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「法務部が知っておくべきESG」#1 国際的な開示基準の整理

サステナビリティ基準に明るく、各企業の取組みにも詳しい弁護士チームが、「法務部が知っておくべきESG」というテーマで、溢れるアルファベットスープを、分かりやすさ優先でシンプルに語っていくページです。

私たち弁護士チームは、2022年から、企業のサステナビリティ担当者が集まる勉強会を主宰し、自己研鑽の場を提供するとともに、外部専門家講師を招聘して参考事例の提供を行なっています。

ここに記載の事項は、勉強会の流れで一定の前提のもとに書かれていることが多く、一般的なアドバイスを提供する趣旨のものではありませんし、個別案件の解決を目的とするものでもありませんので、ご注意ください。

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今回は、国際的な任意開示基準を整理してみます。(出稿日2023年6月8日)

数多くの国際的な任意開示基準の収束
サステナビリティ関連の企業の情報開示は、かつては百家争鳴といった感じで開示基準が乱立していましたが、収束してきつつありますので、中でも重要と思われる、GRI(Global Reporting Initiative)、ISSB(International Sustainability Standards Board)という二つの団体が提唱する任意基準を取り上げます。

ESG経営と法務部の役割
まず、そもそも、法務部はESG開示基準を押さえておくべきなのかどうか、という点を考えてみましょう。これまでは、ESG開示基準は、サステナビリティ室とか、非財務情報委員会とか、ESGタスクフォースの人が知っていればよく、法務部としては、彼らに任せていれば良い、という考え方もありました。しかし、ESGは今や、企業戦略やリスク管理と不可分のパーツになっています。法務部は戦略推進にも、リスク管理増強にも、積極的に機能を発揮することを期待されていますので、ESG開示基準の基礎を知らないでは済まされないという考えが広がってきています。

有価証券報告書で求められる記載
かつては任意のものと位置付けられていた国際的な開示基準は、最近では、徐々に義務的開示の中に取り入れられつつあります。日本でも、手始めに、有価証券報告書の中で、「サステナビリティに関する考え方及び取組み」の記載が求められるようになったことは、2023年3月期に多くの企業が既に経験したとおりです。法務部として、リーガルな視点から有価証券報告書のレビューを求められた時、何を拠り所にするのでしょうか。この点は、民法、会社法等の基礎を知ったうえで契約書チェックをすることで、契約違反をしたらどうなるのか、法律が何を求めており、それに違反したらどうなるのか、先々のことが見通せるというのと同じです。そのようなスキルを持つ法務部だからこそ、レビューを頼まれているわけです。ESG開示基準について、体系や考え方を知らないで、効果的なレビューをすることは難しいでしょう。

有価証券報告書の不記載
ここで有価証券報告書の開示事項について、適切な記載ができなかったらどうなるのか、考えてみます。実際、サステナビリティ情報の開示は容易ではありません。連結対象の海外子会社に思いを致せばよくわかります。各国で微妙に異なる法律用語の定義を揃えたり、開示する項目の粒度を揃えて、全世界の拠点データを集計したりする必要がありますが、データ収集のためのシステム構築がまだ不十分で、エクセルで集計作業をやっているという企業も多いと聞きます。今は法定開示事項について、限られた日本子会社だけを対象に、何とかエクセルを使って人海戦術で賄えたとしても、これから開示情報が膨れ上がったら、現実問題として全ての項目には対応できないかもしれない、と不安が持ち上がるわけです。有価証券報告書で開示するべき項目について不記載ということになれば、可能性としては、課徴金が課されることがあるでしょうし、場合によっては虚偽記載として投資家から損害賠償請求を受けることもありうるということになります。このようなことは、法務部がしっかりアドバイスすべきですが、実際には、まだ法務部が社内のサステナビリティ・プロジェクトに参加していない会社も多いように仄聞しており、懸念事項です。

法務部員のESG事始めに向く開示基準
法務部員が体系的に勉強するとしたら、ISSBとGRI、どちらの開示基準を勉強するのが良いか、考えてみます。ISSBはまだ項目別の基準が気候関連のもの(IFRS S2)しかできていないので、体系的学習には今のところ、向いていません。しかし、以下に述べる通り、ISSBにはSASB(Sustainability Accounting Standards Board)という言わば下敷きがありますので、ここでは、体系的勉強の対象として、SASBとGRIを比較してみます。両者は、シングルマテリアリティか、ダブルマテリアリティか、という根本的な違いもありますが、その違いについては別の回に譲るとして、勉強のしやすさ、その後の使い道等、挙げてみます。

