「命の日記」を募集する理由。
はじめまして。関西のお寺で副住職をしてます恵心と申します。
まだ公式には発表していないので内緒ですが、僕達は今「もし明日死ぬとしたら」というエンディングノートを作成しています。
このノートは制作メンバーは僕を含めて全員僧侶の方です。
そして、このエンディングノートは普通のエンディングノートとはちょっと違います。(まだ公開前なのでモザイク入れます。バレませんように)
いわゆるエンディングノートは「終活」の一貫として
・家族や大切な人へ自分の情報を伝えるノート
・自分自身のための情報整理ノート
といったものですが。
今回私たちが制作しているものは少し目的が違います。
全ての問いかけを「もし明日死ぬとしたら?」という質問を軸に展開していきます。
私は僧侶としてたくさんの方の葬儀に関わらせていただきました。
ほとんどの方が生前から親しくしてくれていた「親戚のおっちゃん・おばちゃん」のような方々です。
つい前月までは元気だったのに、急に亡くなられた方もいます。
その度に、私は悲しく、寂しく、時には怖くなります。
そしていつも気付くのです。
「人はいつか必ず死ぬ」
そしていつも忘れます。
「また明日が来る」
私たちは有史以来、最も死と遠い時代に生きているといっても過言ではありません。(実際に平均寿命も1950年代に比べたら20年も伸びています。)
僧侶である身として、誤解を恐れずに言うならば
この「死との距離の遠さ」に危機感を抱いています。
なぜなら、死があるからこそ、生をより大切に出来るからです。
少し厳しいようですが、あなたは毎日を粗末に過ごしていませんか?
もちろん長生きも大切で、自分を含めて大切な人たちには少しでも長く生きていて欲しいと願うのは当たり前のことです。
しかし「いい人生」は生きた長さで決まるものでは決してありません。
そこで、「もしも明日死ぬとしたら」という究極の問いを発端に、
無限のように感じる「生」に期限をもうけることで、より今を色濃く自分らしく過ごしてもらうことをこのエンディングノートでは目的としています。
命の日記の出番!
そして、このエンディングノートに掲載するコラムとして「命の日記」というものがあります。
「命の日記」は私たちの体験談や、詩などをまとめたものです。
〇〇が正しい生き方だ
〇〇が価値があるんだ
そんな風に言うつもりは全くありません、
誰かの言葉を通じで何かを感じて欲しいのです。
そんな「言葉」を今回は募集させていただこうと思っております。
詳しくは29日の19時に投稿するTwitterでお知らせします。
Twitterアカウント
@monk_eshin
少しでも多くの方に届くように、、
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