間が楽しいからだ。それくらいは忘れないようにして今後もインターネットに漂うことにする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?