SASB基準の良さ
SASBは、IIRC(International Integrated Reporting Council)と統合されてVRF(Value Reporting Foundation)となり、VRFはISSBに統合されたので、SASB基準はいずれISSB基準に形を変えると予想されます。実際、S2の付録Bを見れば、SASB基準が下敷きになっているのがわかります。その他のサステナビリテイトピックはこれから基準が作成されるところですが、できるまではSASBに則って開示を継続するように、と、ISSBも呼びかけています。日本でも、金融庁はISSB基準をベースに、規制を積み上げる、「ビルディングブロック」という考え方を採用しています。ISSB基準は任意基準ですが、事実上、規制の一角となるようなものだと言えますので、勉強しておいて損はないと言えるでしょう。

SASB アーカイブの充実度
しかもSASBは勉強するためのアーカイブが充実しているのが特徴です。アーカイブの中でも特におすすめは、産業毎に用意されたインダストリーリサーチブリーフです。各産業に属する企業の戦略とサステナビリティ関連のトピックの結びつきが解説されているので、そのトピックに取り組むことで、売上を上げるのか、コストを減らすのか、資産・負債にどんな影響があるか、最終的に資本コストを下げられるか、ESG活動が企業価値につながる経路が明確になります。勉強の末に、獲得した知識を認定してもらえる試験制度も用意されています。FSAクルデンシャルという資格で、ある監査法人はクルデンシャル保有者を3年間で200人にすると発表しています。今のところ、試験が英語オンリーなので、試験まではとためらう人も多いかもしれませんが、受験しなくても、勉強の価値は十分ありそうです。

GRI基準の良さ
対するところのGRIは、日本企業の間でも人気が高く、多くの企業が採用しています。これまでにも馴染みのある基準なので、社内で話がしやすいと予想されます。ESGというものは、非常に範囲が広く、各人が持っているイメージにも差があって、議論がしづらい面があります。基準毎にターミノロジー、つまり用語の定義さえ違うので、話が噛み合わないこともありますが、これまでに社内で使ってきた基準であるGRIなら、社内クライアントとも話が通じやすく、勉強した後に、実務で役立ち、満足が得られやすい気がします。

GRI基準の近時の変化
ただ、最近GRIは従前とはかなり変わってきたので注意が必要です。GRIには「準拠」と「参照」という二つの使い方があります。かつては「準拠」の中でさらにレベルが分かれ、「中核」と「包括」というオプションがありましたが、今はこの区分はなくなり、一本にまとまっています。また、これまでは産業セクターを問わない基準でしたが、セクター別基準も作ろうとしています。セクター別のスタンダードがこれまでにいくつか出ていますが、最終的には40本くらいになると言われています。共通スタンダード、項目別スタンダード、セクター別スタンダードと、文書が体系化されていますので、勉強しやすくなっていると思います。認定研修機関があり、日本語で受けられる研修もありますが、最終的に試験まで受けようとすると、やはり英語で受ける必要があります。

シングルとダブルの違いの理解
ISSBのようなシングルマテリアリティの考え方と、GRIのようなダブルマテリアリティは、両方勉強する必要があるのでしょうか。またはどちらか、一つで良いのでしょうか。シングルマテリアリティしか知らないと、ダブルマテリアリティの人と話をしても目線が違ってうまく噛み合いません。違いを理解せずに、どちらが正しいとか優れているとか議論するのは不毛です。ネステッドマテリアリティとか、ダイナミックマテリアリティのように、長期的には両者は同じものを目指していると考えるにしても、まずは両者が違うことを認識することが必要です。目的が違うのだし、それぞれの目的を掲げるステークホルダーがいるので、両方への理解・目配せが重要だと言わざるを得ません。ただ、真剣に勉強しようとすると、かなり時間がかかるので、最初はどちらかに集中するのが良いでしょう。

体系的学習のすすめ
考え方の基礎を学び、体系的に捉えることで、その基準が何を目指し、企業に何を要求しているのかを全体として理解することが大切です。つまみ食い学習では、得られないものがあります。企業の開示も、好きなことだけ書く、都合の悪いことは黙っておくという態度では済まないのと、共通しています。

法務部員が学習を開始するべき時期
シングルマテリアリティとダブルマテリアリティが、一つにまとまって、世界統一基準ができるまで待ってから、対応したいという声をよく聞きます。基準団体同士が連携しあうような活動も報道されていますから、そのうち一つに収束するだろう、と期待している人もいるでしょう。しかし、シングルマテリアリティとダブルマテリアリティは、根本的に目指すものが違うので、一つにするには無理がありますし、出来るとしてもかなり時間がかかると予想されます。また、どちらかを勉強しようとするにしても、各基準とも常に工事中、改定作業中である箇所があります。そういうものだと諦めて学習を進めましょう。完成するまで待っていたのでは、機を逸することになりますし、むしろ刻々と変わるものを追いかけ学ぶ姿勢が、これからのスタイルになりそうです。


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